前書き

『「日本語」の文学が生まれた場所: 極東20世紀の交差点』(図書出版みぎわ)

  • 2023/12/26
「日本語」の文学が生まれた場所: 極東20世紀の交差点 / 黒川 創
「日本語」の文学が生まれた場所: 極東20世紀の交差点
  • 著者:黒川 創
  • 出版社:図書出版みぎわ
  • 装丁:単行本(608ページ)
  • 発売日:2023-12-11
  • ISBN-10:4911029048
  • ISBN-13:978-4911029046
内容紹介:
近代の「日本語」による文学の行き交いを、極東アジアの広がりに位置づける。従来の文学史を更新する決定的論考!
いまある日本語の文学は、どのように書き継がれていったのか――

この度、『鶴見俊輔伝』で第46回大佛次郎賞を受賞した黒川創の評論集が刊行されました。本書は、2013年に伊藤整文学賞を受賞した『[完全版]国境』の続編ともいえる内容であり、90年代後半から現在に至るまで、黒川創が思索し続けた「国境」と「外地」をめぐる文学史論の決定版です。2015年に河出書房新社より刊行された『鷗外と漱石のあいだで 日本語の文学がうまれる場所』に、アンソロジー『〈外地〉の日本語文学選』(新宿書房、全三巻、1996年)の解説、書下ろしの「新しい定住者が生みだす世界 金達寿から始まったもの」を加えてまとめた一冊。800人を超える人名索引のほか、年表、地図といった資料も充実しています。以下、本書「序」の一部を公開します。

『日本語』の文学が生まれた場所

「『日本語』の文学が生まれた場所」という本書の主題をめぐり、こうして私は、30年ばかりのあいだ、事実調べと論考を続けてきた。ただし、ここに挙げたような区分立てに思い至るのは、わりに近年のことである。やや繰り返すことになるが、ここで述べてきた区分を以下に整理してみよう。(これらの区分は、年代では互いに重なるところがあることをお断りしておく。短いスパンの歴史的側面もあれば、比較的長いスパンの側面もある、ということである。だから、第一期、第二期……というふうに、時間を輪切りにするものではない。)

①極東アジアの「ハブ」としての東京

20世紀初頭、東京という都市は、極東アジアの国々で近代化をめざす人びとにとって、世界につながる「ハブ」、いわば交差点の役割を担う国際都市となっていた。1905年から10年にわたる5年間、つまり日露戦争の終結から大逆事件(幸徳事件)、韓国併合に至る月日が、この転形期の一つのピークをなすものと私は考えている。そこを過ぎ、自国権益の拡大をさらに図るなかで、日本は「国家」という単位を越える「ハブ」としての役回りを早々に自壊させていく。


②近代文学が獲得する「女たちの話体」

「漢字文化圏」としての極東アジアにおいて、漢文という書き言葉の教養は、女性を除外するホモソーシャルな共同性の上に成り立ってきた。反面、女たちの文化は、そこに包摂されるのを免れたことにより、定型に縛られない「口語」性を培うところがあった。漱石らの努力で、口語体による近代文学の文体がようやく整えられたことで、女たちの自由な話体もここに取り込めるようになった。加えて、女たちも、自分たちの口語体にもとづく文章を書きはじめた。

森しげの小説。女性新聞記者の先駆、管野須賀子(すが)の新聞記事。一方では、『草枕』の那美のモデルとされた前田卓のように、自身では何も書かず、ただ下働きの世話係を引き受けることで、日本に滞在する中国革命家たちの活動を支え続けた人もいる。

明治期の終盤、管野須賀子の存在は、孤独なものだった。ほどなく彼女は大逆罪に問われて、被告中唯一の女囚徒として、刑死する。処刑が終わると、とたんに堰を切るかのように、女たちのかまびすしい時代が到来した。「青鞜」の創刊、イプセン「人形の家」の松井須磨子による初演も、管野須賀子が処刑された当年(1911年)中のことだった。


