本書から、なぜ炭治郎と禰豆子だけが生き残ったのかを考察した部分を抜粋してお送りします。
物語の始まり
主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)は、6人兄弟の長男である。炭治郎を筆頭に、下に5人の弟妹がおり、山奥の一軒家で母と暮らしている。ある日、炭治郎は1人で町へ炭を売りに行くことになった。帰りに暗くなったので一晩、町の知り合いの家に泊めてもらい、家に帰ると鬼に母と弟妹を殺されていた。唯一生き残ったのがすぐ下の妹、禰豆子(ねずこ)である。しかし禰豆子は、鬼の血を浴びて鬼になってしまっていた。炭治郎は、禰豆子とともに、禰豆子をもとの人間に戻す術を、鬼と闘いながら探ろうと故郷を後にする。
これが『鬼滅の刃』の全23巻の物語の発端である。昔話研究者から見ても、これぞお話!という秀逸な始まり方である。
主人公は孤立し、極端
スイスの昔話研究者マックス・リュティ(1909 – 1991)は、昔話の語りの作法を文芸的に分析した人だ。彼によると、昔話は極端性を好み、昔話の主人公は孤立した存在であるという。つまり兄弟であるなら一番下もしくは一番上、一番愚か、一番美しいなど、周りと比べて際立った存在であるのが主人公の条件である。たとえば、 〝シンデレラストーリー〟でおなじみのシンデレラが分かりやすい。シンデレラは、苦労の末、最後は王子様にガラスの靴を拾われて、幸せな結婚をする。彼女も3人姉妹の一番下で、一番美しかった。継姉が2人、亡き前妻の子どもは自分1人しかいない。父は不在がちで、継母、継姉たちに灰かぶりと言われこきつかわれた。暖炉のそばで寝て灰をかぶっていたので、シンデレラ(灰かぶり)と呼ばれ、みすぼらしい姿でいじめられて疎外されていた。まさしく孤立した存在である。炭治郎も兄弟の一番上で、たった1人難を逃れるという特別な存在であった。そしてもう一人の重要人物、ヒロインでもある妹の禰豆子も鬼の襲撃の中でたった1人、鬼と化しながら生き残る。彼女もまた孤立をした異彩を放つ存在と言える。炭治郎と禰豆子は、父もすでに亡くし、母と4人の弟妹も一度に亡くしている。しかも山奥の一軒家である。両親も他の弟妹もいなくなった中で、たった2人だけが雪に覆いつくされた山に取り残される。炭治郎と禰豆子は極めて孤立した存在と言えよう。
炭治郎と禰豆子だけが生き残ったわけ
何より、家族の中で炭治郎とそのすぐ下の妹の禰豆子だけが生き残ったのには理由がある。日本の物語では古来より、男子が苦難を乗り越えるためには「妹の力」が大切なものなのだ。民俗学・文化人類学者で、妖怪や鬼の研究で名高い小松和彦(1 9 4 7― )は、 『鬼滅の刃』に見られる「妹の力」を指摘し、炭治郎と禰豆子が「夫婦ではなく兄弟姉妹の関係であるというのが日本的だと思いました」と述べている。日本の物語の形としては「妹の力」が必要で、生き残るのは炭治郎に一番近しい妹、禰豆子でないといけないのだ。柳田國男の「妹の力」
この「妹の力」に注目したのは、日本の民俗学を語る時に避けて通れない柳田國男(やなぎたくにお)(1875 ― 1962 )である。柳田は、大正14年(1925 年)10月の『婦人公論』 (中央公論社)に「妹の力」というタイトルの論稿を載せた。のちに、他の論稿もまとめて昭和15年に『妹の力』という書籍を創元社から出版している。この中で柳田は、 「祭祀・祈禱の宗教上の行為は、もと肝要なる部分がことごとく婦人の管轄であった」としている。そして自然を相手にして戦い、他の部族と闘う男にとって「女子の予言の中から方法の指導を求むる必要が多く、さらに進んでは定まる運勢をも改良せんがために、この力を利用する場合が常にあった」と指摘している。
