前書き

『世界を変えた100の手紙 上: 聖パウロからガリレオ、ゴッホまで』(原書房)

  • 2023/03/16
世界を変えた100の手紙 上: 聖パウロからガリレオ、ゴッホまで / コリン・ソルター
世界を変えた100の手紙 上: 聖パウロからガリレオ、ゴッホまで
  • 著者:コリン・ソルター
  • 翻訳:伊藤 はるみ
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(216ページ)
  • 発売日:2023-01-23
  • ISBN-10:4562072512
  • ISBN-13:978-4562072514
内容紹介:
古代ローマの石板、ダ・ヴィンチ、アインシュタインなど、古代から現代まで、戦禍や災害を逃れて人類に残されたさまざまな手紙、書状、メッセージ、郵便物、遺書、通信、電報などを100件選び、手紙の内容と背景を解説する。
世界を変えた100の手紙 下: ライト兄弟からタイタニック号の乗客、スノーデンまで / コリン・ソルター
世界を変えた100の手紙 下: ライト兄弟からタイタニック号の乗客、スノーデンまで
  • 著者:コリン・ソルター
  • 翻訳:伊藤 はるみ
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(216ページ)
  • 発売日:2023-01-23
  • ISBN-10:4562072520
  • ISBN-13:978-4562072521
内容紹介:
古代ローマの石板、ダ・ヴィンチ、アインシュタインなど、古代から現代まで、戦禍や災害を逃れて人類に残されたさまざまな手紙、書状、メッセージ、郵便物、遺書、通信、電報などを100件選び、手紙の内容と背景を解説する。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

歴史の転換点になったメモや、世界的スキャンダルになったメール、感動的なメッセージや夫への遺書、新大陸発見の報告書など、ユニークな手紙を紹介する書籍『世界を変えた100の手紙』から「はじめに」を特別公開します。

獄中からの手紙、送られなかった手紙など、歴史の残る手紙の数々

古代から現代まで、戦禍や災害、弾圧を逃れて人類に残されたさまざまな手紙、書状、メッセージ、通信、電報などを選び、その内容と背景を解説する。書かれた言葉には、読む人にインスピレーションを与え、驚かせ、楽しませる力がある。古代ローマ帝国の生活を生き生きと描き、国王へ新大陸発見が報告され、戦いの前夜に提督から手形信号旗で艦隊にメッセージが送られた。歴史のターニングポイントとなった簡潔なメモや、世界的スキャンダルとなったメールにいたるまで衝撃的な手紙を年代順に収録している。

人類が言葉を文字として記録することを覚えて以来、手紙は歴史の上でさまざまな役割を果たしてきた。国家の運命を左右するような極めて重要な手紙や大事件の記録を後世に伝えた手紙もあるが、そうでなくとも今に残る手紙の多くは、過去のある時点の生活についていろいろなことを私たちに考えさせてくれる。

親愛なる読者の皆さんへ

ここで前書きに代えて、皆さんに短い手紙を書くのも一興かと思う。そもそもこれは有名無名を問わず、さまざまな人々がこれまでに書いてきた手紙についての本なのだから。これから見ていく中には私的な内容の手紙、公的な手紙、公開された手紙があり、命令する手紙もあれば服従を拒否する手紙もある。初めての手紙、受取人から次の受取人へと次々に書かれたチェーンレター、最後の手紙、失われた手紙、電報、そして開戦前夜に送られた決定的なメッセージもある。

結果的に見れば歴史を変えることになった手紙もあれば、そうならなかった手紙もあるが、いずれにせよ歴史上の意味があることに変わりはない。79年のヴェスヴィオ火山の噴火を目撃した小プリニウスの体験は歴史を変えはしなかったが、彼がタキトゥスに送った手紙に記した目撃談によって、後世の考古学者たちは噴火により埋没したポンペイおよびヘルクラネウムを発掘するための手がかりを得ることができたのだ。小プリニウスの叔父にあたる大プリニウスは噴火の調査中に死去したが、克明な記録を残しており、後世の火山学者はこのヴェスヴィオ火山と同タイプの噴火を彼の名にちなんでプリニー式噴火と呼んでいる。

