書評

『レターズ〈1〉』(国書刊行会)

  • 2024/04/04
レターズ〈1〉 / ジョン バース
レターズ〈1〉
  • 著者:ジョン バース
  • 翻訳:岩元 巌,小林 史子,幡山 秀明,竹村 和子
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(581ページ)
  • 発売日:2000-05-01
  • ISBN-10:4336035784
  • ISBN-13:978-4336035783
内容紹介:
ヴェトナム反戦運動や大学紛争で騒然たる1969年のアメリカ。新作の構想を練っていた作家ジョン・バースのもとへマーシーホープ州立大学で英文学を教えるレイディ・アマーストから名誉博士号授… もっと読む
ヴェトナム反戦運動や大学紛争で騒然たる1969年のアメリカ。新作の構想を練っていた作家ジョン・バースのもとへマーシーホープ州立大学で英文学を教えるレイディ・アマーストから名誉博士号授与の件で手紙が届いた。スタール夫人の血を引き、ウェルズ、ヘッセら、名だたる文豪たちの愛人役をつとめてきたレイディ・アマーストは40代も半ばをすぎた今、作家アンブローズ・メンシュと恋におち、激しいセックスを繰り返している。大学では、自称桂冠詩人A・B・クック6世が学長代行と組んで陰謀を画策中、もう一人の作家ジェローム・ブレイは政治と小説の革命をめざし、コンピューターを使って奇怪な小説を書き続けている。一方、37歳の時に自殺に失敗した弁護士トッド・アンドルーズは、老境にはいって再度の自殺を考え始めている。行動不能の"無天候状態"に悩むジェイコブ・ホーナー君は、いまだカナダの再生復帰院に滞在中。『フローティング・オペラ』『旅路の果て』『酔いどれ草の仲買人』『やぎ少年ジャイルズ』『キマイラ』など、過去の作品の主人公たちが再登場し、彼らが交わす88通の手紙で構成される、バース文学の総決算ともいうべき超弩級の大作。
二〇〇〇年の翻訳小説の収穫といえば、当然ながらリチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』(みすず書房)がその一冊に挙げられると思うのだけれど、かの小説でわたしが非常に感銘を受けたのは、芸術や歴史、科学などに関する該博(がいはく)な知識を縦横無尽に駆使して大きな物語を創っているにもかかわらず、実はそこで語られているのはひとつひとつの小さな生、という遠近両用タイプの視点の奥深さに対してだった。

第十六章に掲げられた哲学者ホワイトヘッドの言葉「(独立した)存在様式というものはありえない。個々の存在物はすべて、あくまでそれと宇宙全体との絡みあい方から理解されねばならない」が示唆するとおり、個々人の生があまねく他者の生と分かちがたく結びついており、ひとつの行為はどこかで発生する別の行為と無関係ではないということを、パワーズは力強く立証してみせるのだ。

文章を切ったり貼ったり入れ替えたりと、手直し自在なワープロソフトが普及したのも一因なのか、国内作品にもやたらと分厚い小説が増えてきた昨今。寝転がって読んでいるだけで腕の筋肉が鍛えられるこの手のダンベル本に、しかし、パワーズの小説のように長大さの必然が感じられる作品はそうはない。ダンベル本は読んでいる側に肉体的試練を与えるだけでなく、書く側にだってそれ相応の知力と体力、そしてテクニックの修練を求めるはず。五百ページを超えるような長篇小説が、たかが数ヶ月で書けるはずもない。

というわけで、ようやく話は本題に入る。ジョン・バースの『レターズ』。これまたパワーズの傑作同様、二〇〇〇年の翻訳小説収穫の一冊であることは間違いない。で、まずこだわってみたいのが、バースがこの作品を完成させるのに七年かかっている(作者本人説。実際には九年余りかかっているらしい)という点なのだ。当時、ライターズ・ブロックに悩んでいたらしく、だからそこまでかかったのかもしれないとはいえ、七年ですよ、七年。自分の身におけるその月日を思い起こせば、圧倒されない方はおりますまい。でも、本書を読了すれば、圧倒が納得に変容するはず。I・II巻合わせて千ページを超え、しかも二段組。ページをめくるだけでも七分かかり、ちゃんと読もうとすれば一週間はかかるこの超大作を完成させるには、たしかに七年かかっても不思議はない。だって、ここには長大さにふさわしいだけの物語と仕掛けがちゃんとあるのだから。

LETTERS――文字であり、手紙であり、文学であり、という三つの意味を七文字のタイトルに込めた、バースの第七作目にあたるこの小説には副題がついている。〈それぞれ自らを実在のものと考えている七人の道化にしてかつ夢想家による古風な書簡体小説〉。パラノイアの資質に恵まれた作家バースらしい、徹底して七にこだわった作りがまずは愉快だ。しかも、これがアルファベット八十八文字で成立していて、この小説には全部で八十八通の手紙が収録されているのだ! 一方、書簡体小説といえば、十七世紀に生まれた『ぽるとがる文』や、それに影響されたサミュエル・リチャードソンが十八世紀にものした『パミラ』『クラリッサ』などが有名で、実際、バースは作中で登場人物の口を借り、イギリス小説史の中で最も長いとされている『クラリッサ』について言及してもいる。この使い古されたよれよれのジャンルを、さて、ポストモダニストの雄バースがどう“リサイクル”させているのか。それがひとつの読みどころなのだ。

