OZU=小津の60年、発言の軌跡を縦走する
初めて『秋刀魚の味』を観たとき、いままで観た映画とは異質な含みが画調の中にあることにショックを受けました。清澄な哀感漂う斎藤高順氏の美しい主題曲に惹き込まれつつ画面を見ていると、その話の筋やセリフ、演技、背景という明確な表現、いわば「映画の骨格」は、それ自体で完結することはありませんでした。話の筋、セリフ、演技、背景は、膨大な含み、余剰、余韻によって支えられているかのようでした。一体、このユニークな作品を創った小津安二郎とは、どのような考え方をもった表現者だったのか? どのような人生観、芸術観、教養、美意識を持ち、どのような生き方、経験を重ねた表現者だったのか?その映画作品に魅了された多くの人たちが持つだろう、素朴な疑問、関心、好奇心に、応えられるような〝小津監督のクロノジカルな発言集〟を作りたいと思ったのが、この企画の発端でありモチーフでもありました。とりわけ、若い世代、新しく小津を知った映画ファン、これから何かの機会に小津映画に出遭うだろう、未来の世代に向けて本書を編集しました。小津安二郎は、映画監督としては、規格外なまでに多くの論及、解明の対象となっています。とりわけ、蓮實重彦氏の『監督 小津安二郎』は、小津映画のもつ自由な魅力を、多くの映画ファンに伝え、その鑑賞の間口を広げてくれました。
しかし、残念なことですが、現在、小津自身の言葉に、本格的に触れられる書籍は、新刊としては流通していないのが現状です。古書市場には、小津の発言やテキストを蒐集した田中真澄氏の労作『小津安二郎全発言〈1933 ~ 1945〉』(泰流社)と『小津安二郎戦後語録集成』(フィルムアート社)がありますが、現在、一般のファンが手に取るには、少し敷居が高く、もはや古典的な基礎文献になっていると感じました。本書は、この二書を基礎として、初めて企画自体が成立するものです。この二つの労作に代わることはできませんが、その入り口になるような著作を目指しました。
小津は多くの発言やテキストを映画の専門誌はもとより、一般雑誌、新聞、スポーツ新聞、書籍、レコード(録音)、日記等に数多く残した、サービス精神の極めて旺盛な映画作家でした。本書は、小津が各媒体に残した発言・テキストを通時的に編集した年代記=クロニクルという体裁をとっています。多彩な小津自身の発言やテキスト、同じ時間を共有した第三者の発言・テキストを抽出し、時間系列の中に布置してみたとき、どんな印象が迫って来るのか? そんな期待感を込めながら、発言やテキストを集めてみました。
次に、本書の編集の基本的なコンセプトを「凡例」のような形で、下記に簡単に羅列してみます。
一、小津安二郎は、明治三十六年(一九〇三)十二月十二日に生誕し、昭和三十八年(一九六三)の誕生日と同じ日付、十二月十二日に逝去しました。その生涯は六十年に及びます。本書は、各年度ごとに、発表された主要な発言、テキストを網羅しました(一部、その発言した年代を移動させて記載した例もあります。とりわけ、いまだ無名だった頃を「回想」した発言・テキストは、その相当する年代に掲載しました)。
二、小津の発言は、数人の対談、二人での対話として、雑誌に掲載された例が多くあります。本書では、小津の発言だけを対談の中から抽出して掲載しました。独立した内容として理解できる発言を抽出し、選択しました。対談者の発言が不在だと理解できない場合、あるいは理解がより容易になる場合、対談者の発言を[□□□]としてゴチック体で文中に表記しました(この発言は簡略化しました)。
三、発言・テキストの内容を補足する場合には、[注、□□□]のように、ゴチック体で文中に表記しました。
四、小津の発言・テキストを、より多角的に理解するために、「第三者の発言・テキスト」を小津の類似する発言・テキストの中に適宜、挿入しました。「第三者の発言・テキスト」は、小津の発言・テキストと区別するために、発言の冒頭部に[□□□談]のように、その名前を記した他、発言・テキストの背景に網掛けをしました。
五、現代の読者が自然に読めるように、適宜、表記は現代的な漢字、送り仮名に変更しました。同様に、句読点等も、現代の読者の読みやすさを優先し、適宜、変更しました。また、小津の発言やテキストの冒頭部には、「小見出し」を入れました。日記からの引用文については、その雰囲気を壊したくなく、小見出しを入れませんでした。ただし、出征中の日記や手紙は、当時の状況を詳細に物語る唯一の資料でもあり、また、心覚え以上の記述となっているために、小見出しを付けました。
[書き手]
小津安二郎発言クロニクルをつくる会+三四郎書館