前書き

『不定性からみた科学―開かれた研究・組織・社会のために―』(名古屋大学出版会)

  • 2021/05/11
不定性からみた科学―開かれた研究・組織・社会のために― / 吉澤 剛
不定性からみた科学―開かれた研究・組織・社会のために―
  • 著者:吉澤 剛
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(326ページ)
  • 発売日:2021-05-12
  • ISBN-10:4815810257
  • ISBN-13:978-4815810252
内容紹介:
科学には「モヤモヤ」がつきまとう、されど——。不確実性・偶然性・規範性などさまざまな形をとり、研究から組織・評価・大学・社会・未来まであらゆる次元に現れる不定性。これら避けがたいものと向きあい、科学のリアルを捉え直すことで、知と未知への態度を鍛える21世紀の学問論。
世界が未曾有の事態に見舞われるなか、学問に対しても様々な言説が飛び交っている。研究成果はどのように評価されているのか。社会における大学の役割とは何か。専門家と市民との関係はどうあるべきなのか。こうした疑問につきまとうモヤモヤ(=不定性)について考える、21世紀の学問論がこのたび上梓されました。注目の新刊、吉澤剛『不定性からみた科学』のねらいは何なのか。以下、「はじめに」全文を特別公開いたします。

〈モヤモヤ〉と向きあい、科学のリアルを捉え直す。21世紀の学問論とは?

この世界はわからないことだらけである。無知の知という言葉もあるように、わからないということを知ることは大事だ。ただ、科学や技術の進歩と、それによる人類の活動の広がりによって、わからないことはずいぶん少なくなったように思える。地球が大亀の上に乗っているのではないことを知っているし、その地球上に見つかっていない大陸や島はなく、人類に創造主はいないとも考えている。だが、地球はどのようにできたのか、人類はどのように誕生したのか、ということについてはまだわからないことも多い。

わかるというのはどういうことだろう

しかし、そもそもわかるというのはどういうことだろう。私たちは地球が丸いということや、人がサルから進化したということは、知識として知っている。ただ、頭では理解しているが、腑に落ちないこともある。宇宙や生物、DNAから素粒子まで、その構造や働きを知れば知るほど、ふだんの生活で用いる知識とかけ離れているために、それらがなぜ、どのように自分という存在につながっているのかについては相変わらずわからないのである。それどころか、地球温暖化や遺伝子操作、人工知能の発展など、私たちが知っていたこの世界を変えた結果として、自分や人類そのものがどうなっていってしまうのかという不安すらよぎる。知れば知るほどわからないことが増えるというだけではなく、知ること自体によってわからないことが増えていってしまっている。これはいったい、どういうことなのだろう。

何かを知り、わかるためには、個人の経験を通じて納得するばかりでなく、その知識を他人とわかちあい、それに基づいて判断することが必要である。地域や時代を越えて知識を共有する一つの手段は、学問である。「学問」という漢語は、易経「文言伝」に由来し、「学もってこれを聚(あつ)め、問もってこれを辯(わか)ち、寛もってこれに居り、仁もってこれを行なう」、すなわち、学ぶことによって徳を身につけ、問うことによって是非を弁別し、寛容な心で思いやりをもって実践することを意味する。それゆえ、学問においてわからないことを学ぶのは最初のステップに過ぎない。なすべきことを判断し、実践するところまで含まれるプロセスなのである。一方、英語のacademicsは、プラトンが古代ギリシアのアテナイ郊外に設立した学園のあった神域であるアカデメイアに由来する。学園では国家を統治する者のために哲学を教授していたことから、時が下って学問の代名詞となった。scholarshipは、学校を意味するスコラが学徒を表すようになり、その学徒の地位のことを呼んだ。つまり西洋では古代から中世にいたるまで学校という存在が先にあり、そこでの教育内容が後に学問として定められたのである。したがって学問とは、体系的に得た知識のことばかりでなく、他者に教授したり、実践するための組織や制度を包括する知識システムということができる。

学問は人類の知的欲求を満たすとともに、人類そのものの進歩を叶えてきた。これらはすべてわかったことの結果である。学問はわからないことに挑む行為であるはずが、私たちの目にはわかったこととしてしか映らない。これは科学や研究と同じである。科学者はわからないことを知るために研究をしているが、私たちは研究の成果としての科学しか見ることがない。これまでの科学の歴史は、わかったことを中心に書かれている。科学史にとどまらない。学者は新しくわかったことを公に認めてもらうのが本務である。学術論文で「わかりません」と白状するのは、論文の最後に、わかったことから導かれる新たな研究課題を、希望を持って記すときだけである。

