自著解説

『地獄の反逆者 松村喬子遊廓関係作品集』(琥珀書房)

  • 2024/08/30
地獄の反逆者 松村喬子遊廓関係作品集 / 松村喬子、解説:山家悠平
地獄の反逆者 松村喬子遊廓関係作品集
  • 著者:松村喬子、解説:山家悠平
  • 出版社:琥珀書房
  • 装丁:単行本(170ページ)
  • 発売日:2024-08-05
  • ISBN-10:4910993576
  • ISBN-13:978-4910993577
内容紹介:
名古屋中村遊廓から逃走、無産婦人活動家となった松村喬子が残した、遊廓脱出群像劇。「私も、つい、この頃おもいついたのだけれど、実際、こうして働いていても、いくら一生懸命になっても… もっと読む
名古屋中村遊廓から逃走、無産婦人活動家となった松村喬子が残した、遊廓脱出群像劇。

「私も、つい、この頃おもいついたのだけれど、実際、こうして働いていても、いくら一生懸命になっても、少しも借金が減らないで残ったものはかるたさんや、羽衣さんのように、病気位しかない、それはどうしてだろうかと云う事をハッキリみとめた事があるのよ(中略)
そして、おしまいに、悪い病気で死んで了しまうか、目がつぶれてしかたなく帰すというのですもの散々儲けておいて、そのあげく死体になってからか片輪で使い道がなくなって帰される時でも、親の方に少しでも、何かが取れる見込があれば、月々くずしで借金を入れさせたり、差押えをやったりすると云うのではありませんか、皆な考えましょう、少しは強くなって下さい」(「地獄の反逆者」本文より)

想像絶する戦前の遊廓における収奪の有り様と、そこに生きる女性たちの活き活きとした言葉と思いが、当事者によって描かれる「地獄の反逆者」。
また、作品からは公娼制度の廃止という世論が高まる1926年の遊廓を「内側」から描いた貴重な証言でもある。」

戦前の娼妓自身が自らの生活について綴った文章は極めて限られている。
現在公刊され確認できる森光子の著作群(『吉原花魁日記―光明に芽ぐむ日』、『春駒日記―吉原花魁の日々』)につづく稀有な作品が、読みやすい形で、2万字に及ぶ詳細な伝記的解説を添えて初公刊。
2024年7月末、京都の学術出版社である琥珀書房から戦前の労働運動家、松村喬子の作品集が『地獄の反逆者 松村喬子遊廓関係作品集』というタイトルで初公刊された。

松村喬子は1900年の生まれで、高等女学校2年生まで通うが、親の病気が原因で中退し、その後、遊廓で働き始めた。しかし、遊廓の待遇改善という世論が高揚した1926年に名古屋中村遊廓から逃走し、労働運動家の助力のもとで自由廃業(定められた年季の途中で借金を残したまま廃業すること)を遂げ、以降、労働運動の担い手として活躍をした。

同時代の社会運動家にも、「喬子君は演説が一かど出来るし、それに又達筆で、組合の看板書きなど大てい引き受けている」(堺利彦)、「無産派を代表しての発言は、当日の異彩として注視されました」(平塚らいてう)と強い印象を与えた人物だった。

今回の作品集のメインタイトルにもなっている『地獄の反逆者』は、松村が労働運動の渦中にいた1929年から1930年にかけて、長谷川時雨による『女人芸術』誌に断続的に掲載されながらも、長らく単行本としては公刊されずにきた遊廓を舞台とする群像劇である。

掲載からほぼ一世紀すぎての初公刊にいたるまでの経緯を、私自身のこの作品とのかかわりを中心に簡単にふりかえってみたい。

2011年後半、はっきりとは思いだせないが京都精華大学での非正規労働者雇い止め反対活動が一段落したこともあって(その経過は『生き延びるための女性史―遊廓に響く<声>をめぐって―』青土社、2023年に詳しい)、長らく宙吊りにしていた博士論文執筆に向けて大学図書館にこもっているとき、はじめて『女人芸術』の復刻版に収録された『地獄の反逆者』を読んだ。

