多様性と覇権育んだ「我らが海」
日本は海に囲まれた島国であるが、地中海は陸に囲まれた内海である。大きな海洋であるから、活用するには技術がいる。近代は大航海時代から始まると言われるが、古代のローマ帝国では地中海は「我らが海」と呼ばれ、近代に先立って海を活用していたのだ。海上には波も海流もある。それらを利用しながら、人間は地中海を横断したり、海港都市や島々で暮らしたりしてきた。その経験をめぐって、単一性よりも多様性に注目したのが本書である。
戦後の歴史学に大きな影響をおよぼしたF・ブローデル『地中海』は、16世紀の地中海世界を中心として「地中海的アイデンティティ」を探求する知の旅のごとく、地中海文明の同時代性を示そうとした。変化は緩慢であり、人間は自分自身の運命にほとんど関与できないという仮定があった。
だが、D・アブラフィアは、地中海の制海権をめぐる政治と戦争は、出来事(事件史)として重要であったことに注目する。たとえば、新鮮な食糧や水は渡航には不可欠であり、商船なら多少の余裕があっても軍用ガレー船ではかさばり過ぎていた。そこで、補給や修理のための友好的な海岸、港、島が求められており、それらの支配権をめぐる闘争はことさら重要であり、本書は「時の流れによる変化」を強調して、地中海の通史を提供する試みであるのだ。
まずはアルファベットを開発し、造船・航海術に有能なフェニキア人の姿はきわだっていた。紫の染料を売り物にして交易する商人たちはギリシアやイタリアにも大きな変革をもたらした。フェニキア人は沖合の島々に居留地を築き、交易のネットワークを拡げた。
ギリシア人もまた、母国から遠く離れた土地でも、都市を基盤に活気あふれる社会を築くようになる。エーゲ海のギリシア人がイタリア半島に面する海域に進出したことは、古代の決定的な一歩であり、西洋文明にとってこよなく重要な瞬間であったという。イタリア中部にエトルリア人の都市群も建設されたが、そもそもエトルリアは海賊だったともいう。それほど出所不明な人々が混ざり合っており、そこにも海を介した文化の多様性が示唆されるのだ。
北アフリカにはフェニキア人の末裔であるカルタゴ人の勢力があり、やがてイタリア半島に興隆したローマ人と対立した。このなかで、ローマ人は大量の兵士を海路移動させる方策を編み出したことは重要であった。
地中海には絶え間なく海賊が横行していたが、この海賊掃討作戦に成功したのがローマ人であり、そこに「我らが海」を囲む地中海帝国が実現した。それ以来、海を安全に保つことは覇権国家の重要な役割だった。たとえば、コルフ島はアドリア海への侵入を統制しようとすれば、渇望される位置にあった。中世のジェノヴァ、ヴェネツィア、バルセロナであろうと、なによりも穀物はこの海を渡ってくるのだから、そのアクセスを閉ざされてはならないのだ。
トルコ人にとっては「白き海」、ユダヤ人にとっては「偉大なる海」であり、近代には「友好的な海」あるいは「信心深き海」であるという。そこには、十字軍の例に見られるような人間の決定が大きな影を落としており、まるで大陸のごとく正確な縁をもつ地中海は動態として理解すべきなのだ。
【下巻】