明治以来、小説のモデルとされた人物が多くおり、作家とモデルとのあいだにトラブルは絶えない。モデル小説をめぐる争いを解明したり、作家研究の一環として論じたりするものはこれまでにもあったが、「私的領域」という意識の誕生と変遷との関係性において、この問題を捉え直すのは初めての試みである。
一口にモデル小説とは言っても、時代によって作家の意識も、描写の仕方も、読者の受け止め方も同じではない。内田魯庵、島崎藤村から三島由紀夫、柳美里にいたるまで、一世紀を超える歴史をたどってみると、時代ごとに想像力投影の仕方が違い、言語表現の性質が変わっただけでなく、モデル小説をめぐる人々の認識も社会の変化と響き合っていたことが浮き彫りにされた。
モデル小説の歴史的展開を分析することで、「私生活」の意識、プライバシーの観念がどのような経過をたどって変化してきたかが明らかになった。さらに、「虚構」の二面性、文学とメディアとの寄生関係、<読み>という行為の暴力性など、多くの問題が炙(あぶ)り出されて興味深い。『ジャパニーズ・アメリカ』(新曜社、2014年)以来の快著である。