「名古屋中村遊廓楼で本家栄楼と云えば、大まがきの一流処であった」という冒頭の一文から一気に引きこまれた。書き手の視点は、物語の舞台となる栄楼の描写からすぐに傲慢な楼主に移り、続けて主人公の娼妓歌子にぐっと近づいていき、その歌子と楼内でもっとも虐げられている娼妓かるたの友情へとむけられる。

――おもしろい。しかし、いったいこの作品はなんなのだろう。

最初に抱いた感想を言語化するならそんな感じだろうか。そもそも歴史学の方法でしか史料を読んだことがなかった私にとって、「人生記録」という副題こそつけられているものの、歌子という主人公を中心とした三人称の小説をどう読んでいいのかわからなかった。はたしてこれは証言なのか、記録なのか、創作なのか――。その境界がわからない以上、遊廓のなかの女性たちの労働運動をテーマにした博士論文のなかでは扱いにくい、そんな印象だった。

その日は、とりあえず読めるところまで図書館で読み、あとは『女人芸術』に関する研究論文とあわせてコピーだけ取った。結局、博士論文でも、その論文をもとにした『遊廓のストライキ―女性たちの二十世紀・序説』(共和国、2015年)でも、『地獄の反逆者』に関しては、歌子が楼内で、吉原遊廓から逃走し自由廃業した森光子の手記を読み、脱出への希望を抱く場面のみ紹介し、あとは言及しなかった。

転機が訪れたのは、『遊廓のストライキ―女性たちの二十世紀・序説』をめぐる講演や執筆などが一段落ついたあとである。

じつは博士論文で、遊廓のストライキや集団逃走をめぐる新聞記事を徹底して集める過程で、遊廓の女性たちが書いたものも一定数集まっていた。そこで新たな研究として、それらの文章を読み始めたのである。

遊廓の内側の生活を描いた記録として『遊廓のストライキ』でも取り上げた森光子の『光明に芽ぐむ日―初見世から脱出まで』(文化生活研究会、1926年)、『春駒日記』(同、1927年)も再読した。内藤新宿の現役の娼妓和田芳子が書いた『遊女物語』(文明堂、1913年)についても調べ、和田の出版が巻き起こした「花柳文学」ブームのなかで、短期間のうちに娼妓名義の書籍が何冊も発行されていたことがわかった(著者の実在が史料に確認できるものはほとんどなかったが)。

そして、その研究の流れのなかで、大学の図書館でコピーを取ってから長らく家の片隅で眠っていた『地獄の反逆者』にも光があたることになった。今度は非常勤をしている大学の学習支援室にコピーを持っていって、暇な時間にながめた。幸田露伴の研究をしている文学研究者が同僚であったことも幸運だった。

はじめのうちは最初に読んだときと同じく、どう読んでいいのかわからなかった。歌子とその朋輩たちのシスターフッドを魅力的に感じる一方で、時代的な制約があるにしても現代の視点からは明確な障害者差別にあたる、楼主の娘を描くエピソードなどは受け入れ難く思えた。

それでも、小説のなかで娼妓たちがものを読んでいる場面が多く描かれているということに気づいたので、どちらかというと歴史史料を読み解くのと同じ方法で論文にまとめた(そのときに書いた「ものを読む娼妓たち―森光子と松村喬子の作品に描かれる『読書』を中心に」は前述『生き延びるための女性史―遊廓に響く<声>をたどって―』に収録)。