個人的な心情をさらけ出す内容の手紙もある。たとえばヘンリー8世が新しい愛人アン・ブーリンにあてた恋文は、なぜか今はバチカン市国にたどり着いてそこの図書館に保管されている。個人的な心情といえば、ピエール・キュリーがやがて彼の妻になるマリアに宛てた、単なる研究仲間としての関係を越えて生涯のパートナーとなるきっかけとなった手紙もある。それはパリでの留学期間を終えて祖国ポーランドに帰ることになっていたマリアに、パリで研究を続けるよう誘う内容の手紙だった。

手紙を受けとったことで人生が変わり、世界に大きな変化をもたらす結果となった科学者はマリー・キュリーだけではない。若き日のチャールズ・ダーウィンに、イギリス海軍の測量船ビーグル号が同行する博物学者を募集していることを知らせたのは、彼に日常的に届いていたいくつかの通知のうちの1通だった。しかしそれに応じたダーウィンは、ビーグル号による5年間の旅から彼の「自然選択説」の着想を得たのである。現代科学の先駆者たちによる報告の中には、1609年にガリレオ・ガリレイが自作の望遠鏡で発見した木星の衛星について記した手紙、ライト兄弟が歴史的な初飛行を終えた直後に送った電報もある。レオナルド・ダ・ヴィンチが1480年頃にミラノ公に送った履歴書と添え状には、彼ならではの輝かしい経歴が書かれている。

あるいはまたロバート・オッペンハイマーに原子爆弾の開発を推進するよう促した手紙もあるが、興味深いことに、その手紙は原子爆弾に直接言及してはいない。彼の経歴の始まりを告げたのがその手紙だとしたら、終わりを告げたのは彼を共産主義者のスパイだと訴えたウィリアム・ボーデンの手紙だった。オッペンハイマーが生みだしたもの──原子爆弾──は世界を破滅の一歩手前まで追いこんだこともあった。1962年のキューバ危機だ。しかしソ連首相ニキータ・フルシチョフとアメリカ大統領ケネディとのあいだで交わされた書簡により、最悪の事態は回避された。

オッペンハイマーのスパイ疑惑は濡れぎぬだったが、この本にはスパイ行為にかかわる手紙もたくさん出てくる。イギリス植民地マサチューセッツ州の総督の真意をベンジャミン・フランクリンに秘かに伝えた手紙があり、ジョージ・ワシントンがアメリカで最初のスパイ組織の創設を認める手紙もある。ソ連のスパイだったイギリス人ガイ・バージェスについて、共産主義にかぶれていた時代をふりかえってはしかにかかっていたようなものだと記した手紙もある。

イギリスのスパイ組織は16世紀にすでに成立しており、スコットランド女王メアリーとその配下がイングランド女王エリザベスの暗殺についての謀議をこらす手紙を入手し、エリザベスの暗殺を未然に防いだこともあった。第二次世界大戦中、イギリスのブレッチリー・パークにあったドイツ軍の暗号を解読するための組織が、チャーチル首相に予算の増額を直訴した手紙もある。のちに彼らがドイツ軍の暗号解読に成功したおかげで、戦況が連合国側の有利に傾いたとも言われている。

歴史を振りかえれば、何百万もの人々の運命を変えた憎むべき戦争がいくつもあった。この本で最初に採りあげた手紙は、古代ギリシアで勢力を拡大していたマケドニアの王から送られた降伏を迫る手紙に、スパルタの指揮官が答えた誇り高くも素っ気ない手紙だ。ほかにも同盟国の指導者(ローズベルトとチャーチル、ヒトラーとムッソリーニなど)が交わした手紙、敵国の指導者に送った手紙(ナポレオンがロシアのアレクサンドル1世に送ったものなど)、勝者と敗者が交わした手紙もある。南北戦争のさなかに北軍のシャーマン将軍が陥落させたアトランタの市民に宛てた手紙は、戦争には非情な行為が必要なこともあると静かにていねいに語っていた。一方、真珠湾が攻撃されたことを伝える第一報は、短く簡潔な電報だった。

