解説

『夢の浮橋』(中央公論新社)

  • 2017/08/01
夢の浮橋 / 倉橋 由美子
夢の浮橋
  • 著者:倉橋 由美子
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(263ページ)
  • 発売日:2009-08-25
  • ISBN-10:4122051959
  • ISBN-13:978-4122051959
内容紹介:
大学で知り合い愛し合うようになった一組の若い男女。だが、期せずして自分たちの両親が、夫婦交換遊戯を長年にわたって続けてきたことに気づいてしまう。結婚を夢見る男女と、一方で両親たちが繰り広げる艶麗な恋愛譚を通じ、生涯“物語文学”を追求し続けた倉橋由美子が、古代神話、源氏物語等の系譜を織り込んだ意欲作。倉橋文学後期を代表する「桂子さんシリーズ」の第一弾である。
『夢の浮橋』は、中央公論社の文芸誌「海」一九七〇年七月号から十月号にかけて連載され、翌七一年五月に同社から単行本として刊行されました。倉橋由美子(一九三五—二〇〇五)三十四歳のときの長篇です。一九六〇年に「パルタイ」で鮮烈なデビューをしてから十年後の作品でした。一九七〇年が文学史上どういう年だったかざっと振り返っておきましょう。以下の作品が同じ年に発表されています。

沼正三『家畜人ヤプー』、埴谷雄高『闇のなかの黒い馬』、河野多恵子『回転扉』(以上単行本、以下雑誌発表)、金井美恵子「夢の時間」(「新潮」二月号)、古山高麗雄「プレオー8の夜明け」(「文芸」四月号)、吉田知子「無明長夜」(「新潮」四月号)、吉田健一「瓦礫の中」(「文芸」七月号)、三島由紀夫「天人五衰」(「新潮」七月号連載開始)、古井由吉「杳子」(「文芸」八月号)、佐多稲子「樹影」(「群像」八月号連載開始)、小川国夫「試みの岸」(「文芸」十月号)、古井由吉「妻隠」(「群像」十一月号)。

一九七〇年の「海」には武田泰淳「富士」、辻邦生「背教者ユリアヌス」なども連載されていました。「夢の浮橋」はそんな時代に、もっとも先鋭的と言われた「海」に発表されたのです。前年、一九六九年には東大安田講堂事件、東大入試中止がありました。「夢の浮橋」は学生運動がまさしくピークに達した時代を描いているという意味では、先に挙げたどの小説より時代を反映していると言えます。それは「スワッピング(夫婦交換)」を採り上げている点でも同様です。「花曇り」の章で言及されているジョン・アップダイクの小説『カップルズ』(一九六八)が翻訳されたのが一九七〇年で、マスコミでは「スワッピング」という言葉が流行していましたから、作者は「夢の浮橋」を書くにあたって、大学における学生運動とともに、当時はスキャンダラスというほかなかった性的概念を作品の中心に据えたということになります。しかし、ここが肝腎なところですが、「夢の浮橋」は政治の季節、近親相姦、スワッピングといった言葉から想像される通俗小説とはまったく異なる次元の濃密で奥深い作品でした。「嵯峨野」と題された最初の章は以下のように始まります。日曜日の嵐山です。 

三月初めの嵯峨野は地の底まで冷えこんで木には花もなかった。桂子が嵐山の駅に着いたのは正午まえで、耕一と会う約束の時刻にはまだ間があった。渡月橋まで歩いて嵐山を仰いだが、花のまえの嵐山は見慣れぬ他人の顔をして桂子のまえに立ちふさがっていた。

嵯峨野にはかつて藤原定家の別荘がありました。定家は「春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるゝよこ雲のそら」(新古今)の作者です。この歌は塚本邦雄のみごとな評言を借りるなら「源氏物語最終巻名『夢の浮橋』の幻を借景に、彼の理想とする餘情妖艶の美を、完璧に描き盡してゐる記念碑的作品」(『清唱千首』)ですから、当然『源氏』の世界との関わりを最初から読者に示していることになります。さらに言えば、京都を主要な舞台とした谷崎潤一郎の小品「夢の浮橋」(一九五九)の「日曜にはよく……嵐山電車で嵯峨野方面へ行つたりした」といった箇所を思い出す方もおいででしょう(谷崎の作品とは、あとで述べる主題とは別に「離れの茶室」がいまは昼寝に使われているといった細部でも似ているところがあります)。

渡月橋は桂川にかかる橋で、「桂」子の名前はもちろんのこと「夢の浮橋」の「橋」をも連想させます。最終章で再度三月の嵯峨野に来る桂子はまたしても渡月橋を渡ろうとしません。「中秋無月」の章には「知らぬまに橋をわたってもうひとつの世界に立っている自分を、辛うじて橋のこちら側に残った自分が見守っているようで、ふたりに分れた桂子はそのまま動くこともできなかった」という一節がありますが、うつつの世界では「橋」を渡らない桂子が、あやうい「夢の浮橋」は知らぬまに渡っているというのはきわめて秀逸な対比ではないでしょうか。

