書評
『日本の神々 (岩波書店)』(岩波書店)
便所の神さま、風の神さま……様々な神
天照大神(あまてらすおおみかみ)はじめ大国主命(おおくにぬしのみこと)とか、全国各地の神社にはさまざまな神さまが祭られているし、巨木や大岩といった自然物にも神さまがいるとされる。しかし、民俗学の最後の巨人ともいうべき谷川健一がこの本『日本の神々』(岩波新書)で取りあげるのは、そういうちゃんと自宅(神社)を持っている神さまや、誰の目にも尊いと映る自然物に宿る精霊ではなくて、便所の神さま、風の神さま、流木の神さま、河童、一つ目小僧、天狗、鶴女房、狐女房、エビス、産土神(うぶすながみ)などなどの神だか何だか分からないような寄るべなき神々なのである。
谷川は、そうした流竄(るざん)の神々が生まれたのは、大和朝廷が全国統一の一環として、神々の大整理を行い、秩序に沿わぬ反抗的なものや、自分たちには訳のわからないあまりに古式なものを、神の領分から追放したからだと主張する。
この指摘は、日本には大昔から綿々と八百万(やおよろず)の神さまが平和共存してきた、となんとなく思ってきた私にはショックだった。ヨーロッパ世界で、各地に”自生”していたケルトなどの多様な、神々を殺し、訳のわからんものは悪魔として一括りにしてしまったのはキリスト教だが、異教には寛大といわれる日本列島でも、神々の大規模な追放劇が、その昔、一度行われたというのである。
遠すぎて整理しにくかった沖縄と北海道のアイヌには、大整理以前の神々の様子がよく残り、とりわけ沖縄には、危機に瀕しながらも日本の神々の原型が伝えられており、この本のぺージも相当部分が沖縄に充てられている。
私には、沖縄の話ではないが、産土神(うぶすながみ)が面白かった。自分が生まれた土地の神さまを産土神といい、血族の神を氏神(うじがみ)と呼ぶのは知っていたが、どうして生まれたところをウブスナと呼ぶのか、ウブは産と分かるにしても、スナとは何を意味するのか。
著者が一九七三年、敦賀の一村落の海辺に残る産小屋(うぶごや・お産のための小屋)を訪れた時のこと、
老人に案内してもらったが、二間になった小屋の手前の三畳には煮炊き用のかまどが据えてあり、奥の四畳半の産室には、天井から垂れ下った力綱がそのまま残されていた。老人の説明では、産小屋の一番下に砂を敷き、その上にワラシベを置き、その上にゴザやムシロを重ね、産婦は腰のまわりに藁(わら)の束をあて、ボロ布団に凭れながら蹲踞(そんきょ)し、力綱をにぎりしめて子供を産んだという。産婦が入れ替るたびに砂を敷き藁を取りかえた。その砂を何と呼ぶかと聞くと、老人から『ウブスナ』という答えがかえってきた。
柳田国男が謎として各地の民俗学関係者に問うたことのあるウブスナの語源が、解かれた一瞬である。今は土の字を当てるが、本来は砂で、本当に砂の上でお産をしていたのである。
では、どうしてかつて日本列島の人々は、わざわざ砂の上で産んだのか。考古学、古代史、民俗学という証拠不十分三大学問の面白さはここからはじまり、著者は、わざわざ人家から離れた波打ち際に産家が設けられているところから、大胆にも、海亀の産卵との関係に想いをいたす。
たしかに、海洋民を祖とする人々の古い古い記憶をたどると、海亀にいたるような気がしないでもない。浦島太郎は海亀に乗ってるし、おめでたい高砂の海辺の絵にも、亀が登場する。マサカとも思う。
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