書評
『歴史のなかの米と肉』(平凡社)
米に価値観収斂した天皇制
日本人の食生活は様変わりしつつある。朝食をパンと紅茶で済ませる人も少なくない。そこに米の輸入自由化が押し寄せる気配で、稲作農家の旗色は芳しくない。肉の摂取量も大幅に増えた。フランス料理を食べながらワインに蘊蓄(うんちく)を傾けたりするのはいまどきの風俗だが、考えてみれば洋食でなくとも韓国料理で焼き肉を食べる楽しみは以前からあった。江戸時代まで肉食はタブーだったが、隣国ではあまりそういう話を聞かない。なぜなのか。
こうした食生活の疑問を米と肉を対立図式のなかにおきながら問い詰めていけば、天皇制と差別問題の発生を実証的に説明できる、というのが本書の斬新(ざんしん)な視点なのである。
縄文時代の日本列島は狩猟・漁撈(ぎよろう)・採集が主流だった。弥生時代に入ると稲作が始まるが、まだ肉は排除の対象になっていない。天皇を中心とする律令国家が生まれると、米を中心とする農作物に国の基本が置かれ、海と山の魚介や鳥獣は従とされていった。とはいえ大嘗祭(だいじようさい)の儀礼は米のみに限定されたわけでない。肉食を禁じた法令(肉食禁止令)は六七五年(天武天皇四年)に初めて登場する。だが禁忌は四月から九月までだった。肉食は農耕の妨げになるから禁止されたのだ。この指摘は重要である。天皇を頂点とする米を中心とした租税体系が肉を忌避したのであり、定説である仏教の穢(けが)れの観念は、その後に重層的に浸透していくのである。
朝鮮半島でも農耕のための肉食は控えられたが日本のように肉の禁忌が一般化しなかったのは、李朝の崇儒排仏政策などにもよるが日本ほど極端に米に価値観が収斂(しゅうれん)することがなかったからだ。
明治維新で西洋をモデルとした文明開化の波が押し寄せてきた明治四年、宮中において肉食禁止令が解かれ、長い間の肉タブーはこうして消える。しかし、日本人の食生活の転換は外発的なものだからいまも差別が残っている、と著者は言いたいのだろう。
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