後書き

『[図説]人魚の文化史:神話・科学・マーメイド伝説』(原書房)

  • 2021/03/09
[図説]人魚の文化史:神話・科学・マーメイド伝説 / ヴォーン・スクリブナー
[図説]人魚の文化史:神話・科学・マーメイド伝説
  • 著者:ヴォーン・スクリブナー
  • 翻訳:川副 智子,肱岡 千泰
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(320ページ)
  • 発売日:2021-02-19
  • ISBN-10:456205901X
  • ISBN-13:978-4562059010
内容紹介:
ギリシャ神話に遡る起源から現代のシンボルまで、西洋と東洋の人魚の歴史と互いの影響関係をくわしく解説。なぜ人魚は女性ばかりなのか? 分類学者の父と呼ばれたリンネが記した人魚の解剖記… もっと読む
ギリシャ神話に遡る起源から現代のシンボルまで、西洋と東洋の人魚の歴史と互いの影響関係をくわしく解説。
なぜ人魚は女性ばかりなのか? 分類学者の父と呼ばれたリンネが記した人魚の解剖記録とは? 興行師バーナムが起こした「偽人魚」事件は日本と関係があった?
時代背景とともに人魚像や人魚の役割は変遷したが、人類の文化の周辺には常に人魚の存在があったことを神話・宗教・科学・資本主義等の多様な角度から検証し、多彩な図版とともにみてゆく。
新型コロナを封じる半身半魚の妖怪「アマビエ」の大流行で注目されている人魚。
日本に伝わる人魚は、いかに西洋の影響を受けたのか。
人魚の起源、シンボル、標本、見世物、サブカルチャーまで、人々を魅了してやまないマーメイドの歴史とイメージをめぐる本書から「訳者あとがき」を特別公開します。

人々を熱狂させる見世物

突然だが、各ページの隅にいるキャラクターにお気づきだろうか。
これはコーヒー・チェーン、スターバックスのロゴマークの原型となった人魚だ。
流れるような髪と豊満な肉体と二股に広げた尾をもつ彼女は、中世の教会の装飾に使われた人魚の典型例で、幾度かのデザイン改訂を経て雰囲気がすっかり変わった現在のロゴにも、その特徴が確かに残っている(両脇に描かれた縞模様の細長いものが魚の尾)。
本書は2020年8月に刊行された『Merpeople: A Human History』の全訳である。スターバックスの人魚を含め、古代から現代の西洋を中心とする人魚の文化を、美術、建築、科学、見世物、映画など幅広い分野にわたり、117点の図版とともに紹介している。原題の「merpeople」は馴染みの薄い語かもしれないが、「merperson」の複数形で、男女の別なく人魚をあらわす。

著者のヴォーン・スクリブナーは、米国のセントラル・アーカンソー大学の准教授を務め、植民地時代のアメリカ史を専門とする若手の男性研究者。聡明そうな茶色い瞳と、力強い話し方が印象深い。著書に植民地時代・独立革命時代のアメリカの酒タヴァーン場を分析した『Inn Civility: Urban Taverns and Early American Civil Society (Early AmericanPlaces)』(2019年、NYU Press)がある。
この酒場研究の参考史料だった17世紀のイングランド人の旅行記が、著者と人魚の出会いだという。旅行記に登場した人魚は、ふいに釣り船を這い上がってきたかと思うと、自分の手を斧で人間に叩き切らせ、紫の血を流しながら海に沈んでいった。
衝撃的な出来事だが、著者にもっと大きな衝撃を与えたのは、この出来事が旅の一場面としてなんの断りもなくさらっと記されていたことだった。人魚の実在を当然視するこの時代の世界観に著者は驚愕したらしい。