戦時の手紙には個人の心情を家族に語ったものもある。南北戦争に従軍していたサリバン・バルーが戦闘の前夜に妻セアラへの愛情をこめて書いた手紙は、1861年のブルランの戦いで戦死した彼の私物から見つかった。第一次世界大戦に従軍した戦争詩人ジーグフリード・サスーンが新聞社に送った公開状は大義を失った戦いを続ける軍の指揮官を批判していたが、結果的に彼は戦死を免れることができた。ジョン・F・ケネディ元大統領は第二次世界大戦中に乗っていた哨戒魚雷艇が沈没し、南太平洋の無人島から救出を求める手紙をヤシの実の殻に掘りつけて近くを通った小舟の現地人に託した。

現代のスパイは軍事よりビジネスや政治にかかわる秘密を探ることが多いようだ。ホワイトハウスの秘密機関員だったジェームズ・マッコードがウォーターゲート・ビル侵入事件の真相を告白する文書を裁判官に提出したことで、事件は大統領を巻きこむ大スキャンダルになった。近年は勇気ある内部告発者が現れるようになり、アメリカの巨大エネルギー企業エンロンからアメリカ国家安全保障局まで、さまざまな組織の悪事があばかれている。自分が不利益をこうむる可能性を知りながらもあえて不正をあばいた内部告発者たちのおかげで、社会は少しずつ透明性を増し、よい方向に向かっている。

イギリスではイランで大量破壊兵器の査察を行ったデイヴィッド・ケリー博士が国防省に宛てた手紙で、ブレア首相がイラク戦争に参戦するために利用した「疑惑の調査報告書」に疑念を示したのは自分だと認めた。報告書に関する疑惑が報道されると、博士はマスコミと政治家の両方から追及されることになる。多くの関係者が巻きこまれ、博士自身は自殺に追いこまれた。自殺といえば、遺書だ。遺書を読むのはつらいことだが、興味深くもある。ヴァージニア・ウルフが夫に宛てた遺書は、読む者の胸をしめつけるような悲痛なものだった。フランスの詩人ボードレールが遺書のつもりで恋人に書いた手紙もある。彼はその手紙を書いてから自分の胸を刺したが傷は急所を外れ、彼は死ぬ代わりに素晴らしい傑作を書くことになる。

この本には画家や音楽家の手紙もある。世界中の子どもに愛されているビアトリクス・ポターのピーターラビットの物語は、ポターが友人の子どもである幼い少年のために書いた絵手紙が始まりだった。フィンセント・ファン・ゴッホは弟のテオに宛てた手紙で芸術論を展開している。モーツァルトが死の直前に妻に書いた手紙を読めば、彼がいかに作曲の仕事に追われる多忙な日々を過ごしていたかがわかる。ポップ・ミュージシャンに関する手紙もある。若いころのビートルズが、当時のイギリスで最大のレコード会社からオーディション落選の手紙を受けとったとは信じられない話だが、事実だった。

オスカー・ワイルドの手紙も出てくる。ただし彼らしい機知にあふれる言葉を連ねたものではなく、レディング刑務所に収監された彼がそれまでの自分の荒れた生活を省みて書いた手紙だ。マルティン・ルーサー・キング・ジュニアも刑務所から、彼がそこに入る原因となった人種差別反対運動に対する批判に反論する公開状を書いた。ロシアの反体制女性パンクロック・グループ「プッシー・ライオット」のメンバー、ナジェージダ・トロコンニコワは教会の聖堂内でライブ・パフォーマンスをした「フーリガン行為」の罪で拘留されていた刑務所で哲学の大学教授と文通し、意見を交換していた。

