古代世界の神殿における神聖な売春から、中世ロンドン、江戸吉原、清朝中国、近代フランス、英国、開拓時代アメリカ、第二次大戦下ヨーロッパまで、性を売る行為はどのように行われ認識されてきたか。〈性的自由の出版賞〉を受賞した気鋭研究者が売買春にまつわるステレオタイプを解き、新たな視点を与えた書籍『[図説]世界の性と売買の歴史』より、はじめにを公開します。
風俗街から生まれた数々の物語
1888年秋、イギリス・ロンドンのホワイトチャペル地区で5人の女性が立てつづけに惨殺された。ロンドン警視庁の必死の捜査も虚しく、犯人はついぞ捕まらなかった。イギリスの報道機関が〝切り裂きジャック〟と呼んだこの連続殺人犯に殺害されたメアリー・アン・〝ポリー〟・ニコルズ、アニー・チャップマン、エリザベス・ストライド、キャサリン・エドウッズ、メアリー・ジェーン・ケリーは、いまでは彼の「正当な5人の被害者」として名を知られている。一連の殺人事件は世界各国でも報道され、世界中の人々がその犯人像に取り憑かれた。生前のポリー、アニー、エリザベス、キャサリン、メアリーは、なんの変哲もない女性たちだった。ロンドンで極貧暮らしを余儀なくされた何千という市民たちの例にもれず、社会の片隅でかろうじて生き延びようとしていたにすぎない。しかし、無数の歴史家、作家、アマチュアの「切り裂きジャック研究家」たちが犯人の正体を暴こうとする中で、5人は死後、大衆史においてカルト的な地位を得るようになった。毎年、たくさんの観光客がホワイトチャペルに押し寄せ、かつて犯人が歩いた通りをめぐったり、事件をたどるツアーに参加したり、切り裂きジャック博物館を訪れたりしている。いまやイギリスの民間伝承ともなった切り裂きジャックは、仄暗い通り、立ち込める煙霧、謎の人影、そして彼の餌食となった「売春婦」といった、お決まりのイメージを人々に想起させつづけている。
殺人犯もさることながら、ホワイトチャペルのスラム街で売春をしていた貧しい女性たちもまた、切り裂きジャック神話にとって欠かせない存在だ。被害者の5人はひどい風評被害を受けているが、人々にとって彼女たちが「リアルな」女性であったことはない。切り裂きジャックが伝説化するにつれ、その被害者たちは、犯人を描く物語におけるセンセーショナルな筋書きの道具にすぎなくなった。切り裂きジャックの正体を暴こうと何百もの書籍、ドキュメンタリー、ウェブサイトがつくられているものの、被害者については、いずれにおいても「売春婦」という大雑把なレッテルの範疇から出ていない。彼女たちもまた戯画化されるようになった。青白い顔を引き攣らせ、唇には紅を塗り、ぼろぼろのスカートをくるぶしまでたくし上げて安物のストッキングをちらつかせ、昔のロンドンの露骨な下町訛りで客引きをし、ジンの酒瓶一本分、あるいは安宿一泊分の値段でセックスをしないかと誘うのがお決まりだ。
切り裂きジャックの物語では、犯人がどこか謎めいた異常な人物でなければならないのと同じように、被害者の女性たちは「売春婦」でなければならないのだ。だが、ハリー・ルーベンホールドによる被害者の女性5人の生活に関する近年の研究では、売春で稼いでいたのはエリザベス・ストライドとメアリー・ジェーン・ケリーのみであったと指摘されている。ほかの3人の女性たちは、ホワイトチャペルのスラム街に住む多くの人々と同じようにホームレスで、雑用や物乞い、なんとか手に入れたわずかな財産を借用しあったり質に入れたりしてお金を稼いでいた。ルーベンホールドの主張は、切り裂きジャックにまつわる物語の根幹を揺るがすこととなったため、被害者たちが貧困に耐えるべく売春をしていたと信じてやまない「切り裂きジャック研究家」たちから、ネット上でかなりの中傷を浴びた。こうした敵意からは、より好色な物語に合わせるために、被害者の女性たちをかたくなにステレオタイプ化し、戯画的な「売春婦」に仕立てあげようとする意図が当時もいまも変わらず続いていることが見て取れる。
セックスワークとそれに従事する女性たちを取り巻くこのような偏見のせいで、わたしたちは長らく被害者や似たような境遇の人々の現実を直視せずにいた。こんにちのセックスワークは多様化・複雑化しており、フルサービスのセックスワーカーから、ダンサー、シュガーベイビー〔経済的援助を受けるために、おもに裕福な年上男性と関係する若い女性のこと〕、BDSMのサービス従事者〔ボンデージ(Bondage)、調教(Discipline)、SMなど、嗜虐的性向サービスを行う人のこと〕、OnlyFans〔ロンドン拠点の成人向けSNSサービス〕で写真を販売する人まで多岐にわたる。いずれも性的サービスを売りものにしているが、自ら「売春婦」を名乗る人はほとんどいない。
