書評

『ほとんど記憶のない女』(白水社)

  • 2017/08/26
ほとんど記憶のない女 / リディア・デイヴィス
ほとんど記憶のない女
  • 著者:リディア・デイヴィス
  • 翻訳:岸本 佐知子
  • 出版社:白水社
  • 装丁:新書(209ページ)
  • 発売日:2011-01-22
  • ISBN-10:4560071748
  • ISBN-13:978-4560071748
内容紹介:
「とても鋭い知性の持ち主だが、ほとんど記憶のない女がいた」わずか数行の超短篇から私小説・旅行記まで、「アメリカ小説界の静かな巨人」による知的で奇妙な51の傑作短篇集。
トヨザキ的評価軸:
◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」

短いけど、濃いっ! 翻訳家への信頼をさらに強める短篇集

「面白い海外小説と出合うにはどうしたらいいですか」

職業柄、そんな質問を受けることがよくありますの。答えは「翻訳家で選べば間違いなし」。

英米だけ一部具体名を挙げてみると――。柴田元幸、青木純子、若島正、大森望、柳下毅一郎、鴻巣友季子、越川芳明、黒原敏行、志村正雄、風間賢二。そして、短篇集『ほとんど記憶のない女』の訳出によって、日本では未知の作家リディア・デイヴィスを本邦初紹介してくれる岸本佐知子が、わたしにとって、”出れば即買い”信頼印の翻訳家なんであります。

さて岸本佐知子といえば、かつて在籍していた会社で、突拍子もないことをしでかす様を示して“キシモトる”という物言いが残っていることから察しがつくとおり、相当な面白キャラ。そんな生きながら伝説と化すことのできる人間が、ありきたりの小説なんかわざわざ訳すはずがございません。というわけで、リディア・デイヴィスもかなりヘンテコな作家なんですの。

鋭い知性の持ち主なのに、ほとんど記憶を持たない女についての表題作からして奇妙。その女は本を読むのが好きで、読みながらメモを取るのだけれど、記憶が定着しないからかつて書いたメモを読むと、そのどれもが新鮮に思えてしまう。すると作者のデイヴィスは、メモを取る→メモを読み返す→メモについて考える→そのメモによって思いついたことをメモするという終わらないループを、三ページにも満たない短い文章の中で考え尽くさずにはいられないんです。その徹底ぶりは呆れるを通り越して感動的ですらありますの。

たかだか百九十ページの中に収められている五十一篇もの作品の多くはとても短い。しかし、内容は濃いっ。わかることもわからないことも全部ひっくるめて考えたい、物事のありとあらゆる可能性について考え尽くしたい、これはそんな異常ともいえる堅牢強固な意志の力によって書かれた作品群なのです。ところが、膨大にふくれあがる思考を、作者は最小限の言葉で表そうとしている。そこがまた凄い。でも一方で、この作家は語り尽くしたいという熱望が言葉によっては決して叶えられない、その知的な諦観から生まれる虚無も持ち合わせているようにも思えるんです。そして、そうした作家として直面しなければならない諦観が、時に女性としての生の光景にも重なっていく。それが見事に表現されているのが「グレン・グールド」という名篇なんではありますまいか。

うん、やっぱり岸本佐知子の訳す本にハズレなし。信頼感をさらに強める一冊なんですの。

【この書評が収録されている書籍】
正直書評。 / 豊崎 由美
正直書評。
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:学習研究社
  • 装丁:単行本(228ページ)
  • 発売日:2008-10-00
  • ISBN-10:4054038727
  • ISBN-13:978-4054038721
内容紹介:
親を質に入れても買って読め!図書館で借りられたら読めばー?ブックオフで100円で売っていても読むべからず?!ベストセラーや名作、人気作家の話題作に、金、銀、鉄、3本の斧が振り下ろされる。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

ほとんど記憶のない女 / リディア・デイヴィス
ほとんど記憶のない女
  • 著者:リディア・デイヴィス
  • 翻訳:岸本 佐知子
  • 出版社:白水社
  • 装丁:新書(209ページ)
  • 発売日:2011-01-22
  • ISBN-10:4560071748
  • ISBN-13:978-4560071748
内容紹介:
「とても鋭い知性の持ち主だが、ほとんど記憶のない女がいた」わずか数行の超短篇から私小説・旅行記まで、「アメリカ小説界の静かな巨人」による知的で奇妙な51の傑作短篇集。

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初出メディア

TV Bros.

TV Bros. 2005年12月10日

多彩な連載陣のコラムが人気のポップカルチャーTV情報誌。豊﨑由美氏の書評コーナー「帝王切開金の斧」が好評連載中。

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