つぎに『地獄の反逆者』における女性たちのシスターフッドに注目した論文も書いてジェンダー系の学会誌に投稿したが、あっさりと査読で落とされた。書き方が評伝風で論文らしくないし、書き手自身の思い入れが強すぎるんじゃない、といった感じの講評だった。たしかに文学研究の方法をほとんど知らなかったので、そんな評価でもしょうがない気もするが、やっぱり研究者には向いていないのだろうと、それなりにがっかりした。そこで諦めてしまっていたら、『地獄の反逆者』の初公刊まであと一世紀くらい待たないといけなかったかもしれない。

それがなんであるかはわからないが、この小説にはなにかとてつもなくおもしろいものが書かれている、という直感をたよりに、査読に通らなかった論文もなんとか「遊廓に生きるたくましい女たち : 松村喬子「地獄の反逆者」(1929)とアクチュアリティ」(『京都造形大学紀要』22号、2017年)としてまとめ、ルーマニアやオーストラリアの学会でも発表した。雑誌『現代思想』にも「娼妓から娼妓たちへ」(2018年)という文章を寄稿し、京都のクラブイベントで英語のスライドをつくってプレゼンテーションまでした。

2022年には「第35回小説すばる新人賞」を受賞し、小説家デビューすることになるのだが、その『楊花の歌』(青波杏名義、集英社、2023年)と題された小説でも、松島遊廓を舞台にした会話シーンで『地獄の反逆者』についてふれている。

そうして、どう読むかということははっきりとわからないものの、すっかり夢中になって松村の小説について、いろいろな場所で話し、書き続けた。

その数年間を通していちばん大きかったのは、作品を読み込むことで当初見えていなかった(とらえきることができなかった)作品の魅力がどんどん見えてきたことだ。あまり語りすぎると本作品集を読むときの新鮮さが薄れると思うので簡単にふれたい。

たとえば、『地獄の反逆者』には、歌子のほかにもうひとり語り手になるかるたという娼妓が登場する。病気を抱えて頻繁に休んでおり、楼主から虐待されているかるたは、歌子との対話のなかで告発を決意し、警察署に手紙を書く。かるたの告発がきっかけになって楼には営業停止処分が下される。そのかるたの告発は、当時の新聞記事でも報じられた実際のできごとであるが、営業停止処分以降、かるたの消息はほとんど伝えられていない。小説のなかで、かるたをもうひとりの語り手としたところに松村がこの作品を書くことによって、すくい上げようとした<声>の存在を感じる。

一方で、遊廓の過酷な状況を描くためのそのような創作上の工夫とはまるで異なる、書き手である松村自身の「思い」のようなものが垣間見える場面もある。それは、歌子と客である帝大生の良ちゃんの対話を描く場面である。前述の和田芳子の『遊女物語』にしても森の『光明に芽ぐむ日』にしても、基本的に客は娼妓をからかったり、搾取したりする存在として描写されていた(森の二作目の『春駒日記』では微妙に異なる)。

それに対して、松村の小説に登場する歌子の客はたったひとりである。その優しい良ちゃんという青年のことを、松村は「(歌子は)理屈抜きで愛していた」とまで書いている。歌子は、遊廓の暗い部分をなにも知らない無邪気な良ちゃんを連れて、病気で寝ている親友のかるたの部屋までお見舞いにいく。そこでは、歌子が絶対的な信頼を寄せる相手として良ちゃんが描かれる。

もっとも象徴的なのは、良ちゃんにだけは、歌子は自分の本名である「洋子」という名前を呼ばせていることである。じつは「洋子」というのは松村の中村遊廓時代の源氏名であるから、三人称の小説という形で書かれているものの、実際の松村と小説の歌子とのつながりが暗示されている、と読むことができる。

遊廓の告発と、客への愛着。どこか相容れないような内容だと最初は感じていた。しかし、実際に自分自身が小説家になり、登場人物が知らず知らずのうちに自分自身の書きたいことや、いいたいことを語ることがある、と経験的に知ったあたりから、次第に違う視点が生まれてきた。

