書評

『観光客の哲学 増補版』(ゲンロン)

  • 2023/08/14
観光客の哲学 増補版 / 東浩紀
観光客の哲学 増補版
  • 著者:東浩紀
  • 出版社:ゲンロン
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(424ページ)
  • 発売日:2023-06-19
  • ISBN-10:4907188498
  • ISBN-13:978-4907188498
内容紹介:
第71回毎日出版文化賞受賞、紀伊國屋じんぶん大賞2018でも第2位にランクインした著者の代表作『ゲンロン0 観光客の哲学』に、新章2章・2万字を追加し増補版として刊行。「ゆるさ」がつくる新たな連帯とはなにか。姉妹編『訂正可能性の哲学』と連続刊行!

いまを思索する、世界的水準の仕事

観光客は国境を越える。無責任で無教養で勝手に動き回り、地元民に迷惑がられる。こんな人びとが、これからの時代の主役なのか? 東氏は本気でその哲学を準備する。

いまはどんな時代か。《グローバリズムが高まるとともに、ナショナリズムもまたその反動として力を強め》ている時代だ。普遍的価値を掲げるリベラルは失速し、代わりに、グローバル資本主義と相性のいいリバタリアニズム、ネイションに執着するコミュニタリアニズムがのさばっている。本来なら矛盾するグローバリズムとナショナリズムが共存するのが世界の現状だ。東氏はこれを《共存=二層構造モデル》とよぶ。

グローバリズムとナショナリズムの分断は乗り越えられるか。アントニオ・ネグリとマイケル・ハートは『帝国』で、マルチチュードに期待した。グローバルな《帝国の内部から生まれる…抵抗運動》のことだ。リベラル左翼はこの論に乗り、ブームになった。だが《マルチチュードの概念には致命的な欠点がある》。政治の戦略論がない。東氏はこれを《郵便的マルチチュード》に置き換えようと提案。それが観光客だ。

観光客は《誤配》により、予期せぬコミュニケーションを交わす。ネットワーク論を援用するとその効果が説明できる。人間の社会には《スモールワールド性とスケールフリー性がある》。これはグローバリズムとナショナリズムの二層構造に重なる。そして観光客こそが、スモールワールドでの誤配を支える《抵抗の記憶の実践者》なのである。

本書は二○一七年刊の初版の増補版。2章2万字を追加した。本書の続編『訂正可能性の哲学』もこの夏に刊行の予定。今回の増補は初版から続編に飛躍する踏み切り板だ。

本書の第2部は「家族の哲学(導入)」に改題された。続編で本格的に論じる準備という位置づけだ。

なぜ家族の哲学なのか。ハイデガーは言う、必然的に死に向かう人間個人の存在をみつめよ。だが本書は言う、生まれるとき、人間はまだ個人でない。不気味なものとして親のもとに届く。誤配。それを引き受けるのが家族だ。《子として死ぬだけではなく、親としても生きろ。》親は誤配と共にあり、国家と市場の外で自分を支える倫理を手にできる。

追加された第9章は「触視的平面について」。スマホのタッチパネルは手と目が連動して「触視的」だ。こうしたメディアの普及は、ほんもの/にせものの感覚を揺るがす。にせもので何が悪い。俺たちには俺たちのほんものがあるぞ。トランプ大統領が誕生し、フェイクニュースがまともに信じられるようになる。

第10章「郵便的不安について」も興味深い。ホロコーストのユダヤ人は《殺されることが決まってい》るが、いつかわからない。スターリンの収容所の囚人は殺されると決まっていない。どちらも不安だが、前者は存在論的、後者は《郵便的不安》であろう。ビッグデータの中で置き換え可能な誰もが、フーコーのいう《生権力》に苦しんでいるのだ。

本書で最も印象深いのは、第8章「ドストエフスキーの最後の主体」だ。テロの時代の帝政ロシアで、すんでに死刑にされかける。作家となってもテロリストの心情を描き続けた。主人公は一作ごとに弁証法的に成長していく。最晩年の『カラマーゾフの兄弟』では、ドミートリーとスメルジャコフが『地下室の手記』の地下室人に、イワンが『悪霊』のニヒリスト・スタヴローギンに相当する。アリョーシャは狂言回しで、あいまいな人物だ。では、続けて書かれるはずだった第二巻はどんな内容か。亀山郁夫らの論考を参考に東氏は、第一巻の父殺しに続く皇帝暗殺の物語だったとする。暗殺の首謀者は、第一巻の終わりに唐突に登場する少年コーリャ。アリョーシャは彼の擬似(ぎじ)的な父の役割のはずだが何もできない。《不能の父》だ。でもそれでよい、と東氏は言う。《子どもたちに囲まれた不能の主体は…けっして無力ではない…。世界は子どもたちが変えてくれる》から。

ナショナリズムもグローバリズムも《他者の原理をもたない。…他者への寛容を支える哲学の原理は、もはや家族的類似性ぐらいしか残っていない。》そう語る東氏は、続編の『訂正可能性の哲学』で、ウィトゲンシュタイン、ローティ、アーレントの新解釈を提示するという。哲学の修練を積み時代と格闘し続ける思索を目にできるのが楽しみだ。

「アメリカ・ファースト」「美しい日本」みたいなナショナリズムに絡め取られず、グローバルな金もうけゲームからも距離を置きたい。そう願うあなたや私は、誰もが観光客だ。距離を置くだけのデタッチメントでは、観光客は務まらない。理不尽に怒ればネトウヨやテロリストに行き着く。東氏は忍耐強く、観光客であり続けるための、そして観光客の場所から政治に向かうための思索の道筋(倫理)を探り当てようとする。ポストモダンから出発しつつもその界隈(かいわい)の知的堕落を許せない東氏は、本気で真面目なのだ。そのせいか理解者が少ない。多くの読者が本書を手に取り、その世界的水準の仕事を誇りに思おうではないか。

観光客の哲学 増補版 / 東浩紀
観光客の哲学 増補版
  • 著者:東浩紀
  • 出版社:ゲンロン
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(424ページ)
  • 発売日:2023-06-19
  • ISBN-10:4907188498
  • ISBN-13:978-4907188498
内容紹介:
第71回毎日出版文化賞受賞、紀伊國屋じんぶん大賞2018でも第2位にランクインした著者の代表作『ゲンロン0 観光客の哲学』に、新章2章・2万字を追加し増補版として刊行。「ゆるさ」がつくる新たな連帯とはなにか。姉妹編『訂正可能性の哲学』と連続刊行!

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2023年7月15日

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