内容紹介
『めんどくさい本屋―100年先まで続ける道』(本の種出版)
2020年4月、日本で初めての緊急事態宣言が発令され、全国各地で多くの書店が一時休業を余儀なくされていた頃に刊行された『めんどくさい本屋』。時代に翻弄されつつ、それでも本屋を生き残らせていくというメッセージも背負い込んだ本書について、本の種出版の担当編集者が、本がつくられるまでとつくられたあとを思い返し、「めんどくさい」という言葉に込められた意味を伝えます。
「めんどくさい」が肯定的な言葉に変わる瞬間
最初にことわっておくと、『めんどくさい本屋 100年先まで続ける道』というタイトルを付けたのは、この文章をしたためている本書の担当編集者です。
原稿が形づくられていく過程で。
デザインとイラストが定まっていく過程で。
装丁と装画を決めていく過程で。
本を形にしていくあらゆるプロセスで、決して短くはない時間を要しましたが、そうした意味から「めんどくさい」という言葉を選んだわけではありません。
最初に意識したのは、竹田さんが小学生のときに旅行先でアライグマに噛まれたというエピソードを、降って湧いたように原稿にまとめてアップしてきたときです。該当箇所を引用してみます。
この部分は、竹田さんという人物を非常に実直かつ率直に表している箇所だと思うのですが、少し裏話をすると、この原稿に至るまでに竹田さんも私も執筆と編集において迷走を続けていたので、突如として降り立ってきた内省的なエピソードに、感じ入るところがありました。
(そして、この調子で原稿を書きつづっていってもらいたいと思ってから数週間が経つと、なぜか同じアライグマに噛まれたエピソードが別の原稿としてアップされ、そちらは今ひとつで最初の原稿のほうがよかった、ということもありました。
こうして同じような原稿が何度もGoogleドキュメントに上がってくる事案が複数回みられ、例外なく最初の原稿のほうが完成度は高かったという、めんどくささを象徴するようなやりとりも、今では懐かしい思い出です)
さて、本書が世に出てから今に至るまで、SNSやブログでの感想、各種メディアにおける書評などを多く眼にすることができました。
そこで思ったのは、「めんどくさい」という言葉に込められた意味の捉え方が、読む人によってだいぶ異なることです。
例えば、本屋というものが、そもそもめんどくさいものである、ということ。
お店に集まる人たちが、それぞれに良い意味で、めんどくさい人たちだということ(だからこそ、双子のライオン堂というお店のあり方に遠慮なく突っ込んでくれるし、楽しんで協力してくれる)。
または、生活していくことにまつわるわずらわしさ、次々にやるべきことが増えていくめんどくささにとらわれつつも、日々を暮らしていくことであったり。
それでも読んだ人の中には、別に竹田さんってそんなにめんどくさい人じゃなくない? と感じる人も少なくないかもしれません。
一生懸命に、悩みながらも、本屋という場所を持続させるために全てを注いでいる真っ直ぐな人。協力してくれる仲間、友人、家族との歩みを描いた清新なストーリー。本屋を始めたい、本に関わる何かを始めたいという人の背中を押してくれる本。いろんな読まれ方をされているし、そこに正解を求める必要はないかもしれないです。
でも、この本は「めんどくさい本屋」として収められるべき本だったと思っています。
好きなものを見つけだす過程も、そのために回り道をして生きていく決心も、自分が死んだあとの100年先の未来にまで思いをはせる思考も、一朝一夕に生まれるものではありません。
なんとなくではなく、このようにしかなれなかったこととこうしたかったこととの接合部に、竹田さんのめんどくささが通っているように感じています。
だからこの本を読んだときに誰かが感じるめんどくささこそが、その人にとっての答えでいいと思うし、ぜひともめんどくさい直感を胸に抱いて自分の歩む道を見いだしていってほしいと考えています。
そしてできればこの本と一緒に、めんどくさく、今の世の中を生き抜いていきましょう。
「めんどくさい」が肯定的な言葉に変わる瞬間
秋葉貴章
最初にことわっておくと、『めんどくさい本屋 100年先まで続ける道』というタイトルを付けたのは、この文章をしたためている本書の担当編集者です。原稿が形づくられていく過程で。
デザインとイラストが定まっていく過程で。
装丁と装画を決めていく過程で。
本を形にしていくあらゆるプロセスで、決して短くはない時間を要しましたが、そうした意味から「めんどくさい」という言葉を選んだわけではありません。
最初に意識したのは、竹田さんが小学生のときに旅行先でアライグマに噛まれたというエピソードを、降って湧いたように原稿にまとめてアップしてきたときです。該当箇所を引用してみます。
基本的に、人と違ったことはやりたくない。はみ出し者も嫌。でも、面白そうなことを思いついちゃう。ただ、目立つと注意される。けど、明日死ぬかもしれない。小さい声で何か目立たないように、思いついたことをやってみよう。そんな感じの思考回路だ。自分でもつくづく面倒だなと思う。(P57-58より)
この部分は、竹田さんという人物を非常に実直かつ率直に表している箇所だと思うのですが、少し裏話をすると、この原稿に至るまでに竹田さんも私も執筆と編集において迷走を続けていたので、突如として降り立ってきた内省的なエピソードに、感じ入るところがありました。
(そして、この調子で原稿を書きつづっていってもらいたいと思ってから数週間が経つと、なぜか同じアライグマに噛まれたエピソードが別の原稿としてアップされ、そちらは今ひとつで最初の原稿のほうがよかった、ということもありました。
こうして同じような原稿が何度もGoogleドキュメントに上がってくる事案が複数回みられ、例外なく最初の原稿のほうが完成度は高かったという、めんどくささを象徴するようなやりとりも、今では懐かしい思い出です)
さて、本書が世に出てから今に至るまで、SNSやブログでの感想、各種メディアにおける書評などを多く眼にすることができました。
そこで思ったのは、「めんどくさい」という言葉に込められた意味の捉え方が、読む人によってだいぶ異なることです。
例えば、本屋というものが、そもそもめんどくさいものである、ということ。
お店に集まる人たちが、それぞれに良い意味で、めんどくさい人たちだということ(だからこそ、双子のライオン堂というお店のあり方に遠慮なく突っ込んでくれるし、楽しんで協力してくれる)。
または、生活していくことにまつわるわずらわしさ、次々にやるべきことが増えていくめんどくささにとらわれつつも、日々を暮らしていくことであったり。
それでも読んだ人の中には、別に竹田さんってそんなにめんどくさい人じゃなくない? と感じる人も少なくないかもしれません。
一生懸命に、悩みながらも、本屋という場所を持続させるために全てを注いでいる真っ直ぐな人。協力してくれる仲間、友人、家族との歩みを描いた清新なストーリー。本屋を始めたい、本に関わる何かを始めたいという人の背中を押してくれる本。いろんな読まれ方をされているし、そこに正解を求める必要はないかもしれないです。
でも、この本は「めんどくさい本屋」として収められるべき本だったと思っています。
好きなものを見つけだす過程も、そのために回り道をして生きていく決心も、自分が死んだあとの100年先の未来にまで思いをはせる思考も、一朝一夕に生まれるものではありません。
なんとなくではなく、このようにしかなれなかったこととこうしたかったこととの接合部に、竹田さんのめんどくささが通っているように感じています。
だからこの本を読んだときに誰かが感じるめんどくささこそが、その人にとっての答えでいいと思うし、ぜひともめんどくさい直感を胸に抱いて自分の歩む道を見いだしていってほしいと考えています。
そしてできればこの本と一緒に、めんどくさく、今の世の中を生き抜いていきましょう。
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