灯火管制ではなく、平和に見上げたい星々
夜空がないのが悲しい。不謹慎と言われるだろうが、東日本大震災の後、繁華街の灯りが消え、「東京の空にもこんなに星があったんだ」と夜空を見上げてときめいたことをよく思い出す。本書の著者リーバーマンは、光学を専門とする物理学者であり、天文写真に情熱をかける。光害が広がり、星を眺めることが多くの人にとって過去のものになるのは遠い先ではないと感じ、夜の魔術を記録しておかなければならないと思っているのだ。ムンツェックも同じく物理学者で科学ジャーナリストでもある。二人が世界中の夜空、更には宇宙を170点以上の写真と文とで語ってくれる。
序は「天空の発見」。「人類の誕生以来、人はいつも星を見つめてきた。きらめきを放つ夜空は、魔術そのもののように人を魅了する。幾千もの年月が流れるなか、天空へのまなざしは数々の神話を呼びさました。その一方で、天体観測にはごく現実的な利用価値もある。その運行が季節の訪れを告げ、計時や暦のよりどころになるからだ」と始まる。ラスコー洞窟の今から1万7000年前のものとされる壁画は星空を描いた現存する最古の絵であり、星団昴(すばる)が描き出されているとする研究者もいるとのことだ。エジプトでは、紀元前2万年頃から夜明けにシリウスが現れるのは洪水の予兆とされてきたという。40億年前に水の星地球に誕生した生きものは、当然水中で暮らしていた。それが今から5億年ほど前に上陸。ここで初めて生きものの世界の中に空が生まれ、人間の誕生によってそれが無限に近い天空にまで拡がったのだ。
美しい夜空を眺め、星の動きから季節を知り、日常生活に生かすところから始まった観測は天文学となり、宇宙をどう捉えるか、どのような世界像を描くかという私たちの生き方の基本を支える知となってきた。そして今では、ハッブル望遠鏡などを用いて宇宙での観測まで可能になっているのである。可視光線だけでなく、電波からガンマ線まであらゆる波長の電磁波を用いるので、天体の位置と運動の他にそこにある大気の組成なども調べられる。素晴らしい展開だが、そこで大事なのはデータだということになったのである。「それでも、星空を眺める魅力がいささかも失われたわけではない」と著者は言う。評者は更に強く、魅力を感じなくなってはいけないと言いたい。
著者らは、夜空の美しい場所を求めて地球上のあちこちに旅をする。撮影の条件として、まず見たいもの(たとえば天の川)がいつどこで見えるかを知るための天文学の知識が必要だ。新月で雲がないことも重要だが、今や大事なのは文明との隔絶である。現代文明のあるところはどこも人工光が溢(あふ)れているからである。ドイツのヴェスターヴェラント自然公園(ブランデンブルク州)は街路照明を消す配慮によって、夜空を楽しめる工夫をしている。カナリア諸島のラ・パルマ島は、一九八八年に空を保護する法律をつくり、二〇一二年にはユネスコから「星空保護区」の認定を受けた。光を通しての自然への配慮によって大気汚染も抑制されたとのことだ。このような見直しが拡がってほしい。
北極圏ではオーロラや北極星、北半球では天の川や各国の神話に登場する星座が撮影される。南半球ではいて座が浮かび上がる。一九七七年にその方向から無線パルスがやってきたというちょっとした騒動があったことを思い出す。残念ながら、そちらに向けての地球からの送信に応答はなかったのだけれど。「空気が澄んだ南極地方で見る星空には圧倒的な迫力があり、天の川に手が届きそうに思えることさえある」そうだ。平滑な表層が続き、空気の乱れが起きないからである。
砂漠、森、山塊、氷層などさまざまな景観の上に拡がる壮大で美しい夜空の写真を見ると、宇宙の中にいる私を感じとり謙虚になることができる。物理学者である著者は、写しだされた星空のタイプから星の誕生と死を語り、宇宙の広さ、ブラックホール、ダークマターやダークエネルギー、地球外生命など新しい宇宙物理学の課題を取り上げる。一方で、古代から語りつがれてきたカシオペヤ、アンドロメダ、ぺルセウスなどが関わる神話にも話が及ぶ。
最新科学と神話という新旧の物語は共に、人間社会だけに目を向け、進歩と拡大を求めてすべてを一律にしてきた現代文明の見直しを考えさせる。広い宇宙の中の地球という星で40億年もの時間を生きてきた生きものにとっての夜という時間と空間の意味を軽く見てはいけない。
ふとここで、太平洋戦争の末期に、米機による空襲から逃れるための灯火管制で、家中の灯りを黒い布で覆った時の辛さを思い出した。今も戦火の中で同じような思いをしている子どもたちがいるのだろう。この暗さはダメだ。さまざまな切り口で夜を見つめ、地球という星での暮らし方、生き方を考えていきたい。