③「外地」の日本語文学が加わる歴史像

日本という国家が、海外に植民地を拡張する時代は、1895年に日清戦争の勝利で台湾の割譲を受けて以来、1945年の太平洋戦争の敗戦で植民地をすべて失うまで、ちょうど50年にわたって続く。これは、植民地の現地の人びとに「日本語」を教育し、さらには、その使用を強いる時代でもあった。現地の作家たちは、母語ではない「日本語」で何を考え、どんなことを試み、作品に書いていたのか? 近代の日本語文学150年の歴史のなかに、それを位置づけていくことが、私たちの世界の全体像を回復する上でも重要となる。


④「新しい定住者」によって文学は豊かさを増す

日本の敗戦、これに続く朝鮮半島の動乱は、朝鮮戦争(1950〜53年)に至る。こうした経緯は、分断された故国への帰還を諦め、日本を新たな定住地と思いさだめて暮らしていこうと決心する、約60万人の「在日朝鮮人」を生みだした。在日朝鮮人作家らの「日本語」は、向かい風の日本社会に身を置いて書かれた。戦後80年の日本語文学は、彼らの存在を抜きに語ることができない。新たな主体を得ることで、文学が内包する意味は増していく。

本書では、このうち、主として①と②を「Ⅰ 鷗外と漱石のあいだで」において、③を「Ⅱ 〈外地〉の日本語文学の広がり」で、④を「Ⅲ 新しい定住者が生みだす表現──金達寿から始まるもの」で、それぞれ詳述しようと試みる。19世紀末に始まり、20世紀なかば過ぎの朝鮮戦争休戦まで。半世紀あまりにわたって展開した、近代「日本語」文学の通史を残しておきたいと考えた。

本書のカバー写真には、写真家・米田知子さんによる「坂口安吾の眼鏡──『朝鮮会談に関する日記』を見る」(シリーズ'Between Visible and Invisible' より)を提供していただいた。1952年春、連合国軍による日本占領が終了する時期、作家・坂口安吾がつけていた朝鮮戦争休戦交渉の報道をめぐる日記を、彼が使っていた眼鏡ごしに撮影したものである。

坂口の「日記」は、緊迫する東西対立の下、またも核爆弾が使用されるのではないかという危機感、血のメーデー、日韓両国のあいだで置き去りとされる在日朝鮮人の法的立場など、新たに始まる歴史への展望を、切迫した息づかいで、こま切れに記している。歴史の切っ先に立ち、未来を凝視するかのような安吾の眼鏡のアングルを、私自身の先達としたい。

[書き手]
黒川 創(くろかわ そう)
作家。1961年京都市生まれ。同志社大学文学部卒業。
1999年、初の小説『若冲の目』刊行。2008年『かもめの日』で読売文学賞、13年刊『国境[完全版]』で伊藤整文学賞(評論部門)、14年刊『京都』で毎日出版文化賞、18年刊『鶴見俊輔伝』で大佛次郎賞を受賞。
主な作品に『もどろき』、『イカロスの森』、『暗殺者たち』、『岩場の上から』、『暗い林を抜けて』、『ウィーン近郊』、『旅する少年』、『彼女のことを知っている』、評論に『きれいな風貌 西村伊作伝』、『世界を文学でどう描けるか』、編著書に『〈外地〉の日本語文学選』(全3巻)、『鶴見俊輔コレクション』(全4巻)などがある。
「日本語」の文学が生まれた場所: 極東20世紀の交差点 / 黒川 創
「日本語」の文学が生まれた場所: 極東20世紀の交差点
  • 著者:黒川 創
  • 出版社:図書出版みぎわ
  • 装丁:単行本(608ページ)
  • 発売日:2023-12-11
  • ISBN-10:4911029048
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近代の「日本語」による文学の行き交いを、極東アジアの広がりに位置づける。従来の文学史を更新する決定的論考!

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