後書き

『[図説]世界の水の神話伝説百科』(原書房)

  • 2024/01/27
[図説]世界の水の神話伝説百科 / ヴェロニカ・ストラング
[図説]世界の水の神話伝説百科
  • 著者:ヴェロニカ・ストラング
  • 翻訳:角 敦子
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(416ページ)
  • 発売日:2023-12-19
  • ISBN-10:4562073632
  • ISBN-13:978-4562073634
内容紹介:
いつの時代でもどんな場所でも、人類は水を必要としてきた。それゆえに水は、神、精霊、守護者などさまざまな形で表現されている。恵みをもたらすものとして敬愛され、命を奪うものとして恐れられてきた水と人の関わりに迫る。
人が生きるには水が必要だ。それゆえに水は、神、精霊、守護者などさまざまな形で表現されている。恵みをもたらすものとして敬愛され、命を奪うものとして恐れられてきた水と人の関わりについて、豊富なカラー図版とともに迫った書籍『[図説]世界の水の神話伝説百科』より、訳者あとがきを公開する。

世界中で恐れ敬われる水の神の変遷

筆者ヴェロニカ・ストラングはオックスフォード大学教授の環境人類学者で、イギリスにおける社会科学分野の独立機関、社会科学学会の会員でもあります。フリーランスのライターから学究生活に転じ、30年にわたりイギリス、オーストラリア、ニュージーランドの民俗学を中心に、自然と人間、とくに水と人間の関係やマテリアリティ(物と人の相互的作用で出来事が生成されるプロセス)、文化的景観などについて研究しています。また、水や持続可能性に関連する問題で、ユネスコや国連、世界銀行、国際水資源協会と協力しているほか、先住民共同体の土地権や水利権の根拠となる調査研究にもかかわっています。
原書のタイトル『WATERBEINGS』は、神話や民間伝承、形象物に出てくる蛇体の「神」「聖獣」「怪物」のいずれにも当てはまる言葉です。そのため適用範囲は膨大になり、本書には世界各地の多種多様な超自然的な水蛇が登場します。
たとえば原始社会からあがめられている水蛇神には、虹蛇、天空の蛇、コブラ、巨大アナコンダ、羽毛や角のある蛇がいます。そういった想像上の蛇神の姿を、美しい図版で確かめられ、また表象に込められている意味や世界観に触れられるのは、本書の大きな魅力のひとつでしょう。なかでも古典期マヤ時代のヤシュチランの25番リンテル(まぐさ石)に描かれた蛇は、意表を突くユニークさのために思わず見入ってしまいます。立ちあがっている双頭蛇の上の頭の顎からは、武装した王族の祖先が、左側に見える下の頭の顎からは雨の神が顔をのぞかせているのです。
水蛇は、洪水をもたらす水の凶暴性を反映して、怪物蛇や竜にもなりえます。面白いことに、東洋の龍は、浮世絵に描かれる龍のように手足のない水蛇の形をしていますが、西洋の竜は脚や翼をもち、火を噴くこともあります。
生命の生存と生成に欠かせない物質、水。水蛇はそうした水の特質と自然の力を象徴する存在であったために、世界各地に時空を超えて遍在したのだ、とストラングはいいます。ところが権力者にとって水利が力を意味するようになると、水蛇神は水を支配する力を奪われ、男神をあがめる一神教の出現でいよいよ、その対極の存在として悪魔化され女性化されます。本書は聖書の豊富な引用とともに、そうした水蛇たちの変容を克明にたどっています。また、水蛇が神でなくなるのと並行して、水は人間の利益のために利用される道具と化していきます。水インフラの魅力に憑りつかれた人間社会は、環境破壊の道を突き進むことになるのです。

現代で水の神を知る意味とは

現代の環境問題は、その軌跡の延長線上にあるといえます。ストラングはそうした潮流を変えるアプローチとして、興味深いふたつの例を紹介しています。ひとつは、川と共生する先住民族が、川の法的な「人格」を国に認めさせ、それに付随する法的権利を獲得する試みです。ニュージーランドでは2017年に、ワンガヌイ川を「生命体」とする判決が出て、川の子孫であるマオリ族をその法的な代弁者と認めました。もうひとつは、国際法で「エコサイド」(環境犯罪)を成立させ、国際刑事裁判所(ICC)で裁けるようにする取り組みです。そうなれば、「上官責任」で、エコサイド発生に直接的・間接的に責任を負う企業のトップや、国家元首または自治体の長なども罪に問われることになります。近年では、その成立を目指す動きが活発化しています。そして何より大切なのは、地球が全生物種による「共同体」であると人々が意識することだ、とストラングはいいます。その場合、多様な姿の水蛇神たちは、無生物の水をもその共同体にくわえる「象徴的な拠り所」となるのです。
日本文化の八百万の神という世界観は、そうした意識に近いのかもしれません。神は生き物だけでなく、天体や物、自然現象にも宿るとされています。水神だけをとっても、『古事記』や『日本書記』には、龍神とされる闇御津羽神、水を集める女神天之都度閇知泥神など、さまざまな神が登場します。ちなみに、上代日本文学者の次田真幸は、八岐大蛇は素戔嗚尊と一体の神だったと考えているようです。現代でも川や用水路のほとりでは、龍や蛇、河童の姿で表される水神がごく自然に祀られています(先日訪れた調整池にも鳥居がありました)。日本でも開発のために自然が失われていますが、明治神宮外苑の例のように、こうした精神風土が、ある種の歯止めとなる可能性はあるのかもしれません。
2050年には、地球人口の40パーセント以上が深刻な水不足にみまわれるという予測もあります。海水面の上昇、干ばつと洪水の頻発、地下水の減少……。ストラングがいうように、その原因を歴史の中で振り返る時期が来ているのかもしれません。

[書き手]角敦子(翻訳家)
[図説]世界の水の神話伝説百科 / ヴェロニカ・ストラング
[図説]世界の水の神話伝説百科
  • 著者:ヴェロニカ・ストラング
  • 翻訳:角 敦子
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(416ページ)
  • 発売日:2023-12-19
  • ISBN-10:4562073632
  • ISBN-13:978-4562073634
内容紹介:
いつの時代でもどんな場所でも、人類は水を必要としてきた。それゆえに水は、神、精霊、守護者などさまざまな形で表現されている。恵みをもたらすものとして敬愛され、命を奪うものとして恐れられてきた水と人の関わりに迫る。

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