キングと同様に南アフリカのネルソン・マンデラが書いた、何世紀も続くアフリカ系アメリカ人やアフリカ先住民の市民権闘争に関する手紙もある。アメリカ合衆国の理想を語るエイブラハム・リンカーン、ジョージ・ワシントン、ウィリアムズとエレノアのローズベルト夫妻が書いた手紙もある。不平等との戦いは人種問題だけではない。2018年に新聞に掲載された「タイムズ・アップ(もう終わりにしよう)」と書かれた公開状には、エンターテインメント業界で働く300人の女性たちが署名していた。公開状は、芸能界に限らずあらゆる場面で優位な立場の男性による性的虐待がある現実を訴え、その防止を求めていた。1776年、アビゲイル・アダムズは夫でアメリカ合衆国建国の父のひとりだったジョン・アダムズに宛てた手紙で、彼が起草に加わっていた合衆国憲法には女性の地位を守る条項を入れてほしいと書いたが、夫のジョンはそれを妻の冗談と見なしていた。「タイムズ・アップ」の公開状がアビゲイルの手紙より大きな変化をもたらすことを願わずにはいられない。

この本で採りあげた手紙はどれも、何か私たちに訴えかけるものがある。手紙を書いた人物、あるいは受けとった人物と私たちとのあいだを強く結びつけ、それが書かれた時代と現代をつなぐ何かがある。手紙を記した紙、インク、そこに書かれた文字を目にすれば、その時代が生き生きと感じられる。

私は手紙が好きだ。封筒に入って、消印を押され、コンピューターのメールボックスではなく、実体のある郵便受けに配達された手紙が好きだ。今は誰でもEメールをやりとりし、紙に書かれた手紙は姿を消しつつある。しかしどんなに私的なやりとりでも、Eメールは完全に私的なやりとりではあり得ない。

Eメールは手書きではない。書き手が選んだ便箋に書かれていない。プロバイダーや国家の安全保障機関などに読まれる可能性がある。見た目はどれも同じようなもので、うっかりキーボードに触れればデリートされてしまう。香りもない! きれいな箱に入れてとっておくことも、札入れにしのばせて身につけ、ときどきそっと読みかえすこともできない。いとしい宝物にはなり得ない。

さて、私の手紙への愛を語るのはこの辺にしておこう。この本が気に入っていただければ嬉しく思う。もし気に入ったら、私に手紙を書いてくれませんか?


ご多幸を祈りつつ

コリン・ソルター

[書き手]コリン・ソルター(ノンフィクション・ライター)
マンチェスターメトロポリタン大学(イギリス)とクイーン・マーガレット大学(スコットランド・エディンバラ)で学位を取得。邦訳書に、『歴史を変えた100冊の本』(エクスナレッジ)、『世界を変えた100のスピーチ 上・下』、『世界で読み継がれる子どもの本100』(以上、原書房)などがある。

世界を変えた100の手紙 下: ライト兄弟からタイタニック号の乗客、スノーデンまで / コリン・ソルター
世界を変えた100の手紙 下: ライト兄弟からタイタニック号の乗客、スノーデンまで
  • 著者:コリン・ソルター
  • 翻訳:伊藤 はるみ
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(216ページ)
  • 発売日:2023-01-23
  • ISBN-10:4562072520
  • ISBN-13:978-4562072521
内容紹介:
古代ローマの石板、ダ・ヴィンチ、アインシュタインなど、古代から現代まで、戦禍や災害を逃れて人類に残されたさまざまな手紙、書状、メッセージ、郵便物、遺書、通信、電報などを100件選び、手紙の内容と背景を解説する。

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世界を変えた100の手紙 上: 聖パウロからガリレオ、ゴッホまで / コリン・ソルター
世界を変えた100の手紙 上: 聖パウロからガリレオ、ゴッホまで
  • 著者:コリン・ソルター
  • 翻訳:伊藤 はるみ
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(216ページ)
  • 発売日:2023-01-23
  • ISBN-10:4562072512
  • ISBN-13:978-4562072514
内容紹介:
古代ローマの石板、ダ・ヴィンチ、アインシュタインなど、古代から現代まで、戦禍や災害を逃れて人類に残されたさまざまな手紙、書状、メッセージ、郵便物、遺書、通信、電報などを100件選び、手紙の内容と背景を解説する。

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