青山・表参道の交差点に立って思うこと
来信の溜まる長旅三月尽
行く春や皆戦争を知らぬ人
のどかな昼下がりの表参道は若者たちで賑わっている。どこからか桜の花びらが飛んできて肩に降りかかる。誰もこの表参道の交差点に立つ大きな石灯籠の下に、大空襲の酸欠で死んだ人々が山のように積み重なっていたことを知る人はいない。
マグロ船に乗っていた時、(無線)局長の立浪昇さんが話してくれた。立浪さんは高知の大月町の人で戦争に取られて通信兵になったそうだ。沖縄戦で牛島司令官と行動を共にして司令部の無線係を務めた。ひめゆり部隊が洞窟で解散したときは、皆で勝利の歌を唄って別れたという。生徒一人一人に軍属が付いて親もとへ出発した。結果は悲劇に終わったが語り伝えられている様に無責任に解散を命じたことはない。日本軍の規律は厳としていたのだと。司令官自決の後に洞窟を脱出したが銃撃で倒れ、気が付いたらば爆撃で出来た窪地に寝かされていたんだ。いよいよ殺されると覚悟を決めたら、米兵がキャラメルを溶かして飲ませてくれて生き返ったそうだ。
あれほど損害を出したのだからアメリカだって、そう簡単に沖縄は返さんでしょうという。あの時、立浪さんの語りは昭和三十五年のことだった。それから沖縄が返還されるまでに十年以上掛かったことになる。
隠岐の島へ旅した時、ハルピンから引き揚げてきたオバサンに話を聞いた。ソ連が参戦してきて男たちは根こそぎ動員された。やがて満州の奥地から避難民が続々と町へ逃げ込んでくる。中には身ぐるみ剝がされて炭俵をまとっている女性もいる。
侵入してきたソ連兵が軒並み略奪に繰り出してくる。男たちのいなくなった宿舎を襲い強姦と暴行をほしいままにする。抵抗すればその場で射殺だ。ハルピンは露助(ソ連兵)で地獄にされたという。
ソメイヨシノの花吹雪の下を、のどかに歩く人々を見ると平和の有難さが身に沁みるのはアタシたちの世代までなのだろうか。
出船みな明りの灯る秋の夕
妻を得て川を渡りし水澄む日
かの英雄がルビコン川を渡ったようにアタシも若い時に人生の川浪を渡ったものだ。カミさんと一緒になったときがそれサ。生まれた時から天涯孤独の人生を歩んできたものだから、結婚するまでは身をゆだねるナニモノもなかったんだよ。川を渡るまではホント何もなかった。人間にとって一番大切なものは愛なんだよ。川を渡ってその愛を手にしたんだね。カネとか名誉というものは努力すればなんとかなるが、愛というものはチカラだけではなんともならん。だからカネでは買えないのだ。愛は真心で授かるものなのだ。
アタシが世間をスーッと渡ってこられたのはカネでは買えない真心を持っているからなんだよ。信念があり軸心がブレないから愛情も大きく育てることができたんだ。
もっとも愛だけでは喰っていけませんね。人間らしく暮らせて社会生活をウシロユビ指されないようにやっていくには、それ相応の努力をして自立しなければ前には進めないよ。
人生の岐路に立った時にどちらの道を選ぶとも自由さ、だけど明日につながる道を歩まねばいけないのだよ。その判断ができる人はマジメで少し世渡りのワルサを持っていた方がよい。クソマジメではダメなんだよ。
[書き手]中島誠之助