書評

『幻の料亭・日本橋「百川」: 黒船を饗した江戸料理』(新潮社)

  • 2017/12/07
幻の料亭・日本橋「百川」: 黒船を饗した江戸料理 / 小泉 武夫
幻の料亭・日本橋「百川」: 黒船を饗した江戸料理
  • 著者:小泉 武夫
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(189ページ)
  • 発売日:2016-10-21
  • ISBN-10:4104548057
  • ISBN-13:978-4104548057
内容紹介:
江戸の華やぎ、ここに極まる! 小泉センセイが饗応料理の真髄と化政文化の醍醐味を鮮やかに描き出し、高級料亭消滅の謎を追う。
古典落語に「百川」という噺(はなし)がある。のっけから魚河岸の若い衆と田舎出の奉公人との言葉が行き違い、面白おかしいズレが軽妙な展開をみせるのだが、ふんだんに盛りこまれた江戸の習俗の厚みが、この噺を名作たらしめる役目を担っている。舞台になった料理屋「百川」は、かつて日本橋浮世小路(うきよしようじ)にあった実在の大店(おおだな)であることはよく知られているが、では「百川」が出したのはどんな料理なのか、当時の江戸でいかなる役割を任じていたのか。謎のまま「百川」を想像するしかなかった。

ところが、その正体に踏み込む一冊が現れたのだから、色めき立つのは当然のなりゆき。しかも、著者はあの小泉センセイ。興味津々で読み始めると、待ってましたとばかり幻の「百川」が息を吹き返し、ページを繰る手が止まらない。

文化文政期に完成した江戸の町人文化は、さまざまな芸術や学術、文化活動を生み、庶民の経済活動を発展させた。料理茶屋は社交のための重要な場のひとつとなり、名だたる商人や文人墨客が足しげく出入り、さらなる興隆をみせてゆく。また、江戸の経済を支える商業街として栄えたのが、ほかでもない日本橋だった。政治、経済、地形、自然条件、町の構造、人々の気質……食の複雑な背景を知り抜く著者の手さばきがあればこそ、「百川」の姿がリアルに蘇(よみがえ)る。

読み物としての創意もふんだんだ。当時「百川」をにぎわせた大田南畝(なんぽ)、山東京伝、山東京山、亀田鵬斎(ほうさい)、谷文晁(ぶんちよう)ら当代きっての文人による集い「山手連(やまてれん)」の談論風発ぶりは、めっぽう痛快。趣向を凝らした風狂に目を丸くするうち、時空をワープして「百川」の座敷に紛れこむ心地を味わう。当時、江戸のあちこちで流行したという「大酒之会」の実体にも驚くばかりだ。百余人の見物客を前にして、三味線の音に合わせて飲み干した豪の者の酒量は七升五合。料理屋もまた、競って新しい酒肴(しゆこう)を編み出した。あるいは、山東京伝演出によるお大尽の還暦の祝宴「饗設」は豪快にして珍奇。大盃が六十人の座列を下ったり上ったり、江戸の華やぎはかくも磊落(らいらく)であったのだ。

「百川」に残された詳細な献立記録「百川楼仕出し献立」の内容が随所で紹介され、これまた驚く。あらためて思うのだが、史料を生かすも殺すも、読み解く者の裁量ひとつ。豪奢(ごうしや)な事実のみならず、そこに爛熟(らんじゆく)した江戸文化の妙味を与え、あの手この手で堪能させる試みにこそ本書の眼目がある。ひとつひとつの料理名や素材が往時の気配を孕(はら)んで腹に染み入る心地だ。

話の肝は、幕府の命により「百川」主人、百川茂左衛門が引き受けることになったペリー一行の饗応料理である。黒船艦隊一行三百人、日本側二百人、総計五百人。一人前三両、総額千五百両の総額は、現在の金額にして一億五千万円。前代未聞、日本国の威信を懸けた献立が四ページにわたって紹介され、店の存在を懸けて面目をほどこすのだが、しかし、「百川」は明治維新後、表舞台から忽然(こつぜん)と姿を消す。

そもそも卓袱(しつぽく)料理屋として創業した「百川」は、時代に深く関わり過ぎてしまったのだろうか。歴史に分け入り、激しく揺れる波間に浮き沈みした一料理屋を見つめる視線が、味のある余韻を運んでくる。
幻の料亭・日本橋「百川」: 黒船を饗した江戸料理 / 小泉 武夫
幻の料亭・日本橋「百川」: 黒船を饗した江戸料理
  • 著者:小泉 武夫
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(189ページ)
  • 発売日:2016-10-21
  • ISBN-10:4104548057
  • ISBN-13:978-4104548057
内容紹介:
江戸の華やぎ、ここに極まる! 小泉センセイが饗応料理の真髄と化政文化の醍醐味を鮮やかに描き出し、高級料亭消滅の謎を追う。

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初出メディア

サンデー毎日

サンデー毎日 2017年1月17日

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