なぜ人間は1人ひとり違うのか
人間は太古の昔から、考え方も、行動の仕方も、生き方も1人ひとり異なっている。当然、次のような疑問が湧いてくる。なぜ、人には個人差があるのだろう。なぜ、頭の良さや徳性に違いがあるのだろう。その違いを一生規定するような何かが存在するのか、しないのか。専門家は二派に分かれて議論を戦わせてきた。そのうちのひとつが、このような差違は確固たるフィジカルな違いによるもので、避けがたく変えようもないという主張である。そして、そのような違いの根拠として、昔は頭蓋骨の凹凸(骨相学)や頭蓋骨の大きさと形状(頭蓋学)が挙げられてきた。今日では遺伝子がその根拠とされている。もうひとつは、そのような差違は生まれ育った環境や体験、教育および学習方法に起因するものだという主張である。意外に思われるかもしれないが、知能検査を開発したビネーはこの陣営の旗頭だった。知能検査は、子どもの固定的な知能を測定するものではないのか――じつは、違うのである。
20世紀初頭のパリで教育に携わっていたフランス人、ビネーがこの検査を考案したのは、公立学校の勉強についていけない児童を見つけ出して、特別な教育をほどこし、もとの軌道に乗せてやるためだった。子どもの知的能力に個人差があることは認めながらも、教育や訓練しだいで知能は根本的に改善できるとビネーは信じていた。学習に困難をきたす大勢の子どもたちについての研究をまとめた主著、『新しい児童観』(絶版)の中で彼は次のように述べている。
最近の学者の中には、個人の知的能力は一定であって、向上させることは不可能だと主張する者がいる。このような残酷な悲観論には断固として抵抗しなければならない。……訓練を積み、練習を重ね、そして何より正しい方法を習得すれば、注意力、記憶力、判断力を高めて本当に頭を良くすることができるのである。
どちらの主張が正しいのだろうか。そのいずれでもないというのが、今日の大多数の専門家の見解である。生まれか育ちか、遺伝子か環境かではなく、受胎後、その両方がたえず影響を及ぼしあいながら人間は成長していく。それどころか、著名な神経科学者、ギルベルト・ゴットリープによると、遺伝子は環境と作用しあうだけにとどまらず、自らがうまく機能するように環境からの働きかけを求めさえするという。
また、生涯学習し続ける能力や脳の発達の余地は、従来考えられていたよりも大きいことがわかってきた。もちろん、人間はみな独自の遺伝的資質を持つ。初めのうちは生得的な気質や適性に左右されるかもしれないが、やがて経験や訓練や努力が大きくものを言うようになる。知能研究の大家、ロバート・スターンバーグによると、高度な専門性を身につけられるかどうかの最大の決め手は、「あらかじめ備わった固定的な能力にではなく、目的に即してどこまで能力を伸ばしていけるかにある」という。言いかえると、先達のビネーが認めていたように、先頭を切って走りだした者が必ずしも最終的な勝者になるとは限らないのである。
あなたのマインドセットはどちら?
学問上の論争は、専門家に任せておけばよい。けれども、この2つの説を自分に当てはめるとどうなるか、ということだけはよく理解しておこう。20年にわたる私の研究からわかったことだが、どちらの説を信じるかによって、その後の人生に大きな開きが出てくる。自分が望む人間になれるかどうか、自分にとって意義ある仕事を成しとげられるかどうかが、それで決まるかもしれないのである。
でも、どうして? 見方を変えただけで気持ちががらりと変わり、人生まで変わってしまうなんて、そんなことがあるのだろうか。
自分の能力は石版に刻まれたように固定的(フィックスト)で変わらないと信じている人――「硬直(こうちょく)マインドセット=fixed mindset(フィックスト マインドセット)」の人――は、自分の能力を繰り返し証明せずにはいられない。知能も、人間的資質も、徳性も一定で変化しえないのだとしたら、とりあえず、人間としてまともであることを示したい。このような基本的な特性に欠陥があるなんて、自分でも思いたくないし、人からも思われたくない。
教室でも、職場でも、人づきあいの場でも、自分の有能さを示すことばかりに心を奪われている人を私はこれまでたくさん見てきた。ことあるごとに自分の知的能力や人間的資質を確認せずにはいられない人たち。しくじらずにうまくできるだろうか、賢そうに見えるだろうか、バカと思われやしないか、認めてもらえるだろうか、突っぱねられやしないか、勝ち組でいられるだろうか、負け犬になりはしないか、といつもびくびくしている。
それとは違った心の持ちようもある。
初めに配られた手札だけでプレイしなくてはいけないと思えば、本当は10のワンペアしかなくても、ロイヤルフラッシュがあるかのごとく自分にも他人にも思いこませたくなる。けれども、それを元にして、これからどんどん手札を強くしていけばよいと考えてみたらどうだろう。それこそが、しなやかな心の持ち方、「しなやかマインドセット=growth mindset(グロース マインドセット)」である。その根底にあるのは、人間の基本的資質は努力しだいで伸ばす(グロース)ことができるという信念だ。持って生まれた才能、適性、興味、気質は1人ひとり異なるが、努力と経験を重ねることで、だれでもみな大きく伸びていけるという信念である。