つまり、男性が政治を行い、女性が神の声を聞き、神のお告げを伝え助言するという巫女となり、双方が力を合わせて部族を治めていく形だ。これが次第に、血縁的な妹だけではなく、妻など女性全般の力と考えられていく。しかし元々は、兄妹間の力である。柳田は、沖縄では古来より女性が宗教的側面を担っており、血縁である兄を守護する霊力があるという信仰が多く残っていることを紹介している。例えば、男が旅に出るときには、妹、もしくは姉の髪の毛をお守りとして持ってゆく習慣があった。
この他郷へ赴くときに女性の力がお守りになるという考えは、日中戦争から太平洋戦争までに盛んにおこなわれた千人針にも見て取れる。千人針とは、戦地に赴く男性が無事に戻るように願いを込めて、女性たちに布へ赤い糸で一つずつ結び目を作ってもらいお守りとしていたものである。これは多くの人の力を得るということとともに、やはり女性の「妹の力」に頼る力が根底にあると思われる。
東北の6 人兄弟と妹の話
また柳田は、 「最近に自分は東北の淋しい田舎をあるいていて、はからずも古風なる妹の力の、一つの例に遭遇した。 」として次のような話も紹介している。「盛岡から山を東方に超えて、よほど入り込んだ山村である。地方にも珍らしい富裕な旧家で、数年前に六人の兄弟が、一時に発狂をして土地の人を震駭せしめたことがあった。詳しい顛末はさらに調査をしてみなければならぬが、何でも遺伝のあるらしい家で、現に彼らの祖父も発狂してまだ生きている。父も狂気である時仏壇の前で首を縊って死んだ。長男がただ一人健全であったが、重ね重ねの悲運に絶望してしまって、しばしば巨額の金を懐に入れ、都会にやって来て浪費をして、酒色によって憂いを紛らわそうとしたが、その結果はこれもひどい神経衰弱にかかり、井戸に身を投げて自殺をしたという。村の某寺の住職は賢明な人であって、何とかしてこの苦悶を救いたいと思って、いろいろと立ち入って世話をしたそうだが無効であった。この僧に尋ねてみたらなお細かな事情がわかるであろうが、六人の狂人は今は本復している。発病の当時、末の妹が十三歳で、他の五人はともにその兄であった。不思議なことには六人の狂者は心が一つで、しかも十三の妹がその首脳であった。たとえば向うから来る旅人を、妹が鬼だというと、兄たちの眼にもすぐに鬼に見えた。打ち殺してしまおうと妹が一言いうと、五人で飛び出して往って打ち揃って攻撃した。屈強な若い者がこんな無法なことをするために、一時はこの川筋には人通りがたえてしまったという話である」
これは妹が託宣する巫女であるかのように、兄たちはみな妹の言葉に従ってしまうという奇妙な話である。 『鬼滅の刃』も、最終選別の手鬼と炭治郎の会話から物語の始まりは大正2年、最終選別は大正4年に行われていることが考えられる(1巻第7話「亡霊」)。
奇しくもこの話が報告されている時期と近く、炭治郎たちと同じ6人兄弟であることは偶然であろうか。そしてこの話からも、鬼が現代よりももっと身近な存在であったことを彷彿とさせる。
[書き手]久保 華誉(くぼ・かよ)
1975年、静岡県富士市生まれ。聖心女子大学卒業。國學院大學大学院修了、博士(文学)。野村純一教授に師事。国立国会図書館国際子ども図書館非常勤調査員(学芸員)、立教女学院短期大学非常勤講師などを勤めた。現在、東京女子大学非常勤講師。主著に『日本における外国昔話の受容と変容―和製グリムの世界』(三弥井書店、2009年)、児童書の『怪談オウマガドキ学園』(童心社)シリーズで昔話の再話を分担執筆。日本昔話学会委員、日本口承文芸学会、日本民話の会、日本野鳥の会会員。物語に連なる古今東西の芸術に関心を持ち、ピアノはDIAPASONとPETROFを愛奏。