私はできるだけ乱暴に単純に生きたいと思っている。だから、男はこうだ女はこうだと言うのは嫌いで、「男も女もたいして変わらない。男にも女にも①面白い人と②つまらない人がいる。ただそれだけの話じゃないか。うるさいなあ」と乱暴に単純に片づけてしまう。
そういう私も、「男と女はずいぶんと違う」と思うことはいくつかある。その一つは「マニア性」というものだ。いろんなジャンルにおいて、マニアックな男というのは多いけれど、マニアックな女というのは少ない。車マニア、オーディオ・マニア、映像マニア、SFマニア、乗りものマニア……男たちはひとたび興味を持ち始めたものに対しては、とほうもなく執拗に、また厳密になってゆく。私はそういう男たちを不思議だなあ、面白いなあと思う。「ウーン……男の子だなあ!」とほほえましいような、まぶしいような気持になる。
映画評論家の石上三登志さんの『手塚治虫の時代』(大陸書房)は、そんなふうにほほえましく、まぶしい本だ。その昔(一九七七年)、石上氏は奇想天外社から『手塚治虫の奇妙な世界』という本を出版していて、これはすばらしくマニアックな手塚マンガ論の本だったのだが、ずうっと絶版になっていて、手塚ファンの間では「まぼろしの名評論集」のようになっていた。私はさいわい友人に借りて読んでいたが、ずうっと「こういう名評論集はもっとハデに世に出て、広く深く読まれねばならない!」と思っていた。今回の『手塚治虫の時代』は、その『手塚治虫の奇妙な世界』にあらたに数編の評論をプラスしたもの。二月(’89年、平成元年)に手塚治虫先生が亡くなって、出るべくして出た一冊だ。
ここで内容をくどくどしく紹介してもつまらない。とにかく手塚マンガを愛している人(少なくとも講談社版の『手塚治虫全集』全三百巻!! を入手せずにはいられなかった人)は絶対に読んだほうがいい。私たちはなぜ手塚マンガに惹かれたのか、私たちは手塚マンガの中に何を夢見て、また何を学んできたのかということがハッキリとわかる。ついでに、例の三百巻を効率よく読むためのガイドブックにもなる。
私はつねつね手塚マンガの魅力の一つはその多彩な常連キャラクター(ヒゲオヤジとかアセチレン・ランプとかハムエッグとかヒョータンツギとか)にあるんじゃないかと思っていたが、著者もしっかりそこに注目していて、詳しくキャラクター分析しているうえに、巻末に「手塚治虫100スター名鑑」というオマケまでつけている。
手塚治虫はたいへんな映画好きだったから、こんなふうに常連キャラクターを登場させたのも、「手塚治虫が自分のプロダクションの俳優たちをいろいろな作品に登場させている」ようなものだ、という指摘には「スルドイ!」とうなった。手塚治虫は映画を作るのとまったく同じ気持でマンガを描いていたのだろう。
私はこの、手塚マンガに対するマニアックな愛情本に「ウーン……男の子だなあ!」と思い、またそこに描き出された天才・手塚治虫の姿に対しても「ウーン……男の子だなあ!」とつぶやかずにはいられない。
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