身体性をそなえた言葉を武器に
生誕一○○年を機に編まれた新論集。一九六○年代の文章を主に九篇を集めた。鶴見俊輔氏は、戦後日本に輝く傑出した知性だ。本書は氏の輪郭を浮き彫りにする。たとえば中学での回想。級友が《日本人ならばみんな大和魂を持っている》と言い、《ぼくには、みつからない》と鶴見少年が答えると、《君には、ないかもしれない》と返された。同調圧力に抗して個を貫く強靱さがそなわっていたとわかる。
育ちのよい家庭ゆえ両親に反抗し、逃れるように渡米。ハーバード大哲学科の学生として真珠湾を迎えた。敵国人なので収監され、獄中で卒論を書いた。日本は必ず敗れる。それを日本で迎えたい。日米交換船で帰国して兵隊にとられ、南方で海外放送を聴いた。鶴見氏には西側世界から日本を見る外の視点がある。そこから、日本思想の可能性を模索していく。
鶴見氏が取り上げるのは新渡戸稲造、小泉八雲、石川三四郎、柳宗悦、田中正造ら。日本の近代が冷淡に扱った、農村共同体の伝統的なあり方と共に歩んだ人びとだ。
新渡戸稲造は札幌農学校で学び、官僚として、教育者として大きな足跡を残した。新渡戸の本質を鶴見氏は《折衷主義》だとみる。あらゆる学説や経験から養分を吸収できるよう人格を整えつつ、国家が世界の知識を取り入れるため政策を実行する。修養論と国体論だ。福沢諭吉と違い、新渡戸門下からは時代の反逆児は育たない。
小泉八雲は幼くして両親を失い、職を転々、ギリシャ→アイルランド→アメリカ→日本へと移った故郷喪失者だ。記者となり小説を書き、日本で昔話に目覚める。古い言い回しに根を持たない借り物の言葉はもろい。鶴見氏が明らかにした転向のメカニズムに、通じる洞察がそこにある。
石川三四郎は戦時下にも権力批判を貫いた無政府主義者。兄がテロ事件に連座し、本人は上京して『万朝報』記者となった。デモクラシーは土民生活だと言い切る出色の人物、と鶴見氏はみる。
柳宗悦は《熱狂から遠い人》だ。バーナード・リーチの教えで朝鮮陶磁に触れ、やがてそれをつくった朝鮮の人びとに連帯感を抱く。ソウルに朝鮮民族美術館を建てた。民芸に関心が拡(ひろ)がった。日用の器には、芸術の美醜を超えた美がある。茶道はそれを発見した。だが、形式化した茶道は利休を含め、その原点を裏切っているとする。
田中正造は名主の子で、悪政に抗して農民と共に起ちあがり、獄に繋がれた。維新後に衆議院議員となった。議会では足尾鉱毒事件を解決できないと判ると、谷中村に住みつき不屈の生涯を送った。
誰もが大きな志と欠落を抱えて理想のために奮闘している。その武器は言葉だ。知識でなく、身体性をそなえた言葉。それこそが、言論界を覆う西欧流の知的言語をはねのける、日本的思想の道しるべにならないか。鶴見氏の思索を導く太いベクトルだ。
巻末に丸山眞男との対談を収める。話が嚙み合わない。鶴見氏の批判のベクトルが自分に向いているのが丸山にはわからない。たとえば丸山の発言はこうだ。《アカデミー…は…学問の型をしつける場所なんです。…オリジナルな思想家がいるわけじゃない。新しいアイディアを創造する場でもない》。何と醜い権威主義か!
解説は長谷川宏氏。本書の核心をよく捉えている。