書評

『偏愛文学館』(講談社)

  • 2020/01/23
偏愛文学館  / 倉橋 由美子
偏愛文学館
  • 著者:倉橋 由美子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(232ページ)
  • 発売日:2008-07-15
  • ISBN-10:4062760924
  • ISBN-13:978-4062760928
内容紹介:
夏目漱石、吉田健一、宮部みゆき、ジュリアン・グラック、ラヴゼイ…。古今東西様々なジャンルの「本」39冊を独自の視点観点で紹介する。ブックガイドとしてだけでなく、『大人のための残酷童話』『パルタイ』といった名作を残した著者自身の作品世界、その背景までも垣間見ることのできる究極の読書案内。
保坂和志さんが本誌「新潮」で連載中の評論をまとめた『小説の自由』(新潮社)は、現役の作家や作家志望の若い人にとって示唆に富むのはもちろん、わたしのような小説を読み紹介する仕事をしている者にも刺激的、というか、厳しい一冊です。たとえば、こんな文章。

〈自分が何かを論じようとするための材料として小説を読むことの、一種の不毛さ〉〈何らかの面白さやいわくいいがたさをそこに感じることのできない本を最後まで読み通すくらい本を馬鹿にした話はないだろう。課業と化してしまった読書は、その本に対して一種の蔑視を生み出す〉〈課業にどっぷりつかっている自分自身への蔑視というかうんざり感が課業の対象であるところの本への蔑視や攻撃へと転化するということだろうと思う〉

深く深く納得する。深く深く反省する。深く深く決意をかためる。ブックレビュアーがはまりやすい“課業と化した読書”の陥穽(かんせい)に気をつけねば、と。そして、そのお手本として、ある本のタイトルが浮かぶ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2005年)。

倉橋由美子『偏愛文学館』。

この本の中で倉橋さんは、批評や書評を「書く」ために小説を「読む」のではない読書のあり方を示していると思うのです。それは、保坂さんの言葉を借りるなら〈読みながら感覚が運動する現前性〉としての小説を読むという態度に近い。保坂さんの〈小説は読んでいる時間の中にしかない〉という説に従うなら、純粋な読書は「書く」という行為の中には存在しないということになります。しかし、〈本当に私の好みに合うものはわずかしかありません。したがって、大多数のものは私にとってはどうでもいい駄作、凡作だということになります。評論を仕事とする人なら、駄作はその駄作たるゆえんを指摘し、問題作はその問題たるゆえんを解説してみせなければなりません。御苦労なことです〉という立場から放たれる倉橋さんの批評は、その不可能をぎりぎり可能にしたものになっているのではないでしょうか。

たとえば、倉橋さんが〈黙っていられないほど偏愛するもの〉として真っ先に頭に浮かべるというジュリアン・グラックの『アルゴールの城にて』(白水uブックス)を論じた章。

ここで、倉橋さんは〈普通でない書き方〉がされているグラックの小説の美しさを伝えるために、あたかも今自分がこの小説を読み進めているかのように、粗筋を実況中継していきます。それは率直に云って、いわゆる書評欄で目にするような要領のいいまとめ方とはほど遠いものです。でも、〈二人の男と一人の女を登場人物として、アルゴールの城で演じられる神話的な劇〉であるこの散文詩のような小説をすでに読んだ方ならわかるように、要約がとても難しい作品なのです。要領よくまとめればまとめるほど、小説を読んでいる最中におぼえた当惑や、うっとりとした心地、艶めかしさ、戦慄が、消えていってしまう。そんなやっかいな小説なのです。

ところが――。感想や引用を織り込みながらなされる、倉橋さんの不器用なまでに丁寧な、長々とした粗筋紹介を読むという経験は、『アルゴールの城にて』をかつて読んでいた時の感覚を、リアルに思い出させてくれるのです。それは、保坂さん風にいえば現前性としての『アルゴールの城にて』ではないのでしょう。でも、それにとても近い『アルゴールの城にて』を、倉橋さんの文章は喚起してくれるのです。