まずは、構成からチェックしてみると、LからSまでの七章立てになっていて、それぞれに七人の手紙の書き手たちが登場する。その登場順はいつも同じで、①レイディ・アマースト、②トッド・アンドルーズ、③ジェイコブ・ホーナー、④A・B・クック四世と六世、⑤ジェローム・ブレイ、⑥アンブローズ・メンシュ、⑦作者となっている。

次に、それぞれのキャラクターと彼らが語る物語の分類はというと――。

①この小説のために創造された人物。レイディ・アマーストは、我が娘を小説家にしたかった両親によって幼い頃から二十世紀の有名作家たち(ヘッセやオルダス・ハックスリー、トマス・マン等々)に引き合わされてきた。何人かとは肉体関係を持ち(初体験の相手はH・G・ウェルズで、その時のことを彼女は〈(キャップをかぶった)万年筆で、まずは穏やかに処女の花を散らされた〉と回想している)、幾度か妊娠もするのだが、不思議と月満ちることなく流産してしまう。そんな中、唯一、彼女に子供を生ませたのがアンドレ・カスティーヌと名乗るフランス系カナダ人の前衛作家。ところが、彼は赤ん坊と共に姿をくらませてしまう。後年、たいそう年上の貴族、ジェフリー・アマースト卿と結婚。死別の後、一九六九年の現在はメリーランド州の三流大学で小説史を教えている。波瀾万丈の人生を送ったわりには冴えない後半生を迎えようとしているこの五十歳近い女傑が、しかし、アンブローズ・メンシュ(⑥参照)という求愛者に巡り遭い、最後の恋と激しいセックスに翻弄されるのだが――。

②ジョン・バースの処女作『フローティング・オペラ』の語り手。一九三七年を時代背景としたかの作品で、三十七歳の弁護士トッド・アンドルーズは自分の生に本質的価値を見いだすことができず、町にやってきたショーボートもろとも爆死しようと決意するも、失敗に終わってしまう。その彼も今では六十九歳になっていて、人間の生には周期(サイクル)があると信じている。前半生に起きた重要な事件と、自殺に失敗した三十七年を再起点として始まった第二周期にあたる後半生に起きた出来事をシンクロさせることで、今度こそは自身の生にどんな本質的価値があるのかを明らかにしたいと、亡き父に宛てた手紙の中で明かしている。

『旅路の果て』の語り手。規範文法を大学で教えるジェイコブ・ホーナーが、親しくなった同僚モーガンの妻と関係を持ち、ホーナーとモーガンどちらかわからない子を宿してしまった彼女は中絶手術の最中に事故死して――という出来事を、無気力になる〈無天候状態〉や心身の膠着状態に陥る〈固定症状〉を病むホーナーが、滞在先の再生復帰院で課せられた文章療法で綴ったという形式の小説『旅路の果て』の後日譚にあたる物語になっている。いまだ再生復帰院に滞在中ではあるものの、新しい恋人(アンブローズ・メンシュの元妻)を得て、自立を考え始めているホーナー。ところが、そこに「妻はお前に殺された」と恨み骨髄に徹するモーガンがやってきて――。

④十七世紀アメリカの民話や史実をベースにした歴史冒険小説『酔いどれ草の仲買人』の主人公である童貞桂冠詩人エベニーザー・クック直系の子孫。四世と六世、両パートともに我が子に宛てた手紙という形式になっている。一八一二年の対英戦争における活躍が描かれた四世の手紙を、六九年現在カナダのどこかでテロリストになっているはずの息子に手渡したいと願っている六世。この一族は代々革命に身を捧げてきており、クックとバーリンゲイムという名を交互に継ぎ、急進派と反動派に分かれて対立を繰り返すという歴史を紡いできた。クックはバーリンゲイムに背き、バーリンゲイムもまたその父であるクックに背き、しかし、背いた息子もやがては背かれる父になるというクック=バーリンゲイム一族が繰り返してきた物語を、歴史のそれに照応させるという企みが読みどころのパートだ。さて、六世は革命闘争に夢中な左翼貴族であり、彼もまた四世同様、息子に自分の行為を理解してくれるよう願う父親でもあるのだが、実は彼の正体というのが――!

