なぜ、新しいレーベルを立ち上げたのか
2018年10月1日、私は同門の先輩にあたる山田崇仁とともに、志学社を設立した。創業以来の柱は、歴史学(主に中国史と日本史)の名著復刊を中心に据えた「志学社選書」である。創業から6年目を迎え、志学社の事業が軌道に乗ってきた今年、ひとりレーベルとして「書肆imasu(しょしいます)を立ち上げた。
書肆imasuでは文芸書を主軸とするつもりである。創刊ラインナップとして、十文字青さんの『私の猫』、森見登美彦・円居挽・あをにまるさんらの『城崎にて 四篇』の2点を刊行し、なんとか無事に船出することができた。
手堅く歴史関連書の復刊をやっていくという選択肢もあったが、それはとらなかった。
どうしてわざわざ博打に打って出たのか、その理由は『私の猫』の表題作と大きくかかわる。この一本の短編が、自分の人生の選択を左右することになるとは、発表時にはまったく考えなかった。
これから、何冊作ることができるか
「私の猫」は、2012年に書かれた。早いもので、もう12年前ということになる。最初、ウェブに限定掲載され、その後アンソロジーに収録されたが、すぐに品切となった。どんな作品か、少し引用してみよう。
自分の猫は、放っておかれるとすり寄ってくるくせに、抱くと爪を立てたり噛みついたりする。それが腹立たしいと女は言い、引っかかれても噛まれても、事あるごとに猫を抱いた。
だが、残念ながら女の努力は報われず、猫はいつまでも抱かれるのをいやがった。女もいつしか諦めて、あまり自分の猫に構わないようになった。
「なんか、すっごいむかつく。 絶対、だっこ猫にしてやる」
ごく一部だが、「私」と「猫」の心温まるハートフルストーリーではないことはお分かりいただけるだろう。語り手も、いわゆる「猫好き」とは少し違う。
しかし、通して読むと、語り手の青春とその終わりに、猫が寄り添っていることがわかる。短編小説として非常に魅力的な作品であることは間違いなかった。
十数年編集を職業としてきたが、「私の猫」は、前野ひろみち「ランボー怒りの改新」や、円居挽「DRDR」と並んで、私が原稿を取った短編小説のなかで、指折りの名作と位置付けられていた。それゆえに、「歴史の本」をつくる日々のなかで、ときおり思い出すことがあった。
いつか、別の形で本にしたい。そう思っているうちに2023年になっていた。
私は外部編集者として加わっている新書編集部から出すための、数学の本の原稿を読んでいた。その原稿には、「残日計算」というものが記されていた。
詳しくは芝村裕吏『関数電卓がすごい』(ハヤカワ新書)を見ていただきたいのだが、人生の日数をおよそ3万日として、自分にあと何日残されているかを計算するもの、と簡単に説明しておく。この式を変形させるとさまざまな試算ができる。私もいくつか自身に当てはめた計算をしたが、そのうちのひとつが「人生であと何冊つくれるか」であった。
詳細な計算結果を記しても仕方がないので割愛するが、この計算をしたあと、私は久しぶりに十文字さんに連絡をした。
「久しぶりじゃないですか。どうしたんですか?」と問う十文字さんに、「「私の猫」を本にしたいです」と言った。
できる限り、自由な本づくりを
とはいえ、「私の猫」は短編である。『さよならのあとで』(夏葉社)のように、ごく短い文章を一冊の本にできないこともないが、今回は違うのではないか。十文字さんと話すなかで、単行本未収録の「愛はたまらなく恋しい」を改稿して入れたらどうか、という提案があった。原稿を読んで、即座に収録することに決めた。しかし、二篇になると、なんとなくバランスが悪い。
同様の感想は十文字さんも持ったようで、書き下ろしとして「19981999」が書かれた。「私の猫」を別アングルから描いたような作品で、20世紀末のすすきのについて詳しく描写されているのも面白い。収録順は「19981999」「愛はたまらなく恋しい」「私の猫」にしましょう、というのはこのあたりで提案した。実のところ、連作でない短編集をつくる場合、収録順に悩むことは多い。
この時点で、私は短編集として充分なものができるだろうと思ったのだが、さらに「父と猫」が書き下ろされた。おそらく、この短編集に入れなければ、世に出なかったであろうエピソードだ。
こうして、猫がたくさん出てくる(けれど全然「猫がかわいい」みたいな話はされない)原稿が揃った。レーベル名も「書肆imasu」に決めた。次は物理的に本にする作業である。
装幀は、名久井直子さんにお願いした。名久井さんも猫を飼っている。名久井さんからは、タダジュンさんの絵をお借りしたらどうか、というアイデアをいただいた(快諾を得た)。タダさんも猫を飼っている。申し遅れたが、私も猫を飼っている。
名久井さんとの打ち合わせで、私は「カバーはなしでいいと思います。本当は帯も不要だと思うんですが……」というような話をしたと記憶している。結果、上製カバーなし、表紙箔押し、見返しや花布等にも凝った、暖かな存在感のある(まるで猫のような)本ができあがった。
見本を発送したとき、十文字さんは「自分の本の見本が届くのがこんなに楽しみなのは、すごく久しぶりです」と語っていた。装幀で興味を持って仕入れてくれる書店さんも多く、特に独立系書店さんに多く取り扱っていただいているのは私としても嬉しい。
本づくりの現場では、常にコストカットが求められている。輸送中に汚れないように、カバーには必ずPP加工をかける。改装用にカバー・帯・スリップ(これは廃止しているところもある)の予備を倉庫に持つ。印刷費を抑えるために、特殊加工は初版部数の見込める一部の作家しか許されない……などなど。
小さな所帯であれば、こういった「常識」から自由になれる(最悪、自己破産すればいい)。一本の短編を、ふさわしい装いで刊行するために、レーベルを立ち上げたっていいのである。その気になれば、本づくりはすぐに始められる。
今後、出版業界はもっともっと面白くなっていくと思っている。そのなかで、先人に学び、若い人たちから刺激をもらいながら、中年にさしかかった私も、なんらかの「役割」を果たしていければと思っている。
『私の猫』は、そんな決意表明の一冊でもある。
[書き手]
平林 緑萌(ひらばやし もえぎ)
編集者。合同会社志学社代表、書肆imasu主催。