ところで、桂という名は月と深く関わっていますが、桂子の家には、桂離宮の「月見台」を模した「露台」があります。「中秋無月」の章で、桂子が東京の家で月見の用意をするところまでは描かれているのに、両親のいる京都では雨の夜となって、結局月は隠れてしまいます。桂子と恋人だった男が結婚を諦めるのが二つまえの「五月闇」の章、桂子が別の男との結婚を決心するのが次の「花野」の章です。月と縁の深い「桂」=桂子の苦悩を象徴するかのように月は隠れ、闇を演出していると言ってもいいかもしれません。一方、結婚の準備も始まる「霜夜」の章では、桂子の目に映った光景を非現実のものに変えてしまう月が描かれています。また、最終章では「満月みたいに輝いている」桂子の顔に差す翳のことがまさしく中秋の名月の夜の婚約者の台詞として書かれているのです。月は「夢の浮橋」にあっては欠くべからざる黒衣(くろご)として桂子のそばに仕えていると言えるでしょう。

「夢の浮橋」はこのようにひとつひとつの細部を読み解いてゆけば、その魅力を薫り高く解き放ってくれる、成熟した豊かな小説です。すぐれた小説論である『あたりまえのこと』(二〇〇一)の最終章で倉橋由美子は「小説の読み方」について次のように述べています。

一つだけルールがあります。それは、小説を読む時も、目で一行一行、正確に追って読んでいく、ということです。(略)飛ばし読み、拾い読み、斜め読みといった読み方はしないこと、(略)そうでないと、文章から「音楽」を十分に読みとって脳に送り込むことができません。

これに倣って「一行一行、正確に追って読んでいく」と、作品の背景に隠れているもの、表に際立っているものがよく見えてきます。作品の冒頭だけでもこれだけ重層的に書かれているのですから、作品全体を貫く十分に練られた思考の道筋、作品の構成、場面転換の妙、細部まで蔑ろにしない文体の見事さは比類がないと言ってもいいほどです。その例として、たとえば、こんな一節はどうでしょうか。接吻という行為を通じて、ここにはっきりと描かれているのは「脳が意識し、感覚をもっている自分というものの空間的な範囲」(『あたりまえのこと』)としての「からだ」です。端正であるだけにいっそうエロスを感じさせる一節というほかありません。
 
部屋を出るとき、先に立って扉をあけようとした堀田と胸が合う形になって、眼まで合うと、桂子はそのまま眼を閉じてもたれかかるようにしながら唇を受けた。唇が合ってしまうと離れがたい力が働きはじめたようで、桂子は舌を動かしながら長いくちづけをして体の力が抜けていった。

スワッピングや近親相姦などという、如何にも劣情を誘うようなテーマを採り上げながら作品がどこまでも優雅なのは、未熟を排する作者が大いなる「慎み」を自らに課しているからです。と同時に、そうした優雅さは作品の背後に、定家はむろん、『源氏物語』や谷崎の「夢の浮橋」、さらにはオースティンに代表される英国小説までもが見え隠れすることにも起因しているでしょう。『源氏物語』について倉橋由美子は「勧美懲醜」「賞優罰劣」の世界だと言っています(『あたりまえのこと』)。優雅と成熟の意味を知った知的な人間たちによる「スワッピング」や「近親相姦」のほうが、醜悪で野蛮愚劣なさまざまな非文明的行為よりはるかにましである。作者はこう言いたかったのかもしれません。

桂子が主人公として登場する小説はこの後も書かれてゆきます。『城の中の城』(一九八〇)『シュンポシオン』(一九八五)『交歓』(一九八九)の「桂子さんの物語四部作」、それに「桂子さんシリーズ」として『ポポイ』(一九八七)『夢の通ひ路』(一九八九)『幻想絵画館』(一九九一)『よもつひらさか往還』(二〇〇二)『酔郷譚』(二〇〇八)がありますが、人物たちはバルザック「人間喜劇」の「人物再登場法」と比べても遜色のない、というよりむしろ自由闊達とも言える「再登場」によって、あるときはオースティンの小説の人物のように、また、あるときは吉田健一の小説に登場する主人公たちのようにそれぞれにあてがわれた役を演じます。いずれの小説も「美味」というほかない芳醇な味わいを醸し出しています。桂子さんという主人公を造りだした『夢の浮橋』が倉橋由美子にとっても大きな転回点となったことがよくわかります。

ナボコフが『ヨーロッパ文学講義』で主張し、倉橋由美子も『偏愛文学館』で語っているように、文学の楽しみは「再読」によって倍加されます。あるいは再読できるかどうかが傑作と駄作を分ける基準になりましょう。『夢の浮橋』はまさに再読することによって、読書の喜びをより深く味わうことのできる「記念碑的」作品です。この文庫が読者のお手許に長く置かれることを心から祈ります。

追記。作品中で言及されるラテン語について註しておきましょう。

nil admirari

ホラティウスの詩の一節で「何事をも驚嘆せず」「何物にも心動かすことなし」(岩波書店『ギリシア・ラテン引用語辞典』による)を意味する言葉ですが、谷崎「夢の浮橋」にも「母のふつくらした豊かな頬には、いつものあの、ものに驚かない静かな微笑があつた」とあって、本作品との内的繋がりを感じさせます。
夢の浮橋 / 倉橋 由美子
夢の浮橋
  • 著者:倉橋 由美子
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(263ページ)
  • 発売日:2009-08-25
  • ISBN-10:4122051959
  • ISBN-13:978-4122051959
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大学で知り合い愛し合うようになった一組の若い男女。だが、期せずして自分たちの両親が、夫婦交換遊戯を長年にわたって続けてきたことに気づいてしまう。結婚を夢見る男女と、一方で両親たちが繰り広げる艶麗な恋愛譚を通じ、生涯“物語文学”を追求し続けた倉橋由美子が、古代神話、源氏物語等の系譜を織り込んだ意欲作。倉橋文学後期を代表する「桂子さんシリーズ」の第一弾である。

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