「わからないこと」の話――学問における知識の不定性

この本は、その意味で変わっている。わからないこと、より正確には知識の不定性を中心に話をすすめるので、すっきりしないかもしれない。知識の不定性とは、知ることのできる限度や範囲の偏りがあったり、知らないことがあることさえ知らなかったり、知っていてもうまく言葉として伝えられなかったり、将来に知りうることであったりする。知識が定まらないのは、その知識が生み出されるときかもしれないし、伝達や評価、利用されるときかもしれない。こうした研究の対象やプロセス、成果にかかる不定性ばかりでなく、誰が、どこで、なぜ学問を営んでいるのかという学問のあり方そのものについての不定性もある。したがって、狭義の「科学」とその対象・認識・方法のみならず、研究の文脈や翻訳・利用、さらにはより広い学問とその不定性について考えていかざるをえない。それゆえ、本書の主題をより正確に表現すれば「学問における知識の不定性」ということになるが、その意味については本書を最後まで読めば十全に理解していただけるだろう。

ところで、知識に不定性があるということからは、不定性に対して誰がどのように責任を取ればよいのかという問題が発生する。科学における規範を遵守するという話ばかりではない。知識が産業や政策、社会に用いられるようになると、様々な関係者が不定性への対処に取り組み、様々な形で社会的責任を果たす必要が出てくる。だが、将来のことを含め、知識が不定であるがゆえに、「責任」という、明確な主体と対象を持つような行為を常にとることは難しい。知識の不定性とともに責任の主体や対象が広がり、主体や対象の境界も曖昧になるため、不定性に対処する研究や組織、社会をどう実現し、知識の及ぼす影響に対してどのように応答するかが鍵となる。

本書では、学問の営みにおける様々な不定性を指摘するとともに、それへの対応方法を示すことを試みる。だが、もとよりそれぞれの不定性は本質的なものであることも多いため、対応策も決定的なものであるわけではない。対応策が見つからない場合もあれば、よりよい対応策がありうる場合もあるだろう。しかも、こうした対応を模索する過程において、学問のあり方そのものが問い直されるという、より根本的な不定性も現れてくるのである。つまり、人間がしばしば陥りがちな様々な「イドラ」に対する科学や学問による対処の限界や難点を、現代の状況をふまえて、もう一度全体として精密に、そして反省的・批判的に捉え返してみようという挑戦である。その意味で本書は、ベーコンの『ノヴム・オルガヌム』の現代版としても位置づけられるかもしれない。

科学内部の不定性から、研究や組織、社会――学問そのものの不定性へ

本書ではしたがって、まず科学内部における不定性から議論を始め、徐々に研究や組織、社会という観点から学問そのものの不定性を捉え直す。これとともに、関係する主体が知識の不定性に対してどのように社会的責任を遂行しているのか、そもそも責任とは何かについて議論を開いていく。第1章では、科学の対象の存在や認識における知識に様々な不定性があることを見る。第2章では、科学を進める行為である研究を取り上げ、研究者と研究対象との避けられない相互作用や、研究における暗黙知や偶然性、規範性を掘り下げる。第3章は、研究の組織化と科学の巨大化、日本における学協会の歴史を辿りながら、研究者コミュニティという組織的文脈による知識の不定性について考察する。第4章は、研究成果についての知識を確定させるための評価に焦点を当て、個人や組織、システムレベルで研究と評価との相関がもたらす課題を明らかにする。第5章は、現在の大学が置かれている社会的文脈を概観し、研究によって生産された知識を他者や社会に移転するときに起きる問題から、大学の社会的責任を捉え直す。第6章は、研究による知識が社会の中で産業や政策にどのように利用されてきたのかを追跡し、研究者と実務者との双方向的な知識の流れの登場に伴う責任とガバナンスのあり方を模索する。第7章は、世界に開かれた科学とイノベーションにおける市民の有する知識の実質的な意義を探求し、社会のデジタル化とグローバル化における学問の問題を個人の知的態度と責任の認識に関連づけて議論する。第8章は、未来についての学問と学問についての未来を見通し、幅広い主体の関与による公共性の概念の変容と、学問におけるアートやデザインの役割を明らかにする。そして第9章では、これまでの多種多様な不定性を整理してまとめ、私たちの未知への態度と21世紀の学問を展望する。

知識の不定性に挑む旅は、学問というものの本質に迫るとともに、これまでの学問への反省を促すこととなる。専門家でも、市民でも、この旅には難しさや面白さが付きまとうだろう。だが、不確かな存在に向かって自分と学問を投げかけてみよう。そこには学問という冒険が待っている。

[書き手]吉澤剛(1974年生。現在、関西学院大学・東京大学客員研究員)
不定性からみた科学―開かれた研究・組織・社会のために― / 吉澤 剛
不定性からみた科学―開かれた研究・組織・社会のために―
  • 著者:吉澤 剛
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(326ページ)
  • 発売日:2021-05-12
  • ISBN-10:4815810257
  • ISBN-13:978-4815810252
内容紹介:
科学には「モヤモヤ」がつきまとう、されど——。不確実性・偶然性・規範性などさまざまな形をとり、研究から組織・評価・大学・社会・未来まであらゆる次元に現れる不定性。これら避けがたいものと向きあい、科学のリアルを捉え直すことで、知と未知への態度を鍛える21世紀の学問論。

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