書評
『沼地のある森を抜けて』(新潮社)
トヨザキ的評価軸:
◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
……すみません。決定じゃございませんでした。ラストの大袈裟な愁嘆場こそ「ぐはっ」なれど、本格ミステリーとして完成度の高い『容疑者Xの献身』で、これまで何度も落とされてきた東野圭吾が多分受賞にいたりましょう。が、今回紹介したいのはソレじゃございませんの。直木賞ではなく、本屋大賞最有力候補作品なんであります。
両親のいない〈私〉が、母の妹の時子叔母さんが急死して、ぬか床を引き受けることになる場面から、この物語は始まります。ところが、先祖伝来のこのぬか床が、なんかヘン。相性が悪い人に掻き回されると、呻くんです。そんな不気味なぬか床を押しつけられた〈私〉の身の回りで、案の定、奇異な出来事が起きます。ぬか床の中に卵が発生し、そこから男の子が生まれ出てしまうのです。その少年は、〈私〉の幼なじみフリオを小学生の頃いじめから救済し、その後交通事故で死んでしまった光彦君そっくりで――。
ここまではジェントル・ゴースト・ストーリーものか、と読めるんですね。ところが第三章に入ると、物語のトーンは激変。SFファンなら、ポーランドの天才作家が書いたある傑作に、バイオSFのモチーフが加わった小説だということがピンとくるはずです。それはある意味正解。けど、そうやってひとつのカテゴリーに押し込めてしまうと、最終章へと向かう中、酵母菌が発酵するように熟成し、じょじょにあたりの空気を濃厚にしていく、そんな物語の”気配”を台無しにしかねません。先入観は捨て去って、まっさらな気持ちで読み進めて下さいまし。
風変わりな酵母菌研究者・風野さんとの出会い。時子叔母さんの日記に綴られた驚くべき物語。ぬか床を返そうと風野さんと二人、一族の故郷である島に渡った〈私〉が経験する不思議な出来事。それまで並行して語られていた二つの物語が一本に縒り合わされる最終章で描かれる、生命を生み出すための原初の交わり。某作家が新聞連載小説で毎日飽きもせず繰り返している、陳腐な“あれ”とは比べものにならないほど壮大かつ美しい描写に瞠目しちゃって下さい。梨木香歩ワールドの発酵の進化と深化に目を瞠る、これはとんでもない傑作なのです。
【この書評が収録されている書籍】
◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
梨木ワールドの進化と深化に目を瞠る、とんでもない傑作!
六十ページで伊坂幸太郎の『死神の精度』を紹介した(事務局注:『死神の精度』評)時、たしか「第百三十四回直木賞はこれで決定ー」って書きましたわね? 書きましたわよ。でも、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとに水にあらず」(方丈記)とも、「世はさだめなきこそ、いみじけれ」(徒然草)とも申しますわね? 申しますわよ。……すみません。決定じゃございませんでした。ラストの大袈裟な愁嘆場こそ「ぐはっ」なれど、本格ミステリーとして完成度の高い『容疑者Xの献身』で、これまで何度も落とされてきた東野圭吾が多分受賞にいたりましょう。が、今回紹介したいのはソレじゃございませんの。直木賞ではなく、本屋大賞最有力候補作品なんであります。
両親のいない〈私〉が、母の妹の時子叔母さんが急死して、ぬか床を引き受けることになる場面から、この物語は始まります。ところが、先祖伝来のこのぬか床が、なんかヘン。相性が悪い人に掻き回されると、呻くんです。そんな不気味なぬか床を押しつけられた〈私〉の身の回りで、案の定、奇異な出来事が起きます。ぬか床の中に卵が発生し、そこから男の子が生まれ出てしまうのです。その少年は、〈私〉の幼なじみフリオを小学生の頃いじめから救済し、その後交通事故で死んでしまった光彦君そっくりで――。
ここまではジェントル・ゴースト・ストーリーものか、と読めるんですね。ところが第三章に入ると、物語のトーンは激変。SFファンなら、ポーランドの天才作家が書いたある傑作に、バイオSFのモチーフが加わった小説だということがピンとくるはずです。それはある意味正解。けど、そうやってひとつのカテゴリーに押し込めてしまうと、最終章へと向かう中、酵母菌が発酵するように熟成し、じょじょにあたりの空気を濃厚にしていく、そんな物語の”気配”を台無しにしかねません。先入観は捨て去って、まっさらな気持ちで読み進めて下さいまし。
風変わりな酵母菌研究者・風野さんとの出会い。時子叔母さんの日記に綴られた驚くべき物語。ぬか床を返そうと風野さんと二人、一族の故郷である島に渡った〈私〉が経験する不思議な出来事。それまで並行して語られていた二つの物語が一本に縒り合わされる最終章で描かれる、生命を生み出すための原初の交わり。某作家が新聞連載小説で毎日飽きもせず繰り返している、陳腐な“あれ”とは比べものにならないほど壮大かつ美しい描写に瞠目しちゃって下さい。梨木香歩ワールドの発酵の進化と深化に目を瞠る、これはとんでもない傑作なのです。
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