現在は、みなさんが独立されて故郷に親御さんだけが住まわれている、ゆくゆくは実家に住む人が誰もいなくなってしまう、そんな状況ではないでしょうか?
とはいえ、日々忙しい中で、頭の片隅に実家の後始末への心配はあっても、現実の対処は先延ばしになってしまっている……という方も多いでしょう。
しかし、そうして先延ばしにした結果、
タレントの松本明子さんは、空き家になった実家の維持費に1800万円超。
にもかかわらず、売却時の初回査定額:約200万円。
――そんな大赤字を実際に出してしまったのです。
では、少子高齢化で空き家となる実家がますます増える中で、これから実家じまいに取り組む方は、どうしたらよいのでしょうか?
松本明子さんが自身の体験談を語りつつ、
「あの時どうすればよかったのか?」
「これから取り組む人の注意すべきことは何なのか?」等を
【空き家の専門家】【家財整理の専門家】【墓じまいの専門家】に質問して、
わかりやすく教えていただいた書籍
『実家じまい終わらせました!――大赤字を出した私が専門家とたどり着いた家とお墓のしまい方』より、今回、特別に体験談のパートから一部を抜粋して紹介します。
両親の夢のマイホームが、数十年後に悩みのタネに⁉
「TVチャンピオン」(テレビ東京)、「電波少年」「DAISUKI!」(ともに日本テレビ)――。デビューから鳴かず飛ばずだった私が、やっと忙しくお仕事をさせていただけるようになったのは20代半ばのこと。お給料が上がって生活にも少し余裕ができました。
そこで27歳のとき、そろそろ親孝行がしたいと思い、高松の両親を東京に呼び寄せ、賃貸マンションで一緒に暮らすことにしました。
両親も60代半ばになっていましたから、高松に二人でいるより、そのほうがいいと思ったのです。
両親が東京に来れば、実家は空き家になりますが、二人とも売るとか貸すとか、そんなことはまるで考えていなかったようです。
娘に誘われて上京したものの、当初は永住するつもりはなかったと思います。
その証拠に生活用具は一切合切残してきたし、年に2、3回は夫婦で高松に帰って、窓を開け、空気を入れ換えたり、掃除をしたりしていましたから。
先祖代々のお墓が高松にあるので、それも気がかりだったようです。
高松の実家は空き家になりましたが、厳しい芸能界の中でいつ帰ることになってもいいように、両親は私と同居を始めても実家の電気と水道は止めませんでした(ガスは火事が心配なので止めました)。
両親や私が年に何度か帰るだけですから、利用料はわずかなものですが、基本料金だけでも、1年で水道代が約1万2000円、電気代は母屋と離れを合わせて約8万円かかります。
ほかに固定資産税が年約8万円、火災保険(地震保険込み)が年約 10 万円。
合わせて年間で約27万円の維持費が少なくとも必要でした。
これが、その後続いていく実家の維持費の始まりでした。
「実家を頼む」――父が遺した重すぎる一言
結婚して私が主人の実家で暮らし始めて5年ほどした頃、父が病に倒れました。亡くなったのは2003年8月末。
父が亡くなる少し前に病室を見舞いました。
そのとき父は、じっと私を見つめて、一言、絞り出すように言いました。
「明子、実家を頼む」
これが遺言になりました。
何かあれば、いつでも帰れるように、これから先もあの家をずっと大事に守ってほしい――、父は最後までそう願っていたのです。
それにしても父の言葉は重かった。
実家の維持費に加えて、結婚するよりも前に賃貸を出てから両親と東京で購入していた戸建てのローン返済もあったので、正直、楽ではありませんでした。
両親が生きているうちは仕方がないけれど、維持費の負担を考えたら、将来的には実家を処分せざるを得ないかな、と心のどこかで思っていたのです。
ところが、父に「頼む」と言われてしまった。
先々どうしたらいいものか……。
父が一生懸命に働いて遺した家。
しかも私の将来を気にかけて遺した家です。
やっぱりそう簡単に手放すわけにはいかないよ――。
「頼む」と言った父の顔を思い浮かべながら、そう自分に言い聞かせました。
でも、そのときは、遠方にある実家の維持管理が、どれだけ金銭的にも体力的にも負担のあるものなのか、まだ想像もできていませんでした。
人が住まない家の傷みは、早いものがあります。
換気などをするための帰省の交通費、夏に伸び放題に成長する庭木の剪定代、修繕のためのリフォーム代等々……。
実家の維持費は、その後どんどんかさんでいったのでした。
【書き手】松本明子
本稿は『実家じまい終わらせました!大赤字を出した私が専門家とたどり着いた家とお墓のしまい方』(祥伝社)より抜粋のうえ作成