前書き
『ジョーゼフ・キャンベルの神話と女神』(原書房)
原始の時代、女神は死と豊饒を司り、尊敬を集めていました。しかし社会の変化とともにその地位を男神に追われていきます。アルテミス、ティアマト、イシュタル、マリアなど、美しく恐ろしい女神たちの変容の歴史を探った『ジョーゼフ・キャンベルの神話と女神』の編者序文を特別公開します。
永遠の女性なるものよ、引きてわれらを高みへと導かん。
――ゲーテ『ファウスト』
ゲーテの『ファウスト』から引用したこの言葉は、みなさんが手にしている本書の「黄金の糸」である。1972年から1986年にかけて、キャンベルは女神に関する20以上の講座やワークショップを開き、アリアドネーの糸に導かれるテセウスさながらに文化と時代の迷宮で、女神の姿、役割、シンボル、テーマ、その後の変容について探究した。
本書は、大いなる女神から神話上の想像の産物である数多くの女神たちに光を当てたキャンベルの研究の足跡をたどれるように、マリヤ・ギンブタスの新石器時代の古ヨーロッパ研究における女神、シュメールやエジプトの神話に登場する女神、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』、ギリシアのエレウシスの秘儀、中世のアーサー王伝説、ルネサンス期の新プラトン主義に登場する女神を取り上げる。
資料を整理するに当たり、女神のモチーフやテーマに関するキャンベルの深遠な論考がわたしの目の前に立ちはだかった。その中には、他では見られないほど詳細に論述しているものもあった。
キャンベルのお気に入りのテーマは、過去2000年、男性優位の一神教の伝統が続き、女神を排除しようとしてきたことをものともしない、女神のもつ原型的かつ象徴的なパワーである変容と忍耐である。わたしが手にする幸運を得た講義録で、キャンベルは偉大なる女神たちの本質と創造力に触れ、その物語構造をこの上なく明快に解き明かしている。
これらの講義は、女神そのものの象徴的、神話的、原型的なテーマの研究報告でもある。キャンベルにとって女神研究のメインテーマは、時空間と永遠性を通して内的体験の神秘性や、生と死の変容、すべての生命を形成し命を吹き込むエネルギー意識の神秘性を解き明かす通過儀礼であった。
本書を構成する女神に関する講義は、キャンベルの著書『図説世界の神話 Historical Atlas of World Mythology』を土台にしている。この複数巻からなる著書で、キャンベルは神話や神聖な伝統を撚ってできた、さまざまな民族的かつ文化的な糸を使ってタペストリーを織り上げ、特定の文化的表現における精神と普遍的かつ原型的なルーツが互いに影響していることを明らかにしようとしたのである。
研究の過程でキャンベルが出会ったのは、新石器時代(前7500~3500年)の古ヨーロッパの大いなる女神に関するマリヤ・ギンブタスの素晴らしい先駆的研究だった。ギンブタスの研究を後押しに、キャンベルは自身が直感的に理解していたことをさらに深く掘り下げていく。言い換えるなら、大いなる女神が古代神話の概念では中心的な神であり、ギンブタスが指摘するこのパワーの持ち主たちがキャンベルの言う後世の神話や神聖な伝統の源となった女神たちを掘り下げたのである。
女神神話の探究と研究が大幅に進んだのは、キャンベルが30年にわたりこうした講義を続けてきたからだ。わたしの願いは、本書が比較の視座を示す一助となり、キャンベルがその英雄分析のみで注目されたのではないことを明らかにすることである。キャンベルは、興味深い女神たちや女神神話、さらには、そうした物語との関連性を理解しようとする女性たちが抱く疑問や懸念についても目を向け、研究していたのである。
