書評

『承久の乱と後鳥羽院』(吉川弘文館)

  • 2022/11/28
承久の乱と後鳥羽院 / 関 幸彦
承久の乱と後鳥羽院
  • 著者:関 幸彦
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(282ページ)
  • 発売日:2012-09-01
  • ISBN-10:4642064524
  • ISBN-13:978-4642064521
内容紹介:
鎌倉と京、公武権力構図の転換点とされる承久の乱。治天の君=後鳥羽院が歌に込めた「道ある世」への希求とは何だったのか。諸史料を中心に、協調から武闘路線への道をたどり、隠岐に配流された後鳥羽院のその後にも迫る。

「敗者の歴史」真実に迫る

よく「歴史とは勝者の歴史だ」といわれる。それは確かに「歴史」の本質の一面を突いている。勝者によって敗者側は断罪され、敗者側の史料はほとんど残らない。それゆえ、よほど強い「史観」を持たないと、敗者の歴史を描くことなどは困難である。そうした困難に挑み歴史の真実に迫ろうとする企画が編まれた。吉川弘文館のシリーズ「敗者の日本史」で、第1作が本書である。著者の関幸彦は日本大学文理学部教授で、日本中世史研究の碩学(せきがく)の一人である。

まず、タイトルが目を引く。通常は「承久の乱と鎌倉幕府」がスタンダードであるが「承久の乱と後鳥羽院」とした点に、敗者に注目した承久の乱論であることが端的に示されている。承久の乱は、1221(承久3)年5月から6月にかけて後鳥羽上皇が起こした倒幕事件である。結果は、周知の如(ごと)く後鳥羽上皇方が敗れ隠岐島に配流され、上皇方の公卿(くぎょう)・武士たちが処断された。この乱の後、鎌倉幕府の勢威が全国に及ぶようになった、鎌倉幕府史上の一大転換点である。

これまで承久の乱は、鎌倉幕府側からの視点で描かれることが普通であり、後鳥羽上皇の無謀さが強調されがちであった。しかし、本書を読むと、後鳥羽上皇方にも多くの武士・公卿が結集していたことや、北条氏と三浦氏との対立といった幕府内部の分裂が起これば、幕府方も敗れていたかもしれない点がわかり、興味ぶかい。

源実朝が官位・官職を望んだことはよく知られているが、後鳥羽上皇は官職授与権を梃子(てこ)に、鎌倉幕府を王権に取り込もうとしていた、という。それにしても、後鳥羽方についた公卿の中には、一条信能や坊門忠信のように、実朝が暗殺された右大臣拝賀の儀に参列していた者がいた。源実朝(源氏3代)が王朝との協調路線のための「安全弁」の役割を果たしていたとの指摘は大いに示唆に富んでいる。また、後鳥羽上皇は歌人としても著名であるが、「遠島百首」という配所での和歌を史料として使おうとするなど、随所に史料的な制約を超えんとする試みがなされている。大いに薦めたい一書だ。

[書き手] 松尾  剛次(まつお けんじ・山形大人文学部教授)
承久の乱と後鳥羽院 / 関 幸彦
承久の乱と後鳥羽院
  • 著者:関 幸彦
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(282ページ)
  • 発売日:2012-09-01
  • ISBN-10:4642064524
  • ISBN-13:978-4642064521
内容紹介:
鎌倉と京、公武権力構図の転換点とされる承久の乱。治天の君=後鳥羽院が歌に込めた「道ある世」への希求とは何だったのか。諸史料を中心に、協調から武闘路線への道をたどり、隠岐に配流された後鳥羽院のその後にも迫る。

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初出メディア

山形新聞

山形新聞 2012年10月21日

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