後書き
『ヴィクトリア朝 病が変えた美と歴史:肺結核がもたらした美、文学、ファッション』(原書房)
新型コロナウィルスの蔓延で、いまやマスクは私たちの生活に欠かせない存在となった。ファッション雑誌では、マスクと服の組み合わせを提案するマスク・コーディネートまで特集されている。
歴史を振り返ってみれば、感染症とファッションが結びつくことは珍しくないようだ。19世紀英国で、ペストや天然痘よりも肺結核が人々を苦しめたときも、やはり新しいファッション文化が誕生していた。しかもそれはかなり奇妙な美の価値観を生み出したようで、人々は肺病患者の真似をしようと、有害な白粉を使い躍起になって青白い肌を再現したり、瞳孔を開くために危険な点眼薬を使用してみたり、コルセットで締め上げて痩せ細ったふりをしたりした(そのせいで若いオシャレな女性たちが本当に病気になった)。上流階級では肺結核にかかること自体がステータスとなり、かのナイチンゲールまで結核を称賛したという。
なぜ当時の人々はこれほどまでに肺結核に「熱狂」したのか。その不可解な美と病の歴史を豊富な図版資料とともにたどる『ヴィクトリア朝 病が変えた美と歴史』の「訳者あとがき」を抜粋して公開します。
結核とは、結核菌によって起こる感染症だ。患者の咳やくしゃみを通じて空気感染するが、感染しても実際に発病する人は5~15パーセントといわれている。潜伏期間が数カ月から2年近くと長いことが多く、進行もたいていはゆっくりで、数年から数十年かかることもある。全身の部位を冒す病気だが、患者の8割を占めるのは肺結核だ。発病すると、初期には咳、痰、発熱など、風邪のような症状が長く続き、やがて寝汗、体重減少などの症状が現れ、そのまま放置すれば胸の痛みや喀血(かっけつ)を起こし、最終的には呼吸困難で死亡することになる。
現代では早期に抗菌薬で適切に治療すれば治る病気だが、複数の薬に耐性を持つ厄介な結核菌が出現したこともあって、21世紀の今も、結核は世界の十大死因のひとつになっている。世界保健機関の報告によると、2019年には、世界でおよそ1000万人が結核にかかり、140万人が死亡した。全症例の9割近くは結核の脅威が高い30カ国で発生しているものの、日本でも年間1万4000人以上が発病し、およそ2000人が死亡している。決して過去の病気ではないのだ。
本書は、18世紀後半から19世紀半ばのヴィクトリア朝初期にかけて、不可解な魅力を持つ結核という病気が、英国の社会と文化、そしてファッションにまで及ぼした影響を、おもに上流・中流階級に焦点を絞って追いかけた作品だ。当時の文献から豊富な事例を引用し、医師、医療ライター、ファッションライター、そして不運にもこの病気にかかってしまった患者とその家族が、結核にどう向き合い、どのように対処したのかをていねいに探っていく。記録や証言をひとつひとつ積み重ねることで、当時の社会の雰囲気、専門家の見解、人々の考えや感情を、くっきりと浮かび上がらせている。図版もたっぷり掲載され、当時の貴重な資料を目で確かめられるのがうれしい。
著者のキャロリン・A・デイは、ファーマン大学の准教授で、英国史と医学史を教えている。ルイジアナ州立大学で歴史学の学士号と微生物学の学士号を取得し、当初は微生物研究の道へ進むつもりだったが、やがて科学と歴史の結びつきに興味をいだくようになり、ケンブリッジ大学で科学・医学史および哲学の修士号を、テュレーン大学で英国史の博士号を取得した。現在は、新たにふたつの出版企画に取り組んでいるところだという。ひとつめは18世紀の精神と肉体の関係と、病気が非難や復讐のメカニズムとして利用されていた状況を調査するマイクロヒストリー。ふたつめは18世紀後半から19世紀前半の病人の経験を、本人や家族、主治医の視点から探るプロジェクトだそうだ。