本書には、じつに多種多様な人魚が登場する。「人魚」を『新明解国語辞典第八版』(三省堂、2020年)で引くと、「胴から上は若い女性で、魚の尾を持つという、想像上の動物」とあるが、本書の人魚はこの定義をはるかに超えている。
ぱらぱらとページをめくれば、おじいさんの顔をもつ人魚もいるし、頭は犬で胴体だけが人間のものや、腕の生えたウナギにしか見えないもの(人間との共通項は肺などの内部器官のみ)まで見つかる。
このようにいろいろな外見をもつ人魚は、その役割も多岐にわたる。あるときは豊饒の女神、あるときは男を虜にする美女。未知の世界を体現する奇妙な生物だったり、人々を熱狂させる見世物だったりもする。

こうした人魚の多様性は、各時代の人間が、それぞれの目的に合わせて人魚を取り入れ、変容させてきた結果だと著者はいう。
中世のキリスト教の聖職者は異教の組み込みと女性性の格下げのために、性的で危険な人魚をつくりだし、大航海時代の探険家は奇怪な人魚をつうじて新世界を理解し征服しようとした。
啓蒙時代の科学者は、自然界を秩序立てる試みのなかで、人魚をほかの動物と並列に扱い、実在する生物の一種として分析した。
19世紀の興行師や新聞発行人はひと儲けしようとおぞましい人魚の標本で大衆の好奇心をあおり、20世紀以降も世界じゅうの人々がさまざまな目的のために人魚を利用してきた。

本書を訳し終え、あらためて読み返したとき、人魚をつかって著者が浮き彫りにする、こうしたたくましい人間の姿の連なりに圧倒された。
どんな状況でも人間は、自分の欲望を実現させようとあの手この手で試行錯誤し、かつて信じていた真実が否定されると、また世界のかけらをあちこちからかき集めてあらたな現実を自らつくり上げてきたように思われる。本書が紹介する人魚文化の蓄積が示すもののひとつは、こうした人間のしぶとさではないだろうか。
2021年が明けてもなお、世界じゅうが新型コロナウイルスに翻弄され苦しめられている。だが人間は七転び八起き、けっしてへこたれない。きっと今度もなんとか策をひねり出し、苦境を乗り越えていくだろう。わたしの行きつけの銭湯の壁絵では、富士山の陰から疫病退散の人魚アマビエも見守ってくれている。

人魚も人間も千差万別であるように、本書もいろいろな楽しみ方をしていただけると思う。人魚の文化史として読んで教養を深めたり、各時代の空気を感じながら西洋史をふり返ったりしてもいい。図版の美女人魚やミイラ人魚を眺めるだけでも楽しいはずだ。
もし人魚のほうが人間を利用していたら、と妄想するのはどうだろう。勢力拡大をもくろんで、時の権力者に自分を売り込み、教会の片隅から大陸をまたぎ海を渡り、インターネットに乗って世界各地で子孫繁栄に成功した人魚。そう考えると、目の前の世界がちがって見えてくるから面白い。

[書き手]肱岡千泰(翻訳家)
[図説]人魚の文化史:神話・科学・マーメイド伝説 / ヴォーン・スクリブナー
[図説]人魚の文化史:神話・科学・マーメイド伝説
  • 著者:ヴォーン・スクリブナー
  • 翻訳:川副 智子,肱岡 千泰
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(320ページ)
  • 発売日:2021-02-19
  • ISBN-10:456205901X
  • ISBN-13:978-4562059010
内容紹介:
ギリシャ神話に遡る起源から現代のシンボルまで、西洋と東洋の人魚の歴史と互いの影響関係をくわしく解説。なぜ人魚は女性ばかりなのか? 分類学者の父と呼ばれたリンネが記した人魚の解剖記… もっと読む
ギリシャ神話に遡る起源から現代のシンボルまで、西洋と東洋の人魚の歴史と互いの影響関係をくわしく解説。
なぜ人魚は女性ばかりなのか? 分類学者の父と呼ばれたリンネが記した人魚の解剖記録とは? 興行師バーナムが起こした「偽人魚」事件は日本と関係があった?
時代背景とともに人魚像や人魚の役割は変遷したが、人類の文化の周辺には常に人魚の存在があったことを神話・宗教・科学・資本主義等の多様な角度から検証し、多彩な図版とともにみてゆく。

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