では、どこがどう凄いのか?
一つは、満洲国を牛耳っていた「二キ三スケ」すなわち関東軍参謀総長・東条英機、満洲国総務長官・星野直樹、満鉄総裁・松岡洋右、満洲国総務庁次長・岸信介、満洲重工業総裁・鮎川義介などの大物ではなく、彼らの下であるいは後継者として働いた実務官僚たちに焦点を合わせ、彼らの残した私的資料を探索・解読することで満洲国の別のイメージを鮮明に蘇らせたこと。
たとえば、関東軍と対立して第四代総務長官(満洲国の実質的トップ)を辞任し、戦後は文部大臣となった気骨あるリベラリスト大達茂雄。その満洲愛は『神ながらの道』で知られる帝大教授・筧克彦教授直伝の「天皇教」に基礎を置いているのだが、その一方で巣鴨の獄中日記に、天皇制の真善美から演繹すれば「武力侵略に利用されんとしていた天皇制をハッキリ武力(野蛮なる)から切り離し、その本然の光を発揚すべき端緒とせねばならぬ」と書きつけるような人物であった。また、撫順戦犯収容所などに十八年収容された総務庁次長・古海忠之は「民族協和」の信念を堅持するかたわら、関東軍の侵略的要素を認めたため、帰国後に立候補した参院選挙で落選の憂き目を見る。このように、その淵源には問題あるとしても、彼ら実務官僚のモラルが高かったのは紛れもない事実で、それが「傀儡国家」満洲国の外的イメージとは不思議な対照を成している。
第二は満洲国が日本人にとって「再チャレンジ、前歴ロンダリングが許される自由の天地」であった事実を見事に例証したこと。左翼活動で官憲に追われ、ハルビンで自殺を試みた、後の芥川賞受賞作家・八木義徳は化学会社就職後に満洲行きを選ぶが、その動機は自殺未遂直前に松花江畔で見た落日の記憶だった。「突然、言いようのない或る感情が強く私を襲った。それはいわぱ"郷愁"」というに近い感情だった」。ことほどさように満洲は転回左翼や転回右翼が引き寄せられてくる磁場であったが、この意味で傑作なのは星野満洲国総長官が催した帝人事件関係者パーティーである。「被告側では中心人物だった河合良成、台湾銀行頭取の島田茂、告発側の時事新報では森田久と和田日出吉、さらに担当検事だった平田勲」が集まり「みな、喜んで愉快に一夜を過ごした」という。
では、なにゆえ満洲国が再チャレンジ、前歴ロングリングの新天地になったか? それは人々の潜在意識に「二キ三スケ」ならぬ「一ヒコ一サク」すなわち大杉栄惨殺の罪を負いながら満映理事長なった甘粕正彦、張作霖爆殺の首謀者と目されたまま満洲炭礦理事長におさまった河本大作の『汚名がそのまま勲章』になるユートピアがそこにはあった」からだ。昭和史ファンの領野を広げてくれる傑作満洲国外伝。
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