ロマン主義時代と呼ばれる1820年代から1830年代にかけては、芸術的才能を持つ知的で繊細な人たちが結核にかかりやすいとされた。ところが感傷主義時代と呼ばれる1830年代後半から1850年代になると、その対象は、感受性が強くなよやかな女性たち、いわゆる美貌の持ち主へと変わった。美しい人が結核にかかりやすいだけでなく、平凡な顔立ちの人も発病すれば美しくなるとまでいわれた。ほっそりした体、透き通るように白い肌、少し赤らんだ頬と唇、瞳孔の広がった大きな目。女性たちは結核患者の容貌に憧れて、それをまねたファッションに身を包み、顔を白く塗って、危険な点眼薬で瞳孔を大きくし、おぼつかない足取りで歩いていたという。
当時もてはやされた結核患者の美しさは、現代の〝美人〟の基準にもかなり当てはまる部分がある。もちろん21世紀の今では、もっと多様な美しさにも目が向けられるようになってきたが、あの時代の影響がかなり色濃く残っていることを思い知らされる。日本にも〝佳人薄命〟という言葉があり、色白で病弱な女性が美しいとされていたのはそれほど昔のことでもない。
世の中に蔓延し、人々の生活を変え、命を奪う病気が、社会や文化やファッションに大きな影響を与えるのも、考えてみれば当然かもしれない。新型コロナウイルスが世界で猛威をふるっている今ほど、それが実感できる時代もないだろう。渦中の今、すでに見て取れる変化もあるし、200年たって初めて理解できることもあるはずだ。現代のわたしたちにとっては、19世紀の人々の考えや行動の多くが的外れに思えるが、これから200年後の人たちにとっては、21世紀の人々もやはり的外れに見えるのかもしれない。それでも、今持てる科学技術と知識を結集して、試行錯誤しながら少しでもよい方向へ進んでいけると信じたい。19世紀の人々がそうしたのと同じように。
[書き手]桐谷知未(訳者)
歴史を振り返ってみれば、感染症とファッションが結びつくことは珍しくないようだ。19世紀英国で、ペストや天然痘よりも肺結核が人々を苦しめたときも、やはり新しいファッション文化が誕生していた。しかもそれはかなり奇妙な美の価値観を生み出したようで、人々は肺病患者の真似をしようと、有害な白粉を使い躍起になって青白い肌を再現したり、瞳孔を開くために危険な点眼薬を使用してみたり、コルセットで締め上げて痩せ細ったふりをしたりした(そのせいで若いオシャレな女性たちが本当に病気になった)。上流階級では肺結核にかかること自体がステータスとなり、かのナイチンゲールまで結核を称賛したという。
なぜ当時の人々はこれほどまでに肺結核に「熱狂」したのか。その不可解な美と病の歴史を豊富な図版資料とともにたどる『ヴィクトリア朝 病が変えた美と歴史』の「訳者あとがき」を抜粋して公開します。
結核は過去の病気ではない
結核という病気の名前なら、誰でも耳にしたことがあるだろう。日本では、ほとんどの人が子どものころに予防接種(BCGワクチン)を受ける。そのおかげもあって、結核が日本の死亡原因の第1位だったのは遠い昔のことになり、多くの人にとっては過去の病気というイメージが強いかもしれない。結核とは、結核菌によって起こる感染症だ。患者の咳やくしゃみを通じて空気感染するが、感染しても実際に発病する人は5~15パーセントといわれている。潜伏期間が数カ月から2年近くと長いことが多く、進行もたいていはゆっくりで、数年から数十年かかることもある。全身の部位を冒す病気だが、患者の8割を占めるのは肺結核だ。発病すると、初期には咳、痰、発熱など、風邪のような症状が長く続き、やがて寝汗、体重減少などの症状が現れ、そのまま放置すれば胸の痛みや喀血(かっけつ)を起こし、最終的には呼吸困難で死亡することになる。
現代では早期に抗菌薬で適切に治療すれば治る病気だが、複数の薬に耐性を持つ厄介な結核菌が出現したこともあって、21世紀の今も、結核は世界の十大死因のひとつになっている。世界保健機関の報告によると、2019年には、世界でおよそ1000万人が結核にかかり、140万人が死亡した。全症例の9割近くは結核の脅威が高い30カ国で発生しているものの、日本でも年間1万4000人以上が発病し、およそ2000人が死亡している。決して過去の病気ではないのだ。
憧れのロマンティックな死
