書評
『偏愛文学館』(講談社)
トヨザキ的評価軸:
◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
たとえば、世間では夏目漱石といえば晩年の長篇の評価が高いようだけど、自分の好みからすると『我輩は猫である』や『夢十夜』を快作としたいと述べ、その魅力を語り尽くした後のこんな一文、〈弟子にとりまかれた大文豪なんかにならず、大学の先生でもしながら気楽に小説を書いていれば、もっと型破りで面白い小説を書いたのではないかと思います〉。
また上田秋成を取り上げた章では、『新釈雨月物語』を編んだ際、気に入らない原文は訳さず切捨てた石川淳に〈これは石川淳の「見識」というよりも浅慮です。近代小説はこうでなくてはならないという窮屈な基準にあてはめてこんな切捨てを敢行するのは困ります。もう少し素直に秋成に付き合ってみる必要があります〉と苦言を呈したり、相手がどんな大作家であっても、倉橋さんの怜悧な筆はひるむということがないのです。
真っ当なことを真っ直ぐに書くのは、容易なことではありません。だからこそ、それができる人は信頼に値するのです。再読に耐える小説、過去の文学を典拠とした作家、主人公が現実と異なる世界に赴き、その行動によって異世界に内蔵されていた何かが動き出すという能や神話に似た構造の物語。倉橋さんが偏愛する、そうした特徴を持った書物を、倉橋由美子という作家への信頼ゆえに読んでみたくてたまらなくなる。倉橋文学を理解する助けにもなるこの本を、一人でも多くの読者に届けたい! それは、倉橋さんを慕う者の私情かもしれません。でも、今回ばかりはそれを許したいと思っている、ぐずぐずな自分がいるのです。
【この書評が収録されている書籍】
◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
孤高の作家倉橋由美子。その無類の率直さを伝える書評集
群れず、媚びず、独り黙々と創作に向かい合ってきたストイックな作家、倉橋由美子さんが過日亡くなりました。倉橋さんの小説論集『あたりまえのこと』(朝日文庫)の解説を務めたのをきっかけに、ご本人から電話をいただくようになり、亡くなるほんの十日前には夕食をご一緒する機会にも恵まれていたので、突然の訃報にはしばらく声を失いました。さらに個人的な話を続けるなら、わたしは作家とは極力つきあわないよう心がけています。作家と懇意になろうとも作品自体はまっさらな気持ちで紹介できる人なら社交も結構ですが、わたしには無理なのです。にもかかわらず、倉橋さんと淡い交流を重ねることを自分に許したのは、倉橋さんが決して徒党を組まない孤高の人だったからです。政治的な配慮や根回しとは一切無縁、真っ直ぐな人柄だったからなのでした。そして、その無類の率直さを伝えるのが、古今東西三十九冊の偏愛する書物を取り上げたこの書評集なのです。たとえば、世間では夏目漱石といえば晩年の長篇の評価が高いようだけど、自分の好みからすると『我輩は猫である』や『夢十夜』を快作としたいと述べ、その魅力を語り尽くした後のこんな一文、〈弟子にとりまかれた大文豪なんかにならず、大学の先生でもしながら気楽に小説を書いていれば、もっと型破りで面白い小説を書いたのではないかと思います〉。
また上田秋成を取り上げた章では、『新釈雨月物語』を編んだ際、気に入らない原文は訳さず切捨てた石川淳に〈これは石川淳の「見識」というよりも浅慮です。近代小説はこうでなくてはならないという窮屈な基準にあてはめてこんな切捨てを敢行するのは困ります。もう少し素直に秋成に付き合ってみる必要があります〉と苦言を呈したり、相手がどんな大作家であっても、倉橋さんの怜悧な筆はひるむということがないのです。
真っ当なことを真っ直ぐに書くのは、容易なことではありません。だからこそ、それができる人は信頼に値するのです。再読に耐える小説、過去の文学を典拠とした作家、主人公が現実と異なる世界に赴き、その行動によって異世界に内蔵されていた何かが動き出すという能や神話に似た構造の物語。倉橋さんが偏愛する、そうした特徴を持った書物を、倉橋由美子という作家への信頼ゆえに読んでみたくてたまらなくなる。倉橋文学を理解する助けにもなるこの本を、一人でも多くの読者に届けたい! それは、倉橋さんを慕う者の私情かもしれません。でも、今回ばかりはそれを許したいと思っている、ぐずぐずな自分がいるのです。
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