本書の発端となった世紀半ばの講義でのやり取りには、個としても集団としても自分を見つめ理解することによってはじめて深まっていく原理が如実に現れている。これらの講義から明らかなのは、神話に登場する女神の独自性と、それが女性たちにどんな意味をもたらすかということに対するキャンベルの感性の鋭さだ。それだけでなく、キャンベルは女性の生命力と出産する力が、女性の経験に意味をもたらし神話や創作物になったと認識し敬意を払っていた。こうした力をキャンベルは、現代の天恵にして課題であると見なし、女性たちが旅を思い描き形作ることに敬意を表していたのである。
本書を編集するに当たり、わたしはキャンベルが講義で取り上げた物語を時系列に網羅することにした。キャンベルが使った図版も収録し、その多くはキャンベルの他の著作にも使われている。つまり、女神の表象と神話はキャンベルの全著作に不可欠な要素なのである。こうした資料を編集するために、キャンベル自身も引用しているジェーン・エレン・ハリソン、マリヤ・ギンブタス、カール・ケレーニイなどの研究者にも依拠した。図版のキャプションは、キャンベル自身が依拠した研究者の著述と、キャンベルの死後数十年の間に神話や宗教や文化に関する研究をさらに進めた「ポスト・キャンベル」の研究者たちの研究の双方を参考にしている。参考文献リストには、この分野に不可欠で、本書をより深く読み解くための示唆に富む研究者の著述を挙げている。1980年代初頭まで続いた講義でのやり取りと、幅広い――今ではもっと歴史が浅かったことが知られている――神話体系に女神を組み込んだキャンベルの思考が理解しやすくなるだろう。
本書が日の目を見たのは、ジョーゼフ・キャンベルとマリヤ・ギンブタスがわたしたちに残した遺産のおかげである。それゆえ、わたしたちは今もインスピレーションと課題を突きつけられている。本書は、ジョーゼフ・キャンベル財団理事長のロバート・ウォルターなくしては日の目を見なかったであろう。彼は、キャンベルがハインリッヒ・ジマーの死後にその論文を編纂することになったのと同じ精神で、わたしにこのプロジェクトを託してくれた。感謝申し上げる。最後に、本書でその名と恩寵を紹介したすべての女神に本書を捧げる。
[書き手]サフロン・ロッシ(神話学者)
偉大なる女神の歴史
Das Ewig-Weibliche, / Zieht uns hinan永遠の女性なるものよ、引きてわれらを高みへと導かん。
――ゲーテ『ファウスト』
ゲーテの『ファウスト』から引用したこの言葉は、みなさんが手にしている本書の「黄金の糸」である。1972年から1986年にかけて、キャンベルは女神に関する20以上の講座やワークショップを開き、アリアドネーの糸に導かれるテセウスさながらに文化と時代の迷宮で、女神の姿、役割、シンボル、テーマ、その後の変容について探究した。
本書は、大いなる女神から神話上の想像の産物である数多くの女神たちに光を当てたキャンベルの研究の足跡をたどれるように、マリヤ・ギンブタスの新石器時代の古ヨーロッパ研究における女神、シュメールやエジプトの神話に登場する女神、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』、ギリシアのエレウシスの秘儀、中世のアーサー王伝説、ルネサンス期の新プラトン主義に登場する女神を取り上げる。
神話学の第一人者による女神論
資料を整理するに当たり、女神のモチーフやテーマに関するキャンベルの深遠な論考がわたしの目の前に立ちはだかった。その中には、他では見られないほど詳細に論述しているものもあった。
キャンベルのお気に入りのテーマは、過去2000年、男性優位の一神教の伝統が続き、女神を排除しようとしてきたことをものともしない、女神のもつ原型的かつ象徴的なパワーである変容と忍耐である。わたしが手にする幸運を得た講義録で、キャンベルは偉大なる女神たちの本質と創造力に触れ、その物語構造をこの上なく明快に解き明かしている。
これらの講義は、女神そのものの象徴的、神話的、原型的なテーマの研究報告でもある。キャンベルにとって女神研究のメインテーマは、時空間と永遠性を通して内的体験の神秘性や、生と死の変容、すべての生命を形成し命を吹き込むエネルギー意識の神秘性を解き明かす通過儀礼であった。