ブックレビューをしていると、字数制限という縛りもあって、小説を読んでいる最中に感じたこと、考えたことの大筋だけを短い文章で効率的に紹介することに汲々(きゅうきゅう)としがちです。でも、おそらくそれではこぼれ落ちるものがあまりにも多すぎる。そして、そのこぼれ落ちるものの中にこそ、他の誰でもない“わたし”の読み、最大公約数ではない個々人の読みがあるのでしょう。倉橋さんの『アルゴールの城にて』論の素晴らしさは、そこ。凡百の批評家や書評家ではなしえない、個人のリアルタイムの読書の再現力にあるように、わたしには思えるのです。

群れず、媚びず、独り黙々と創作に向かい合ってきたこの作家は、率直さにおいても小説を裏切りません。上田秋成の『雨月物語』『春雨物語』を取り上げた章でも、お気に入りの小編をグラックの時と同様、実況中継感満載の紹介でその魅力を伝えてやまないのですが、作品への深い愛ゆえに『新釈雨月物語 新釈春雨物語』をまとめた石川淳に、こんな苦言を呈さずにはいられないのです。

(「吉備津の釜」の冒頭の作者の演説を訳さずに切り捨てたことについて)これは石川淳の「見識」というよりも浅慮です。近代小説はこうではなくてはならないという窮屈な基準にあてはめてこんな切捨てを敢行するのは困ります。もう少し素直に秋成に付き合ってみる必要があります。

また、夏目漱石『夢十夜』の章冒頭においては、世間ではこの文豪にふさわしい力作といえば晩年の長編ということになっているようだけれど、自分としては〈初期の『吾輩は猫である』を拍手喝采したい快作としたいところです〉と言い切り、〈弟子にとりまかれた大文豪なんかにならず、大学の先生でもしながら気楽に小説を書いていれば、もっと型破りで面白い小説を沢山書いたのではないかと思います〉という、凡人をぎょっとさせるような提言で論を締めているのです。

小説論集『あたりまえのこと』でも顕著なように、倉橋さんは真っ当な意見を真っ直ぐに書く人です。でも、それは容易なことではありません。買わなくていい恨みを買ったり、そのことで不当な扱いを受けたり……。だからこそ、それができる人は信頼に値するのです。そういう人が偏愛する小説だから自分も読んでみたくてたまらなくなるのです。その意味で、これは最高のブックガイドと云えるのではないでしょうか。

と同時に――。再読に堪える、過去の文学を典拠とする、深刻な悲劇よりも愚行のからみあう喜劇、主人公が現実とは異なる場所に赴き、主人公の行動によって異世界に内蔵されていた何かが動き出し物語が展開していくという、能のような構造の小説。この本の中で散見される倉橋さんの偏愛する文学の特徴が、そのまま当人の作品の特徴に重なるという意味で、倉橋文学を理解する一助ともなってくれます。

文壇の力ではなく文学の力を信じ続け、六月に急逝した作家の、これは“白鳥の歌”ともいうべき書物であり、"課業としての読書"に流されがちな批評家や書評家にとっては座右の書とすべき一冊なのです。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

偏愛文学館  / 倉橋 由美子
偏愛文学館
  • 著者:倉橋 由美子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(232ページ)
  • 発売日:2008-07-15
  • ISBN-10:4062760924
  • ISBN-13:978-4062760928
内容紹介:
夏目漱石、吉田健一、宮部みゆき、ジュリアン・グラック、ラヴゼイ…。古今東西様々なジャンルの「本」39冊を独自の視点観点で紹介する。ブックガイドとしてだけでなく、『大人のための残酷童話』『パルタイ』といった名作を残した著者自身の作品世界、その背景までも垣間見ることのできる究極の読書案内。

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初出メディア

新潮

新潮 2005年10月号

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