よしこちゃん、ひでぶみくんの世界
還暦(六十歳)祝いの席で現在九十歳の老母から記念品をもらった(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2002年)。それが一九四八年に小学校二年生だったもりよしこちゃんの絵日記。まだクレヨンの色も褪せきっていない当時の絵日記に、弟のひでぶみくんの絵日記もあわせたファクシミリ(複製)が本体。それに鶴見俊輔の文と谷川俊太郎の詩。鶴見俊輔がまず、戦争文明の進歩の終わったあと、敗戦のあとのやすらぎが、しばらく日本人に広く共有された。時代の気分が、このこどもたちの絵日記にある。
と紹介している。これでもう本書の書評は言いつくされて、これ以上の書評めいた発言は自ずとはぶける。
そこで、ずばり絵日記を拝見。
こどもの世界にはタテわりの姓がない。いきなりヨコならびの呼び名で、ちかこちゃん、ていこちゃんだ。ひでぶみくんはていこちゃんとブランコに相乗りしておでこをごっつんこし、なのになぜか「ちかこちゃんとあそぶよりていこちゃんとあそんだほうがいいです」。
お姉さんのよしこちゃんは十五円のせっけんを買ってきて、自分とお母さんの服と弟のおむつを洗濯する。ひでぶみくんも薪でご飯を炊く。いなごをつかまえて焼いて食べる。手製のクリスマスツリーや七夕飾りをこしらえる。そんなことがみんな「おもしろかったです」。こどもばかりではなく、どんぐりの粉、さつまいもを主食にしながら、大人たちも
そのころ、生きていることをたのしんだ。(鶴見俊輔)
それからがどうなったか。
谷川俊太郎は「ぼくら」が全能感を喪失していく過程をこう書く。
ぼくらひみつのほらあなをぬけ/みえないどろんこにまみれ/つぎつぎにかいぶつをけし」「でもくやしいけれど/ぼくらすぐおっさんになる/ひげをそりネクタイをしめ/じぶんをめいしにとじこめる。
消費文明の成長とひきかえに名刺にとじこめられた。そして気がついてみると、時は失われ、死に神が迎えにきていた。
しかし待てよ。四人の書き手は現在いずれも還暦過ぎか五十代半ば。同年配には定年退職、倒産・リストラのうき目にあった人もいよう。消費文明における第二の敗戦。でも、だからこそ、閉じ込められていた名刺からするりとぬけ、「ひみつのほらあな」に戻る好機を迎えたともいえる。とすればここには幼年時代へのノスタルジーはない。なまじ成長して名刺にとじこめられるおそれのない老年者たちが、四、五〇年代のこどもの現在を嬉々として生きている「見出された時」の現場がある。