それは『地獄の反逆者』を、遊廓についての証言や記録としてではなく、遊廓を生きたひとりの女性の生活をめぐる「自己表現」としてとらえるという視点である。遊廓ですごすという経験を、外からの視点は、貴重な青春を「奪われた」と表現するかもしれないが、松村の作品は「書く」ということを通して、明らかにその時間を、生活を、自らのものとして「奪い返している」。楼主による搾取や遊廓の残酷な労働を告発するのと同時に、自分が好きなひとや印象的なできごとについて自分自身の言葉で語り、さらに正義感が強く情にあついキャラクターとして主人公の歌子を描いている。松村が歌子に自らの理想を投影していることは疑いようもない。同様の描写は、森光子の2冊目の『春駒日記』でもおこなわれていた。

よく考えてみれば、遊廓という過酷な環境を生き抜いた当事者が元娼妓に対する社会的な関心を逆手に取って、「自己表現」の機会とすることにはなんの問題もない。それどころか、当時の高学歴の女性たちにとっても自らの作品を発表する機会が限られていたことを考えると、貧しさゆえに学業を途中で諦めざるを得なかった松村や森にとって、作品発表の場所があるということは、それだけで心躍ることだったろう。

もちろん、その心境は本人にしかわからないし、森が『春駒日記』の冒頭で、『光明に芽ぐむ日』を書いたころを回想して「たとい暫くの間でも廓生活の自分にふれたくなかった」と書いているように、遊廓での経験にふれることに苦痛がともなったであろうことは想像に難くない。けれど、松村にしても、遊廓の困難を描きながらも朋輩との心温まるエピソードや、好きだった客への思いをさりげなくしのびこませているところに、当事者にとって表現することの意味が潜んでいるように思える。

ひとりの研究者として『地獄の反逆者』という作品とかかわってきた十数年のことを、自分自身のとらえかたの変化を中心に書いてきた。きわめて運命論的に響くことをおそれずに書けば、ほぼ一世紀のあいだ埋もれていたこの作品の初公刊にかかわれたことが、あまり向いていないと感じつつも研究を続けてきた意味なのではと思っている。

最後に、どんなことを意識しつつ編集をおこなったのかということについて簡単にふれておきたい。

そもそも2022年9月9日に立命館大学衣笠キャンパスで開催された若手研究者を中心とする「Antitled友の会 第1回研究大会」で、森光子の『春駒日記』について発表し、その後の打ち上げで琥珀書房の山本さんと『地獄の反逆者』の話をしたことが今回の初公刊の直接のきっかけになった。その後、山本さんと、いちばん相談したのは、この作品をだれに届けたいか、ということをめぐってだった。

文字起こしの最初の段階では、読み手として大学生を想定し、旧かな遣いと旧漢字を修正する程度にとどめていたが、そのうち、それだけでは不十分に思えてきた。というのも、松村自身か当時の編集者が明らかに見落としていたと思しき誤字脱字や読点の連続など、テクストとはかかわりないところで、読者を遠ざける要素がつぎつぎにみつかったからである。

そこで思い切って、もし松村がこの作品を著書として刊行するのであればどのように手を入れたか、という観点から徹底してテクストを見直すことにした。テクストの森のなかに入りこみ、写本をするように一字一句入力ミスがないか徹底して見直す過程で、はじめてベンヤミンのいっていた「書き写された文章のみが、それに取り組んでいる者の魂に命令を発することができる」(ヴァルター・ベンヤミン『この道、一方通行』細見和之訳、みすず書房、2014年、17頁)という言葉がわかったような気がする。最終的には、比較的丁寧に推敲されたと思われる連載一回目の記述を手がかりに、句読点の整理から改行位置の見直し、閉じていない括弧の追加といった読みやすくするための編集をおこない、さらにどの副詞を漢字で残し、どこをひらがなにするかといった文章のニュアンスにかかわる部分まで踏み込んで決めていった。その苦労は、冒頭に書かれた細かい「凡例」にも見ることができよう。