反対に、ヴィクトリア朝時代には、性的サービスを売る人に限らず、婚姻関係外のパートナーと一緒に暮らす女性までもが、気軽に「売春婦」のレッテルを貼られていた。「売春婦」が指すところの意味は多種多様とはいえ、それがどのような用い方をされるにしろ、女性のモラルと価値に対する固定観念と深く絡みあっている。切り裂きジャック神話において被害者女性たちが売春婦でなければならないのも、そうレッテルを貼って彼女たちから人間性を奪い、彼女たち自身にも殺される要因があったとすることで、女性たちの体に加えられた暴力に人々が憚りなく興味を示せるようにするためなのだ。
わたしたちは被害者女性たちについてさまざまな憶測を繰り返してきたが、実はほとんど何も知らない。これこそがセックスワークの歴史だ。歴史の大半を通じて、固定観念、偏見、センセーショナリズムによって、性を売る人々の実生活が覆い隠されてきた。偏見がいまだに多くの人々を沈黙に追いやりつづけている。それはつまり、セックスワークにまつわる社会一般的な物語というものが、立法者、道徳推進者、医療従事者、マスコミによってつくりあげられ、広められてきたものだということだ。罪の意識のない蠱惑的な売春婦、あるいは救済を必要とする哀れな犠牲者といった固定観念のせいで、売春をする人々の声が長らく抑えつけられてきたのだ。
いつの時代も、セックスワークの本質はファンタジーを売ることである。たとえば、人はポルノを見るとき、念入りに演出された最終的な作品しか見ない。見るのは俳優やセット、セックスのまねごとで、周りでサンドイッチを頬張るカメラクルーや、何度も重ねるテイク、偽の精液、同意や限度についての話し合いなどのことは考えない。ファンタジーは作品として完成されているが、決してそれだけがすべてではない。
本書ではぜひ、セックスワークに関するニュース記事、センセーショナルな噂、固定観念を乗り越えて、性的サービスを売ってお金を稼ぐ実際の人々に出会ってほしい。忘れ去られた人々の顔や名前、陰で生きた人生と結びつけられるように、古今東西の「遊女、娼婦、売春宿」の歴史に名前、写真、史料などを添えておいた。セックスワークとは、いまも昔も非常に複雑なものであり、簡単には定義できない。バビロニアの神聖娼婦や古代ギリシャの伝説的な高級娼婦、ジョージ王朝時代のロンドンの男娼モリー・ボーイ、広州のロブロブ・ガール、中世ロンドンの風俗街で商売をしていたウィンチェスターのガチョウたちまで、セックスワークの種類はひとつではない。むしろ、数えきれないほどある。売春で大金を手に入れて名を馳せた人もいれば、低賃金を補うためにときおりセックスワークに手を染めた人もいる。こうした副業は、かつて「ドリーモッピング」と呼ばれた。売春をする人々の大半は、いつの時代も極度の貧困の中で暮らしている。だから、モラルなどという空虚な言葉よりも腹を満たすことを選んできたのだ。そして、まったく選ばずにして性奴隷として生きた人もいる。その誰もがファンタジーと性的奉仕を売ることで、多かれ少なかれ虐げられ、社会の偏見に晒されてきた。
セックスワークへの偏見が人を殺す
歴史的に見て、さまざまなセックスワークに従事する人々がそれぞれどれほどの偏見に晒されていたかは、富と階級に左右されてきた。つまり、顧客が裕福であればあるほど、偏見は少なかった。たとえば、ダイヤモンドをちりばめた艶やかな高級娼婦や、中世ルネサンス期のヨーロッパ貴族たちの職業愛人などは、尊敬を集めすらした。そればかりか、そうした女性たちの多くは、ぞっこんとなった顧客たちにかなりの政治的影響を及ぼした。王の愛妾ともなれば絶大な力を持ったため、「王位の影の権力者」と呼ばれることもしばしばだった。15世紀のフランス国王シャルル7世の愛妾、アニェス・ソレルもそんな女性のひとりだった。1444年、国王はソレルを王の愛妾として正式に指名し、富、城、土地を惜しみなく与えた。フランスでそのように公妾と認められた女性は、ソレルが初めてだった。一方で、シャルル国王は、国内の「いかがわしい婦女子」を検挙し、自治都市や国が認可した売春宿で働かせるか、さもなければ故郷の町から一斉追放することを義務づける法律を可決した。こうした売春宿で働く女性たちが事実上の囚人として生活する一方で、国は彼女たちの稼ぎから相当の利益を得ていた。その収益が国王の金庫を潤していたのであり、それを国王は自分の「いかがわしい」女性に手渡していたのだ。