じつは、ダーウィンもトルストイも、幼少時には周囲から凡庸な子だと思われていた。歴史に名だたるゴルファー、ベン・ホーガンも、子どもの頃は運動神経が鈍くてまるでさまにならなかった。20世紀を代表するアーティストといわれる写真家、シンディ・シャーマンは、初めて受けた写真の授業で単位を落としている。往年の大女優、ジェラルディン・ペイジも、君には才能がないから女優の道はあきらめなさいと諭(さと)された経験がある。
才能は磨けば伸びるという信念が、どれほどの情熱を生みだすか、おわかりいただけたと思う。その気になれば能力はどんどん伸ばすことができるのに、なぜ、現在の能力を示すことばかりにこだわって時間をムダにするのだろう。欠点を克服しようとせずに、隠そうとするのだろう。ぶつかりあう中で自分を成長させてくれる友人やパートナーを求めずに、ただ自尊心を満たしてくれる相手を求めてしまうのだろう。新しいことに挑戦せずに、うまくできるとわかっていることばかり繰り返すのだろう。
思いどおりにいかなくても、いや、うまくいかないときにこそ、粘りづよい頑張りを見せるのが「しなやかマインドセット」の特徴だ。人生の試練を乗り越える力を与えてくれるのは、このマインドセットなのである。
同じ出来事なのに結末が大きく異なる
それぞれのマインドセットがどのように働くかを理解するために、次のような状況を思い描いてみよう。あなたは学生。今日はさんざんな目にあった。
朝、授業に出席する。自分にとってきわめて重要で、しかも大好きな科目。ところが、返された中間試験の成績がC+だったのですっかり落ちこんでしまう。夕方、帰宅しようとして車に戻ると、駐車違反のチケットが切られている。ガックリきたあなたは、親友に話を聞いてもらおうとして電話をかけるが、何だかそっけなくあしらわれてしまう。
こんなとき、あなたならどんなふうに考えるだろうか。どんな気持ちになるだろうか。どんな行動に出るだろうか。
硬直マインドセットの人に尋ねると、このような答えが返ってくる。「拒絶されているような感じがする」「自分は完全なダメ人間」「負け犬」「価値のない最低の人間」「ろくでなし」。つまり、その日の出来事で自分の能力や価値が決まってしまったように感じるのだ。
そしてこんなふうに考える。「なんてみじめな人生」「生きていてもしかたない」「2階の住人からも嫌われている」「世間のみんなが私をいじめる」「だれかが私をつぶしにかかっている」「私を愛してくれる人なんかいない、みんなから疎(うと)まれている」「人生は不公平、どんなに努力してもムダ」「暗い人生、愚かな自分、いいことなんて何もない」「私はこの世でいちばん不幸な人間」――。
ちょっと待って! もうダメだの、生きていられないのって、たかが成績や駐車違反や電話のことで?
よほど自尊心が低い人たちなのだろうか、それとも、徹底的な悲観主義者(ペシミスト)なのだろうか。いやいや、この人たちだって、ものごとが順調に進んでいるときは、しなやかマインドセットの人と同じくらい自信にあふれていて、楽天的で、快活なのだ。
ところが、なにかにつまずいたとたんに、「こつこつ地道に努力するなんてまっぴら」「何もしない」「ベッドに寝ころがる」「やけ酒を飲む」「やけ食いする」「他人に八つ当たりする」「チョコレートを食べまくる」「音楽にふける」「部屋にこもる」「他人にけんかをふっかける」「めそめそ泣く」「ものを壊す」「することなんてあるものか」――。
することがないだって! ひとこと言わせてもらうと、「さんざんな1日」を書くときに私はわざわざ、試験の成績を落第点ではなくC+にしておいたのだ。しかも、最終試験ではなく中間試験。大きな自動車事故を起こしたわけではなく、駐車違反チケットを切られたにすぎない。完全に拒絶されたのではなく、そっけない感じがしただけ。取り返しのつかないことなどひとつも起きていない。それなのに、硬直マインドセットの人はこの程度のことで自分はもうダメ、どうにもならないと思ってしまう。
では、しなやかマインドセットの人たちはどんなふうに考えるのだろう。まったく同じ状況に対してこんな答えが返ってきた。
「もっとしっかり勉強しなくては。車をとめるときは注意しよう。友人はあの日、何かいやなことがあったのかもしれない」
「C+は、もっと身を入れて勉強するようにという警告だろう。でも後半が残っているので、成績を伸ばすチャンスはまだある」
このような反応がほとんどだ。では、どのように対処するのだろう。
「気持ちを入れ替えて次の試験に備える。あるいは、勉強の仕方を変えてみる。罰金を払い、こんど友人に会ったときに、何があったのか尋ねてみる」
「試験のどこがまずかったのかを突きとめて弱点を克服し、罰金を払い、翌日もう一度友人に電話して話を聞いてもらう」
「次の試験に向けてしっかりと勉強し、先生にも相談する。次から車をとめる場所に気をつける。駐車違反チケットに異議申し立てをする。そして、友人に何があったのか調べてみる」
いやなことがあれば、だれでもみな落ちこむ。それはマインドセットとは関係ない。悪い成績を取ったり、友人や恋人からすげなくされたりすれば、だれだってガックリくる。けれどもそんなときでも、マインドセットがしなやかな人は、自分をダメと決めつけてさじを投げたりしない。苦境に追い込まれても、失敗をおそれずに試練に立ち向かい、こつこつと努力を積み重ねていく。
[書き手]キャロル・S・ドゥエック
スタンフォード大学心理学教授。パーソナリティ、社会心理学、発達心理学における世界的な権威。イエール大学で心理学博士号(Ph.D.)を取得後、コロンビア大学、ハーバード大学で教鞭を執り、現在に至る。