書評
『わが心の有本芳水』(六興出版)
明治から大正にかけて雑誌「日本少年」に発表された有本芳水の詩は、全国の少年の心を熱く揺さぶった。そのなかには、中野重治、池田亀鑑、江戸川乱歩、寿岳文章、清水幾太郎……など、後にさまざまな分野で活躍する少年たちも、多く含まれていた。それぞれが芳水の詩に心酔した思い出を語る文章からは、当時の少年たちの高揚した気分が、よく伝わってくる。大正三年に出版された『芳水詩集』は争って買われ、当時三百版を重ねた。
これほど活躍した詩人が、現在ほとんど知られていないのは何故だろうか、と素朴に思う。芳水の人と作品を、伝記的に綴った本書の最後で、著者も同じことをつぶやいていた。
「……詩人有本芳水は、文壇、詩壇から遠くはなれている。少年詩は、芸術的価値が低いというのだろうか。七五調の抒情の韻律は、所詮甘いというのだろうか。私の、いまも消えない疑問である」と。
少年少女向けの仕事というのは、きちんと評価されないまま、時代の忘れ物になってしまうことが、多いのかもしれない。その意味で本書は、詩人有本芳水を掘り起こした、意義のある一冊だと言えるだろう。
著者は、芳水と同じ兵庫県の生まれである。郷土の文学者について地元の研究者が語る場合、理屈ぬきの身びいきに辟易させられることが、しばしばある。タイトルの「わが心の」という文字を見たときには、正直言ってイヤな予感がした。が、本書は、むしろ淡々とした客観的な語り口だ。かえってそこに深い愛情が感じられ、気持ちよく読める。
もう一つ、見逃せない魅力がある。それは、芳水が生きた時代の文学界の雰囲気が、実によくわかることだ。
島崎藤村の『若菜集』や薄田泣菫の『暮笛集』に心を震わせた少年時代。「明星」の誌友会に出席したり、同人誌を作ったり、「文庫」に投稿したりした中学時代。早稲田大学では、北原白秋、若山牧水、飯田蛇笏、土岐善麿らと親しく交わり、河井酔茗の詩草社に参加した。実業之日本社に勤めてからは、与謝野晶子の評論の才能を引き出したり、竹久夢二に絵や詩を依頼したりして、彼は編集者としての才覚も見せる。
芳水像を浮かびあがらせるために、丹念に描かれたさまざまな人間関係。それがはからずも、生きた文学史となっているのである。
【この書評が収録されている書籍】
これほど活躍した詩人が、現在ほとんど知られていないのは何故だろうか、と素朴に思う。芳水の人と作品を、伝記的に綴った本書の最後で、著者も同じことをつぶやいていた。
「……詩人有本芳水は、文壇、詩壇から遠くはなれている。少年詩は、芸術的価値が低いというのだろうか。七五調の抒情の韻律は、所詮甘いというのだろうか。私の、いまも消えない疑問である」と。
少年少女向けの仕事というのは、きちんと評価されないまま、時代の忘れ物になってしまうことが、多いのかもしれない。その意味で本書は、詩人有本芳水を掘り起こした、意義のある一冊だと言えるだろう。
著者は、芳水と同じ兵庫県の生まれである。郷土の文学者について地元の研究者が語る場合、理屈ぬきの身びいきに辟易させられることが、しばしばある。タイトルの「わが心の」という文字を見たときには、正直言ってイヤな予感がした。が、本書は、むしろ淡々とした客観的な語り口だ。かえってそこに深い愛情が感じられ、気持ちよく読める。
もう一つ、見逃せない魅力がある。それは、芳水が生きた時代の文学界の雰囲気が、実によくわかることだ。
島崎藤村の『若菜集』や薄田泣菫の『暮笛集』に心を震わせた少年時代。「明星」の誌友会に出席したり、同人誌を作ったり、「文庫」に投稿したりした中学時代。早稲田大学では、北原白秋、若山牧水、飯田蛇笏、土岐善麿らと親しく交わり、河井酔茗の詩草社に参加した。実業之日本社に勤めてからは、与謝野晶子の評論の才能を引き出したり、竹久夢二に絵や詩を依頼したりして、彼は編集者としての才覚も見せる。
芳水像を浮かびあがらせるために、丹念に描かれたさまざまな人間関係。それがはからずも、生きた文学史となっているのである。
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朝日新聞
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