書評

『水と清潔——風呂、トイレ、水道の比較文化史』(朝日新聞出版)

  • 2024/12/06
水と清潔——風呂、トイレ、水道の比較文化史 / 福田 眞人
水と清潔——風呂、トイレ、水道の比較文化史
  • 著者:福田 眞人
  • 出版社:朝日新聞出版
  • 装丁:単行本(280ページ)
  • 発売日:2024-08-09
  • ISBN-10:4022631341
  • ISBN-13:978-4022631343
内容紹介:
インド・ヒンドゥー教徒たちは汚穢あふれる聖なるガンジス川で沐浴し、イスラム教徒たちは水で浄めた身でなければモスクへ入ることを許されない。十字軍時代のキリスト教聖職者たちは、ローマ… もっと読む
インド・ヒンドゥー教徒たちは汚穢あふれる聖なるガンジス川で沐浴し、イスラム教徒たちは水で浄めた身でなければモスクへ入ることを許されない。十字軍時代のキリスト教聖職者たちは、ローマ風呂での乱れた風俗を嫌い、イスラム教への対抗のため、身体を洗わず、糞尿の上に平然と座すことで聖者とあがめられた者もいた。江戸っ子の風呂好きは有名だが、最初に風呂の入浴を始めたのは京の公家たちだった。幕末明治の江戸東京では公衆浴場が大流行したが、陸軍医として清潔を旨としていた鴎外は、自宅に風呂があるものの、金盥にためた湯を使い手拭で身体を拭うのみだった。日本の歴史、世界の文化から、水と人、清潔の概念の諸相を照らし、その関係の変遷をたどる。

目次
序章 豊富な水と不足する水―すべての根源、インドの場合
第1章 水事情のいま
第2章 水と「清潔」という概念
第3章 水と衛生行政―英国の場合
第4章 江戸の水、明治の水
第5章 水の効能―水治療・温泉・海水浴
第6章 鴎外の手拭、北里の大風呂―清潔と近代
終章 変化とは―水の不足と世界の国々

浄/不浄をめぐるエピソード

今年の夏は暑かった。すぐ汗まみれになり、寝る前に風呂に入らないと、眠れる気がしなかった。しかし、こうした感覚や生活習慣は、いつでもどこでも普遍的だというわけではない。本書を読むと、時代や地域によってずいぶん違うことがわかる。

序章にインドの話が出てくる。インド、特にヒンズー教徒の間では、動かない水は不浄だとみなすのだそうだ。だから風呂桶の水は不浄。反対に、動いている水は清浄。聖なるガンジス川で行う沐浴は不浄ではありえない。たとえ雑菌がたくさんいても。雑菌が原因で多くの人が亡くなっても。浄/不浄、清潔/不潔の概念と信仰とが強く結びついている。

本書の帯のコピー曰く、「入浴を欠かさなかったイスラム教徒VS自らの糞尿の上に座し尊敬を集めたキリスト教徒」。

どういうことか。イスラム教徒は外部から都市に入るときやモスクで礼拝するとき、沐浴して身体を浄めることが求められた。一方、キリスト教では、洗礼を受けた身体は浄められ、汚れないとみなした。洗礼で神聖な水を振りかけたのだから、それを拭わないのが信仰にかなっているという理屈だ。エスカレートして、身体が不潔なほど魂は清く、逆に清潔な身体には汚れた魂が宿るとまで考えるようになる。

よって、ときどき極端なエピソードが出てくる。イザベラという色がある。茶色がかった灰色で、犬の毛色を表現するのに使われることが多い。その名の由来は15世紀スペインの女王、イザベラ。コロンブスの航海を援助したことでも知られる。彼女は生涯でたった2回しか風呂を使わなかったことを誇りにしていた。1回目は産湯か洗礼で、2回目は結婚式前夜だという。この女王、グラナダ陥落に際し願懸して、3年間も下着を替えなかった。垢にまみれて茶色くなったその下着の色がイザベラ色。

入浴は健康に悪い、という考えかたもあった。毛穴から病気の原因物質が侵入するというのである。だから健康のためには垢で毛穴を塞ぐべし! というわけで、人びとは臭くなる。そこで香水を使い、下着を替えた。亜麻布の下着をいかにチラ見せするかがオシャレの指標になったとか。

日本人は風呂が好きだとよく言われるが、必ずしも誰もがそうとは限らない。たとえば軍医でもあった森鷗外。家に風呂があったのに、風呂に入らなかった。ただし、毎日、儀式のように決めた手順で全身を拭った。蓙(ござ)の上に金盥や洗面具一式、汚れた湯を捨てるバケツを置き、一滴の水も外にこぼさなかった。フケが多く、新聞紙を広げてブラシで落とした。夏目漱石は風呂好きだったが、正岡子規は風呂が大嫌いだった。芥川龍之介も風呂嫌い。

巨大都市、江戸の知恵に感心する。江戸市中の糞尿は川に流さず、郊外の農民が購入して船に積んで運び、肥料にした。育った農作物は市中の人びとが購入した。江戸の街の人、農民、そして運送業者、それぞれの商いが成り立ち、市中の河川や地下水も汚れなかった。

終章にとても役立つ情報が。脱水症状になったとき、経口補水液が有効だが、製薬会社が製造したものでなくてもいい。清浄な水1リットルに大さじ4杯半の砂糖と小さじ半杯の塩を溶かしたものでもほぼ同様の効果があるという。
水と清潔——風呂、トイレ、水道の比較文化史 / 福田 眞人
水と清潔——風呂、トイレ、水道の比較文化史
  • 著者:福田 眞人
  • 出版社:朝日新聞出版
  • 装丁:単行本(280ページ)
  • 発売日:2024-08-09
  • ISBN-10:4022631341
  • ISBN-13:978-4022631343
内容紹介:
インド・ヒンドゥー教徒たちは汚穢あふれる聖なるガンジス川で沐浴し、イスラム教徒たちは水で浄めた身でなければモスクへ入ることを許されない。十字軍時代のキリスト教聖職者たちは、ローマ… もっと読む
インド・ヒンドゥー教徒たちは汚穢あふれる聖なるガンジス川で沐浴し、イスラム教徒たちは水で浄めた身でなければモスクへ入ることを許されない。十字軍時代のキリスト教聖職者たちは、ローマ風呂での乱れた風俗を嫌い、イスラム教への対抗のため、身体を洗わず、糞尿の上に平然と座すことで聖者とあがめられた者もいた。江戸っ子の風呂好きは有名だが、最初に風呂の入浴を始めたのは京の公家たちだった。幕末明治の江戸東京では公衆浴場が大流行したが、陸軍医として清潔を旨としていた鴎外は、自宅に風呂があるものの、金盥にためた湯を使い手拭で身体を拭うのみだった。日本の歴史、世界の文化から、水と人、清潔の概念の諸相を照らし、その関係の変遷をたどる。

目次
序章 豊富な水と不足する水―すべての根源、インドの場合
第1章 水事情のいま
第2章 水と「清潔」という概念
第3章 水と衛生行政―英国の場合
第4章 江戸の水、明治の水
第5章 水の効能―水治療・温泉・海水浴
第6章 鴎外の手拭、北里の大風呂―清潔と近代
終章 変化とは―水の不足と世界の国々

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2024年10月19日

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