⑤学長の娘を母に、巨大コンピュータを父に生まれ、大学構内でやぎと共に成長した少年が現代の救世主になり損ねるまでを、英雄神話の類型になぞらえて描いた『やぎ少年ジャイルズ』は、自分がプログラミングしたコンピュータ〈リリヴァック〉が創作したものと主張し、作者ジョン・バースに「盗作を認めよ」と手紙で迫る半ば狂気の人。やたらと話が〈RESET〉され、〈Φ(ファイ)点〉だの〈脱ペルセウスの啓示〉だの、わけのわからない言葉が頻出する電波系文章の数々が痛々しくも可笑しいパートだ。ナポレオンの血を引いているという妄想や、やぎ農場を経営している奇矯なふるまい、文字を捨てて数字による文学を生み出そうとする暴走。『やぎ少年――』に登場するコンピュータのバグ的存在として滑稽かつ魅力的な人物なのである。

『びっくりハウスに迷って』の主人公。本作で、彼は作者の幼なじみであり、創作のヒントを与えてくれる人物として設定されている。が、自身は〈挫折した作家〉。相当年上のレイディ・アマーストに求愛し、彼女との間に子供を作ることで、トッド・アンドルーズ(②参照)同様、第二周期の人生でこそ生の意味を獲得せんとあがいている。このパートとレイディ・アマーストのそれを併せ読めば、『びっくり――』とも呼応しあうメンシュ一家の物語が浮かび上がり、家族小説としての味わいも愉しめる。

⑦他の六人の人物に情報提供を求める手紙を出し続けている、架空の作者。

と、初めはてんでばらばらな物語を紡ぎ出しているようにしか見えない、これまでのバース作品の登場人物が司る各パートが、物語が進むにつれて少しずつリンクしあいながら、やがてはひとつのプロットに収束していく。一八一二年のアメリカにおける第二次革命を題材にした映画の脚本を担当することになったものの、監督と仲違いしたアンブローズ・メンシュ。混乱を極める撮影現場こそが、その大団円の場なのだ。子供を生むことで女性として再生しようとするレイディ・アマースト、ある決意を胸に最後の航海へと出るトッド・アンドルーズ、映画の撮影を利用して革命の進展を謀るクック六世など、全ての人物の人生が結合を果たす最終章で打ち上げられる花火の大きさと、精緻にして美しい模様、そして余韻といったらどうだろう。上下段千ページを超える長大さにふさわしいエンディングなのである。

十八世紀悪漢小説(ピカレスクロマン)、リアリズム文学、ポストモダン文学、それをも超えたコンピュータ文学(!?)といった様々なスタイルを駆使しながら、個人の生と歴史を“再生”というテーマのもと呼応させあい、書簡体小説という旧ジャンルと、自身の旧作の再利用(リサイクル)を果たした篇小説。読み終わる頃に身につくのは、二の腕の小さな筋肉ばかりではない。冒頭で触れたパワーズ作品同様、個々人の生はあまねく他者の生と分かちがたく結びついており、ひとつの行為はどこかで発生する別の行為と無関係ではないという奥行きと広がりのある歴史観が、読者の精神の滋養となるはずだ。書くのも大変なら、読むのも大変。だけど、その甲斐ある傑作。読まないまま二十一世紀を迎えた方々に、深く同情を寄せる次第なんでございます。

【下巻】
レターズ〈2〉 / ジョン・バース
レターズ〈2〉
  • 著者:ジョン・バース
  • 翻訳:岩元 巌,小林 史子,幡山 秀明,竹村 和子
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(589ページ)
  • 発売日:2000-05-01
  • ISBN-10:4336035792
  • ISBN-13:978-4336035790
内容紹介:
ナイアガラ周辺地域では、1812年の第2次アメリカ革命を題材に映画撮影が進行中。脚本に関わったアンブローズ・メンシュは監督との仲違いの日々が続いていた。そこへ代々革命に身を捧げてきた一… もっと読む
ナイアガラ周辺地域では、1812年の第2次アメリカ革命を題材に映画撮影が進行中。脚本に関わったアンブローズ・メンシュは監督との仲違いの日々が続いていた。そこへ代々革命に身を捧げてきた一族の末裔A・B・クック6世、ついに文字を捨て数字による文学へ辿り着いた狂える作家ジェローム・ブレイらも加わって、現場は混乱をきわめる。その大騒ぎの中、相変らずアンブローズと熱愛中のレイディ・アマーストは謎の人物に犯され、妊娠する。一方、新しい恋人を得たジェイコブ・ホーナー君は、再生復帰院を出ようとしていた。そして自分が人生の第二周期を生きていると感じたトッド・アンドルーズはある決意を胸に最後の航海に出るが…。七人の手紙の書き手によるそれぞれの物語は次第に交錯し、合流しながら、ついに『レターズ』は大団円を迎える。巨大な螺旋を描いて循環するアメリカの歴史と人々の生を、濃密な物語性と緊密なテクストによって描き出した、20世紀文学を代表する巨人ジョン・バース畢生の傑作。

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  • 著者:豊崎 由美
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  • 発売日:2005-11-29
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レターズ〈1〉 / ジョン バース
レターズ〈1〉
  • 著者:ジョン バース
  • 翻訳:岩元 巌,小林 史子,幡山 秀明,竹村 和子
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(581ページ)
  • 発売日:2000-05-01
  • ISBN-10:4336035784
  • ISBN-13:978-4336035783
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