井上 ひさしHISASHI INOUE
では、詩人たちはどのように時間の砂化と戦っているか。歌謡曲の詩は、例外なく、時間軸の流れの方向に忠実である。ときおり「回想法」や「未来法」が用いられ、時間を意識することはあっても、そのほとんどは〈時は流れ去るもの〉と固定して捉えている。時間に逆らう役目はむしろ曲にゆだねられているのである。そういうなかで、中島みゆきはかなり特異な存在の作者で、彼女は常に時間の頭と尻尾とをくっつけようと試みている。
なにもことばに残る 誓いはなく
なにも形に残る 思い出もない
……(だがしかし)忘れられない歌を 突然聞く
やっと忘れた歌が もう一度はやる(「りばいばる」)
まわる まわるよ 時代はまわる
喜び悲しみくり返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ(「時代」)
ー中島みゆき風にー
やたらに目の大きな背高の女の子が
ガードレール跨いで来ようとして
くりかえしくりかえし殺される
ぼくはこちら側の珈誹店の窓にいて
くりかえし女の子をスケッチしてる
早く来てくれ早くおいでよ女の子
でもまだ来ちゃいけないまだ
もういちどもういちど殺されておくれ
ぼくのスケッチはまだできない
時間を追い越し、時間の方に追い着くよう急き立てる者としての詩人
天子が即位すると、盗掘団は直ちに、その日から、その天子が将来葬られるであろう想定の墓所に向って、秘密の地下の道を掘り始めるという。もちろん古い中国の話だ。作り話にしても、私はこの話が好きだ。この話を思い出すと、いつも勇気を感ずる。私もまた掘り始めなければならぬと思う、死者の静けさと、王冠の照りの華やぎを持つ何ものかに向って。たとえば、私の死後五十何年目かにやってくる、とある日の故里の落日の如きものに向って。(「盗掘」)
……「二月某日」。ここでもしこれが「絶筆」となってしまっていたら……。病気がやや快方にむかってから、そのことにふれて、瀧口さんと私たちは笑いあった。笑いあうほかに仕様のないデッドエンドというものがあるのだ。しかし、「二月某日」という文字が絶筆ではたまらない、という気持ちが、結果として瀧口修造の病状にいちじるしい好影響を与えたようである。少なくとも、倒れたとき以後、おどろくべき克明さで、瀧口さんは死力をつくして刻々の出来事を記憶しようとした。そのことが、脳に最も望ましい反援力と活力を注ぎこむことになったのだ、と医師はいったそうである。
何シニ来タ
地獄カラ火貰イニ来タ
ライター貸シテヤレ。(瀧口修造「曖昧な諺」)