そんな恐ろしい結核という病が、かつて天才や美貌の証(あかし)と考えられ、この病気でロマンティックな死を迎えたいと多くの人が憧れたのはなぜなのだろう?本書は、18世紀後半から19世紀半ばのヴィクトリア朝初期にかけて、不可解な魅力を持つ結核という病気が、英国の社会と文化、そしてファッションにまで及ぼした影響を、おもに上流・中流階級に焦点を絞って追いかけた作品だ。当時の文献から豊富な事例を引用し、医師、医療ライター、ファッションライター、そして不運にもこの病気にかかってしまった患者とその家族が、結核にどう向き合い、どのように対処したのかをていねいに探っていく。記録や証言をひとつひとつ積み重ねることで、当時の社会の雰囲気、専門家の見解、人々の考えや感情を、くっきりと浮かび上がらせている。図版もたっぷり掲載され、当時の貴重な資料を目で確かめられるのがうれしい。
著者のキャロリン・A・デイは、ファーマン大学の准教授で、英国史と医学史を教えている。ルイジアナ州立大学で歴史学の学士号と微生物学の学士号を取得し、当初は微生物研究の道へ進むつもりだったが、やがて科学と歴史の結びつきに興味をいだくようになり、ケンブリッジ大学で科学・医学史および哲学の修士号を、テュレーン大学で英国史の博士号を取得した。現在は、新たにふたつの出版企画に取り組んでいるところだという。ひとつめは18世紀の精神と肉体の関係と、病気が非難や復讐のメカニズムとして利用されていた状況を調査するマイクロヒストリー。ふたつめは18世紀後半から19世紀前半の病人の経験を、本人や家族、主治医の視点から探るプロジェクトだそうだ。
ファッションと結核
1882年にドイツの細菌学者ロベルト・コッホが結核菌を発見するまで、結核は原因のはっきりしない不治の病だった。英国では、17世紀後半から流行し始め、19世紀半ばにピークに達した。今も根絶にはほど遠い結核の診断と治療が、当時の医師にとってどんなにむずかしかったかは、想像にかたくない。患者に濃厚接触しても全員が感染して発病するわけではないから、感染症であるという考えはなかなか浸透せず、多くの医師は「体質」や「遺伝」に原因があると考えた。ロマン主義時代と呼ばれる1820年代から1830年代にかけては、芸術的才能を持つ知的で繊細な人たちが結核にかかりやすいとされた。ところが感傷主義時代と呼ばれる1830年代後半から1850年代になると、その対象は、感受性が強くなよやかな女性たち、いわゆる美貌の持ち主へと変わった。美しい人が結核にかかりやすいだけでなく、平凡な顔立ちの人も発病すれば美しくなるとまでいわれた。ほっそりした体、透き通るように白い肌、少し赤らんだ頬と唇、瞳孔の広がった大きな目。女性たちは結核患者の容貌に憧れて、それをまねたファッションに身を包み、顔を白く塗って、危険な点眼薬で瞳孔を大きくし、おぼつかない足取りで歩いていたという。
当時もてはやされた結核患者の美しさは、現代の〝美人〟の基準にもかなり当てはまる部分がある。もちろん21世紀の今では、もっと多様な美しさにも目が向けられるようになってきたが、あの時代の影響がかなり色濃く残っていることを思い知らされる。日本にも〝佳人薄命〟という言葉があり、色白で病弱な女性が美しいとされていたのはそれほど昔のことでもない。
世の中に蔓延し、人々の生活を変え、命を奪う病気が、社会や文化やファッションに大きな影響を与えるのも、考えてみれば当然かもしれない。新型コロナウイルスが世界で猛威をふるっている今ほど、それが実感できる時代もないだろう。渦中の今、すでに見て取れる変化もあるし、200年たって初めて理解できることもあるはずだ。現代のわたしたちにとっては、19世紀の人々の考えや行動の多くが的外れに思えるが、これから200年後の人たちにとっては、21世紀の人々もやはり的外れに見えるのかもしれない。それでも、今持てる科学技術と知識を結集して、試行錯誤しながら少しでもよい方向へ進んでいけると信じたい。19世紀の人々がそうしたのと同じように。
[書き手]桐谷知未(訳者)
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