歴史を通じて、性の売買を望む人々にどう「対処」するのが最善かと、当局はつねに頭を悩ませてきた。弾圧、容認、合法化、規制、道徳的怒り、そして廃止へとさまざまな段階を踏んだあと、またふりだしに戻る。歴史の中には、セックスワークを廃止することで性的搾取を防ごうとする取り組みの事例がいくつも散見される。しかし、どの例もうまくいっていない。拷問、去勢、罰金、投獄、流刑、破門、さらには死刑までもが、さまざまな段階で用いられたが、どれも売春の廃絶にはいたらなかった。これらの懲罰的措置によって、性的虐待がなくなることもなかった。結局のところ、交渉に同意したセックスワーカーたちが危険な状況で働かざるをえなくなったうえ、さらなる偏見の的となり、性的虐待を受けても余計に発覚しにくくなっただけだった。
現代のセックスワーカーの権利運動における中心的スローガンのひとつに、「偏見が人を殺す」というのがある。これにはもっともな理由がある。カナダのジョン・ロウマン教授は、2000年、政治家、警察、地域住民によるセックスワーク廃止の取り組みに関するメディアの記述を分析し、その中に「使い捨て論」を見いだした。これをロウマンは、1980年以降にカナダのブリティッシュコロンビア州で街娼の殺人事件が急増したことと関連づけた。「1980年代初頭の売春に関する言説では、路上から売春婦を排除すべきとの論調が支配的だった。これによって、売春婦への暴力が横行する社会的環境がつくりだされたと考えられる」と、ロウマンは主張している。これが偏見の仕組みだ。ひとたびセックスワーカーたちに「劣等」あるいは「使い捨てしてもよい存在」という烙印が押されると、モラルやセックスワーク廃止をめぐる議論において、あるメッセージが形成され、展開されていく。この言説が、セックスワーカーたちの扱いに影響を及ぼすのだ。歴史を見れば、このようなレトリックがつねに作用していることがわかるだろう。売春をする人々に対するきびしい法律や処罰は、暴力を横行させる社会的偏見を助長させるのだ。本書は、性を売買してきた人々の歴史を明らかにするものだが、セックスワークにまつわる現在進行形の偏見をなくすことは、すべての人の責任である。
セックスワークは世界最古の職業だとも言われているが、これは事実ではない。お金の存在しない文化では、そもそも職業というものがなく、よって売春が行われていた形跡もほとんどない。とはいえ、セックスが、どのような形にせよ、有用な商品であったことは間違いない。短編小説、『オン・ザ・シティ・ウォール』(1898年)の中で、「世界最古の職業」という言葉を初めて生みだしたのは、ラドヤード・キプリングだった。「ラランは世界最古の職業についている」という不朽の一節で、物語は幕を開ける。それ以来、この表現は歴史的事実として定着してきた。しかし、より深い洞察を得られるのは、少なくとも実際にとても古くからある職業について、キプリングがこの言葉のあとに続けて書いたことのほうかもしれない。「西洋では、ラランの職業について人々が無礼千万なことを言い、道徳を守らんがために、それについての説教を書きしたためては若者たちにばら撒いている」
重要なのは、セックスワークについてどう書くか、どう考えてどう話すかだ。たしかにセックスワークは「最古」ではないかもしれないが、本書やほかの多くの書籍が明らかにしているように、とても古いものである。それに従事する人々は、固定のイメージに当てはめられたり、黙らされたりするのではなく、権利を与えられ、敬意を表され、誠実に耳を傾けられ、目を向けられるに値する存在なのだ。
いまこそ、ファンタジーの域を超えよう。目を向け、耳を傾け、学ぶときがやってきたのだ。
[書き手]ケイト・リスター(リーズ・トリニティ大学芸術コミュニケーション学部講師)
セックスワークの歴史を研究し、歴史的セクシュアリティ研究のための学際的デジタルアーカイブであるオンライン研究プロジェクト「Whores of Yore」をキュレーションしている。inewsやWellcome Trustに寄稿している。Sexual Freedom Publicist of the Year Award(性的自由の出版賞)を受賞。著書に『The Curious History of Sex』がある。
Whores of Yore
https://www.thewhoresofyore.com/