作りこみの深い網羅的論集
米大統領選に向けた党大会と予備選挙が始まっている。中間選挙以降に新有権者となるZ世代は潜在投票数830万人とも。Z世代全体での有色人種率は45%となり、多様性が増す。この層は政治意識も投票率も高く、トランプ氏支持の率より民主党支持と無党派の率が圧倒するため、トランピアンには脅威でもある。こうした事実も踏まえつつ本書を読むと、腑に落ちるところが多々あった。男女隔離政策の独裁ディストピア国家ギレアデ共和国を舞台にした『侍女の物語』と続編『誓願』を併せて読み解く、初の論集と言えるだろう。「独裁者」「生政治」「記憶・歴史」「エコロジー」、「ケア・サイボーグ」「声・語り」「セクシュアリティ」「異性愛/レズビアニズム」「フェミニストSF」「母性/代理母」といったテーマの各論の他、アトウッド自身の講演「『侍女の物語』はフェミニスト・ディストピアか?」(1998年)を訳出。
この2部作には、現米国を予言するかのような(作者は予言ではないと述べているが)、超保守派による議事堂襲撃や、妊娠中絶・避妊の禁止法、下層階級の代理出産、女性の分断等が描かれる。
米国で白人を中心とするキリスト教原理主義者が推進する中絶・避妊禁止の信条には、宗教上のプロライフ(命を尊ぶ)理念だけでは解せない面があるが、子を増やすことで影響力を高める数の論理が土台にあることが、本書からよくわかる。それは人種主義や優生思想とも繋がっている。
『誓願』に多出するdegenerateという語を優生学用語として解明した加藤論文には、目を開かされた。優生学用語で「退化」を意味するが、加藤は『侍女』の巻末の注釈にのみ登場する社会生物学者に注目し、ギレアデ建国の背後でこの男がダークウェブを駆使しつつ暗躍していたと推論する。一夫多妻制の採用や、女性の分断支配法、適者生存理論等を正当化すべく、生物学の分析を還元主義的に人間社会に適用したのが、このディストピアだとアトウッドは示しているのではないか、と。
『侍女の物語』という“純文学作家”がものしたSF的小説は当時、SFプロパーからどう迎えられたのか? 小谷真理の論文からはその詳細が窺える。サイバーパンクで沸き立つ1980年代半ばのジャンルSF界で、米国では境界領域的な作としてひとまず認められ、また、第二派フェミニズム運動の反動が吹き荒れる巷(ちまた)では、生殖に関する自己決定権を蹂躙する本作は、圧倒的リアリティを感じさせたろうとも言う。
ディストピア文学は80年代頃から現実への急接近を見せ、それは特にフェミニズム系の作品で顕著だが、「フェミニストSFが出産テクノロジーに関心を向けるとき、現実とフィクションとの境界はほとんど消失する」という批評家の言葉を小谷は鋭く引用する。
『侍女』『誓願』は、白人のヘテロ異性愛男性が支配する社会と家父長制を痛烈に批判し風刺する作品であるが、それゆえに、人種的・性的マイノリティの描き方が手薄だという意見もある。この問題については、「性別二元論」自体がディストピアであるとする中村が手厚い論考と付論を提供する。作りこみの深い網羅的論集だ。