本書を構成する女神に関する講義は、キャンベルの著書『図説世界の神話 Historical Atlas of World Mythology』を土台にしている。この複数巻からなる著書で、キャンベルは神話や神聖な伝統を撚ってできた、さまざまな民族的かつ文化的な糸を使ってタペストリーを織り上げ、特定の文化的表現における精神と普遍的かつ原型的なルーツが互いに影響していることを明らかにしようとしたのである。
研究の過程でキャンベルが出会ったのは、新石器時代(前7500~3500年)の古ヨーロッパの大いなる女神に関するマリヤ・ギンブタスの素晴らしい先駆的研究だった。ギンブタスの研究を後押しに、キャンベルは自身が直感的に理解していたことをさらに深く掘り下げていく。言い換えるなら、大いなる女神が古代神話の概念では中心的な神であり、ギンブタスが指摘するこのパワーの持ち主たちがキャンベルの言う後世の神話や神聖な伝統の源となった女神たちを掘り下げたのである。
女神神話の探究と研究が大幅に進んだのは、キャンベルが30年にわたりこうした講義を続けてきたからだ。わたしの願いは、本書が比較の視座を示す一助となり、キャンベルがその英雄分析のみで注目されたのではないことを明らかにすることである。キャンベルは、興味深い女神たちや女神神話、さらには、そうした物語との関連性を理解しようとする女性たちが抱く疑問や懸念についても目を向け、研究していたのである。
本書の発端となった世紀半ばの講義でのやり取りには、個としても集団としても自分を見つめ理解することによってはじめて深まっていく原理が如実に現れている。これらの講義から明らかなのは、神話に登場する女神の独自性と、それが女性たちにどんな意味をもたらすかということに対するキャンベルの感性の鋭さだ。それだけでなく、キャンベルは女性の生命力と出産する力が、女性の経験に意味をもたらし神話や創作物になったと認識し敬意を払っていた。こうした力をキャンベルは、現代の天恵にして課題であると見なし、女性たちが旅を思い描き形作ることに敬意を表していたのである。
豊富で貴重な図版
本書を編集するに当たり、わたしはキャンベルが講義で取り上げた物語を時系列に網羅することにした。キャンベルが使った図版も収録し、その多くはキャンベルの他の著作にも使われている。つまり、女神の表象と神話はキャンベルの全著作に不可欠な要素なのである。こうした資料を編集するために、キャンベル自身も引用しているジェーン・エレン・ハリソン、マリヤ・ギンブタス、カール・ケレーニイなどの研究者にも依拠した。図版のキャプションは、キャンベル自身が依拠した研究者の著述と、キャンベルの死後数十年の間に神話や宗教や文化に関する研究をさらに進めた「ポスト・キャンベル」の研究者たちの研究の双方を参考にしている。参考文献リストには、この分野に不可欠で、本書をより深く読み解くための示唆に富む研究者の著述を挙げている。1980年代初頭まで続いた講義でのやり取りと、幅広い――今ではもっと歴史が浅かったことが知られている――神話体系に女神を組み込んだキャンベルの思考が理解しやすくなるだろう。
本書が日の目を見たのは、ジョーゼフ・キャンベルとマリヤ・ギンブタスがわたしたちに残した遺産のおかげである。それゆえ、わたしたちは今もインスピレーションと課題を突きつけられている。本書は、ジョーゼフ・キャンベル財団理事長のロバート・ウォルターなくしては日の目を見なかったであろう。彼は、キャンベルがハインリッヒ・ジマーの死後にその論文を編纂することになったのと同じ精神で、わたしにこのプロジェクトを託してくれた。感謝申し上げる。最後に、本書でその名と恩寵を紹介したすべての女神に本書を捧げる。
[書き手]サフロン・ロッシ(神話学者)
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