現代文学(作家)は超大変、だよね
いま、ぼくはEASTEND×YURIの「DA・YO・NE」を聞きながら、原稿を書いている。(事務局注:本書評執筆は、1994年頃)「いつも 忙しいしか言わないし ベル打っても返事はなっしー だっしー 何か怪っしーけど二人の時は 超やさっしーの お前が一番だよって 言ってくれるのいいでしょう(あーっ、それって二番も確実にいるな、うん!)だよね」
いや、現代日本の口語がここまで歌になるのかと思うと、誠に感慨深いものがある。それに「ベルを打つ」なんて言葉、ちょっと前まで存在しなかったんだものなあ。それと「超やさしい」の「超」の使い方も、ほんとに広まりました。ぼくもしょっちゅう使ってることだっしー。
以前、ジョン・バースが日本に来た時、若者の日本語に「スーパー・チャーミング」(超カワイイ)とか「スーパー・ストレンジ」(超ヘン)という言い方が出現したと話したら、さっそく「スーパー・ロングピース(超長編)を書くのはスーパー・ディフィカルト(超大変)だよ」と真似てくれました。ほんとバースは超お茶目(スーパー・ミスチュヴァス)なんです。
その時、バースが持っていたのが六月にようやく翻訳された『船乗りサムボディ最後の船旅』(志村正雄訳、講談社)のオリジナルのゲラ刷り。実は、来日前にゲラを送ってもらって読んでいたのだが、来日した時彼が持っていたゲラはさらにドンと量が増えていて、びっくり。
「別に増やそうと思ってるんじゃないんだが、小説の方が勝手に増えていくんだよ。わかるだろ」
「わかります、ミスター・バース。でも、ぼくにはできない芸当ですけど」
だよね。
ジョン・バースの紹介は省略。たぶん、世界でいちばん小説(それも長編小説)について考えている作家。
「タカハシくん。ぼくは、自分の小説のポピュラリティについて疑問は持ってない。どの作品も基本的に面白いもののはずだ。批評家は『前衛的』だとかレッテルを貼りたがるけどね。あのレッテルは止めて欲しいね。読者が本を手にとるのをこわがるじゃないか」
だよね。
「先ほど、ミスター・タカシ・ノザキと話をしたよ。ミスター・ノザキはわたしの『酔いどれ草』とサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の両方を翻訳したんだそうだね。わたしはどちらも眺めたが、素晴らしい訳のようだった。これで、わたしに日本語が読めれば最高だったんだが、まあ、それは些細なことだから気にしなくてもかまわないだろう。しかし、ミスター・ノザキの名訳をもってしても、わたしの『酔いどれ草』はサリンジャー氏のものほどは売れないみたいだ」
だよね。
「そうそう、日本に来てもまた同じ質問を食らっちゃったよ。どうして、いつもシェエラザードのことばかり書くんですか。他に書くことはないんですかってさ。日本のシショーセツ作家は自分の人生のことばかり書くそうじゃないか。シェエラザードの語る世界はずっと広いと思うんだが」
だよね。
以上は、パーティ会場でミスター・バースが洩らした言葉。ちなみに、冒頭で引用した「DA・YO・NE」、この「彼」を「読者」、ひたむきな彼女を「現代文学(作家)」と考えて、もう一度読み直してくださいませ。ああ、現代文学(作家)はつらい。
だよね。
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