書評
『東アジアのなかの日本歴史〈2〉奈良文化と唐文化』(六興出版)
中国の学者が日本語で語った勇気
これは大変な企画である。たとえば、日本の学者がアメリカ人を読者に、英語でアメリカの通史を書く。こんなことを想像してみれば、その大変さがわかるであろう。はたして読者はどんな反応を示すであろうか。全く見当違いのことを書いているのではなかろうか。それに自分の依拠している研究はもう古いのではないかとも。そうした迷いやためらいを乗りこえて書くのであるから、すこぶる勇気が必要とされる。
だが王金林を始めとする十五人の中国の学者は、日本語で日本の歴史を日本の読者に語るという難事業に挑んだのである。本書はその全十三巻のうちの第二巻にあたり、初回配本である。
「東アジアのなかの日本の歴史」シリーズの最初の本が、遂に日本の読者諸氏にまみえる時が来た
このことばから著者の意気ごみがよく伝わってこよう。
私が率直に申し上げられることは、中国の学者の日本歴史についての認識は、欧米の学者のそれに比べより全面的であり、より客観的であるということである
この自負は大事である。著者は既に「古代の日本」を日本の読者あてに出しており、自信を深めている。初回配本に本書が選ばれたのも当然と言えよう。それにふさわしく本書のスケールは大きい。
まず唐文化の形成過程とその特徴を概観する。それを踏まえた上で、唐をモデルとした奈良王朝がいかに成立したかを政治制度、法、儒学・仏教のイデオロギー、文化の諸分野にわたって隅々までみていく。その視点は何よりもまず唐王朝にあり、それとの比較から奈良王朝を想定し、考察することにあった。唐文化の記述が煩瑣にすぎるほど詳しいのもそこからきていよう。著者は、
文化の交流は、ちょうど高山からの流水の如く、高いところから低いところへと流れ、先進国家・先進地域から後進国家・後進地域へと流動するものと見る
とまで言い切っている。そのため日本の文化・社会に内在する要素への目配りにやや欠ける点はあるが、三百数十ページの本に何もかもつめこむのも難しいであろう。
文章表現は流暢とは言い難いが、しっかりと書かれているので難解でない。また大化改新については、詳しい研究史が記されていて、中国での大化改新肯定・否定論への関心の高さがうかがわれ興味深い、ただ気になるのは、参照している日本人の研究業績がやや古い点で、多くは一九六〇年代までである。その後の研究の進展をどう評価しているのか聞いてみたい気がした。
さらに企画全体でいうと、日本の中世の部分が抜け落ちているのはどうしてか。東アジアの流動の時代だっただけに、どういう視点がもたれるのか聞いてみたいところである。
他国の歴史をその国のことばでその国の人に向かって語る。その意義がまことに大きいことを知らせてくれる、それが本書である。
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