書評
『ハードライフ』(国書刊行会)
あれれっ? この小説を書いたのって、物語内物語という入れ子構造の極みを贅と尽くした『スウィム・トゥ・バーズにて』や、語り手が物語が始まって早々死んでしまうのに、本人も読者も一向にその一大事に気づかないという超絶技巧の傑作『第三の警官』で有名な作家だよねえ。《申し分なき小説は紛うことなき紛い物でなければならない》って書いた奇想小説の天才、フラン・オブライエンなんだよねえ。読み始めてしばらくは首をひねりっぱなしだったんである。
だって――二十世紀初頭のアイルランドはダブリン。孤児となったメイナスとフィンバーの兄弟が、伯父コロッピー氏に引き取られて――なんて設定を聞くと、ディケンズかよってツッコミ入れたくならない? けど、読み進めていくうちに、前記二作ほどではないにせよ、オブライエンらしさが散見される小説だってことがわかってくる。やっぱり、ヘンテコなのだ。
まず、コロッピー氏が変人。この御仁、友人の神父と議論するのが趣味なんだけど、その内容が面白いのだ。どうも何か重要なプロジェクトを画策してるらしいんだけど、意地悪なオブライエンはそれが何なのかほのめかすだけに留めてる、そこがミソ。女性が置かれてる立場の理不尽さに義憤を覚えているようで、それだけでも当時の男性像としては格段に新しく、女性読者間では好感度アップ間違いなしのキャラなのだ。語り手の兄メイナスも愉快だ。世渡り上手で、綱渡り術の通信講座なんてイカサマ商売を手始めに、次々と怪しげな事業を拡大。ついに華の都ロンドンに進出し、リュウマチに悩む伯父に奇跡的特効薬「豊満重水」を贈って、服用を進めるのだが……。
コロッピー氏の画策事といい、メイナスが起こすアクションの動機といい、作者は肝心のことをはぐらかし続ける。そのことで、読者は読んでいる間中、不全感に悩まされるのだ。もっと起こってることの詳細が知りたいのにっ! 省略されることで一層募る好奇心。でも、実は省略のない小説なんて存在しないわけで。そう、オブライエンがこの小説でクローズアップしているのは、普通の小説家がなにげなく行っている省略の存在なのだ。物語の最後に、語り手は兄の唐突なほのめかしによって盛大に嘔吐する。それは省略の存在に気づいて目眩(めまい)を覚える読者の姿に重なりはしないか? やっぱり、オブライエンは凄いっ。その狂気を疑った己が正気にガッカリするばかりなんである。
だって――二十世紀初頭のアイルランドはダブリン。孤児となったメイナスとフィンバーの兄弟が、伯父コロッピー氏に引き取られて――なんて設定を聞くと、ディケンズかよってツッコミ入れたくならない? けど、読み進めていくうちに、前記二作ほどではないにせよ、オブライエンらしさが散見される小説だってことがわかってくる。やっぱり、ヘンテコなのだ。
まず、コロッピー氏が変人。この御仁、友人の神父と議論するのが趣味なんだけど、その内容が面白いのだ。どうも何か重要なプロジェクトを画策してるらしいんだけど、意地悪なオブライエンはそれが何なのかほのめかすだけに留めてる、そこがミソ。女性が置かれてる立場の理不尽さに義憤を覚えているようで、それだけでも当時の男性像としては格段に新しく、女性読者間では好感度アップ間違いなしのキャラなのだ。語り手の兄メイナスも愉快だ。世渡り上手で、綱渡り術の通信講座なんてイカサマ商売を手始めに、次々と怪しげな事業を拡大。ついに華の都ロンドンに進出し、リュウマチに悩む伯父に奇跡的特効薬「豊満重水」を贈って、服用を進めるのだが……。
コロッピー氏の画策事といい、メイナスが起こすアクションの動機といい、作者は肝心のことをはぐらかし続ける。そのことで、読者は読んでいる間中、不全感に悩まされるのだ。もっと起こってることの詳細が知りたいのにっ! 省略されることで一層募る好奇心。でも、実は省略のない小説なんて存在しないわけで。そう、オブライエンがこの小説でクローズアップしているのは、普通の小説家がなにげなく行っている省略の存在なのだ。物語の最後に、語り手は兄の唐突なほのめかしによって盛大に嘔吐する。それは省略の存在に気づいて目眩(めまい)を覚える読者の姿に重なりはしないか? やっぱり、オブライエンは凄いっ。その狂気を疑った己が正気にガッカリするばかりなんである。
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