内部留保が招いた株植民地化
評者は、今世紀に入ってからの日本経済は資本主義ではない、と考えてきた。ここで言う「資本主義」とは、企業家が銀行から借り入れたり株式を発行して他人資本を集め、不確実性である世界に挑む経済制度、という程の意味である。けれども金融危機が日本を襲った1998年以降、日本の非金融企業は貯蓄主体に転じ、現在に至っている。日本の企業は銀行に「貸し剥がし」を迫られた四半世紀前から、内部留保を貯め込み自己資本で経営している。恐怖の記憶に苛まれ、カネを借りるのでなく貸しているのだ。
だから構造改革であれ、アベノミクスであれ財政再建であれ、標準的な経済政策は日本経済の立て直しには使えない。なぜならそれらの経済政策は、アメリカの健全な資本主義を対象として講じられてきたものだからだ。
癌の手当てに胃潰瘍の薬を処方するようなものだが、何故そんな取り違えが起きるのか。「海外発の教科書的知識を若い世代は鵜呑みにすることが制度的に促進され」、「日本経済の特殊事情を考慮せず」分析を進めるからだと著者は言う。自身は古典派やケインズ派について紹介するテキスト(第3版『マクロ経済学のナビゲーター』日本評論社)を改訂し続ける正統派の経済学者だが、「多くの経済データを整合的体系的に理解し、それまでの理解から外れた事象をパズルとして、皆で謎を解く、という言わば実態と研究の循環」を唱えている。
そうした「循環」の成果として、著者は日本経済の不振の真因を過剰な企業貯蓄すなわち「内部留保」に見出している。それには評者は両手を挙げて同意する。本書が圧巻であるのはその先だ。無数のデータを挙げ、自作の図版をちりばめ、日本経済の故障箇所の全体を詳細に洗い出すのである。
著者は言う。長期の不況が続いたのは、企業が過剰に貯蓄し設備に投資しなかったからだが、それは家計の消費が過少であるせいだ。そこで「賃上げ」を対策として打ち出している。
では岸田政権の賃上げ政策は支持できるか。2022年の賃上げ率はベースアップで2%だったが、ロシアのウクライナ侵攻以来、エネルギー価格が高騰し、日本ではコストプッシュで輸入インフレが定着してしまった。その上昇率が3%だったため、賃上げ率を超え実質賃金は下がった。原因は岸田政権がダラダラとアベノミクスの金融緩和を続けてきたためだ。
黒田日銀のインフレ目標政策には副作用も目立つ。著者はそもそもその本音は円安と株高への誘導にあったと解釈しているが、円安にはなっても輸出が量的に伸びたわけではなく、海外に移転した製造業が国内に戻っても来ず、海外での直接投資には失敗(キャピタルロス)が目立ち、そのうえ円安は海外投資家にとっての日本株を割安にして、「バーゲンセール」化している。グローバル経済の「植民地」かと見紛うほどだ、と。
1998年の金融危機がこれほどまで深刻な将来不安を企業に与えたことには驚くしかない。それでも銀行依存はすでに十分脱したはず。なお内部留保に固執するなら、課税もありうるだろう。著者は(銀行のではなく)企業へのマイナス金利も示唆している。自前の処方箋でみずからの病に決着を付けようとする快作である。