そうやって完成したこの作品集は、およそ一世紀前に遊廓という空間を生きた女性たちの息づかいや、かつてそのなかのひとりであった松村が、小説という形で表現しようとした生活の諸相や人間に対する愛着、怒りや不安といったさまざまな感情の揺らぎを、たしかに現代の読者に伝えるものになったと自負している。

「人文学研究者が関わってこそ輝く文庫シリーズ」と銘打った琥珀書房の「こはく文庫」。この『地獄の反逆者 松村喬子遊廓関係作品集』は、尹紫遠『在日朝鮮人作家 尹紫遠未刊行作品選集』(宋恵媛解説)、尹徳祚『月陰山(復刻版)』(宋恵媛解説)に続く3冊目となる。かつて社会に発せられたが、差別や偏見のなかで埋もれていってしまったさまざまな<声>を、探しあて、たどりなおし、現在の時間に響かせていくことは、研究の最大の可能性のひとつである。

今回の刊行を通して、松村喬子というひとりの優れた書き手の表現する世界が多くのひとたちに届くことを心から願っている。

[書き手]
山家 悠平(やんべ ゆうへい)
1976年、東京都国立市出身。専門は女性史。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。現在、京都芸術大学、佛教大学等で非常勤講師を務める。著書に『遊廓のストライキ―女性たちの二十世紀・序説』(共和国、2015年)、『生き延びるための女性史―遊廓に響く〈声〉をたどって―』(青土社、2023年)がある。また、青波杏名義にて『楊花の歌』(集英社、2023年、第35回小説すばる新人賞受賞)を刊行。作家としても活動中。最新作に『日月潭の朱い花』(集英社、2024年)がある。
地獄の反逆者 松村喬子遊廓関係作品集 / 松村喬子、解説:山家悠平
地獄の反逆者 松村喬子遊廓関係作品集
  • 著者:松村喬子、解説:山家悠平
  • 出版社:琥珀書房
  • 装丁:単行本(170ページ)
  • 発売日:2024-08-05
  • ISBN-10:4910993576
  • ISBN-13:978-4910993577
内容紹介:
名古屋中村遊廓から逃走、無産婦人活動家となった松村喬子が残した、遊廓脱出群像劇。「私も、つい、この頃おもいついたのだけれど、実際、こうして働いていても、いくら一生懸命になっても… もっと読む
名古屋中村遊廓から逃走、無産婦人活動家となった松村喬子が残した、遊廓脱出群像劇。

「私も、つい、この頃おもいついたのだけれど、実際、こうして働いていても、いくら一生懸命になっても、少しも借金が減らないで残ったものはかるたさんや、羽衣さんのように、病気位しかない、それはどうしてだろうかと云う事をハッキリみとめた事があるのよ(中略)
そして、おしまいに、悪い病気で死んで了しまうか、目がつぶれてしかたなく帰すというのですもの散々儲けておいて、そのあげく死体になってからか片輪で使い道がなくなって帰される時でも、親の方に少しでも、何かが取れる見込があれば、月々くずしで借金を入れさせたり、差押えをやったりすると云うのではありませんか、皆な考えましょう、少しは強くなって下さい」(「地獄の反逆者」本文より)

想像絶する戦前の遊廓における収奪の有り様と、そこに生きる女性たちの活き活きとした言葉と思いが、当事者によって描かれる「地獄の反逆者」。
また、作品からは公娼制度の廃止という世論が高まる1926年の遊廓を「内側」から描いた貴重な証言でもある。」

戦前の娼妓自身が自らの生活について綴った文章は極めて限られている。
現在公刊され確認できる森光子の著作群(『吉原花魁日記―光明に芽ぐむ日』、『春駒日記―吉原花魁の日々』)につづく稀有な作品が、読みやすい形で、2万字に及ぶ詳細な伝記的解説を添えて初公刊。

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