解説

『昆虫記〈上〉』(河出書房新社)

  • 2020/08/12
昆虫記〈上〉 / H. ファーブル
昆虫記〈上〉
  • 著者:H. ファーブル
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(279ページ)
  • 発売日:1992-12-01
  • ISBN-10:4309465536
  • ISBN-13:978-4309465531
内容紹介:
自然の中の詩情豊かな「文学」。「自然のなかに隠されている、楽しくて不思議でときには厳しい物語の数々を、現在進行形でファーブルとともに発見してゆく喜び」を得られる1冊。
小学生のとき、夢中になって『ファーブル昆虫記』を読んだ。理科よりも国語、算数よりも社会が好きだった私は、はじめこの本のタイトルを見て、敬遠していた。

「おもしろいわよ。たまには、こういうのも読んでみたら?」

物語にばかり偏る私に、勧めてくれたのは母だった。

朝顔の観察とか、蟻の巣づくりを調べるとかいうことは、好きなほうではなかった。たぶん、そんなようなことが、たくさん書いてある本だろうと思っていた。そして実際に読んでみると、たしかに内容は、そんなようなことである。

にもかかわらず、ぐいぐい引き込まれていった。勧めた母親のほうがあきれるくらい、寝ても覚めても『ファーブル昆虫記』、という感じだった。

それでは私はファーブルによって、昆虫への理科的な興味を開眼させられた、といっていいだろうか?

ちょっと違うような気がする。それまで夢中になった本と同じように、私はそこに「物語」を読んでいたのだ。

登場する昆虫たちは、ユニークで頭がよくて愛嬌のある主人公。彼らのくりひろげる「生きる」という物語に、すっかり魅せられてしまった。

『ファーブル昆虫記』の素晴らしさは、ここにあるのだと思う。自然のなかに隠されている、楽しくて不思議でときには厳しい物語の数々を、現在進行形でファーブルとともに発見してゆく喜び。『オズの魔法使い』や『不思議の国のアリス』を読んでいるときにも似たような興奮が、そこにはあった。

なかでも印象に残っておもしろかったのは「ふんころがし」すなわち「オオタマオシコガネ」の章である。今回あらためて読みかえしてみて、この虫を描くときのファーブルの筆には、ひときわ愛情がこもっているように感じられた。子ども心にも、それが伝わったのだろうか。

自然の恵みを受けることと、自然と戦うこととが、表裏一体となって紡がれるドラマ。

西洋ナシの形をしたお団子のなかで生きる幼虫の話は、何度読んでも飽きないものである。

虫の持つ知恵への驚きも、もっとも大きい章だった。

ところで、昆虫というと、最近ちょっと気になる報道があった。昆虫採集は自然破壊につながるのでやめよう、という意見があるという。子どもにも自然を大切にする心を教えなければ、と。

一瞬、なるほどと思いかけて、いやいや待てよ、と思った。蟬を採ったりカブトムシをつかまえることは、自然と親しむことにこそなれ、自然を破壊することにはならないのではないだろうか。むしろ、そういう体験をすることなしに大人になってしまうことのほうが、こわいような気がする。

貴重な高山植物や珍種の蝶を採ることは、もちろん規制されてしかるべきだろう。が、そういう特殊な例を除けば、昆虫採集の禁止は、それこそ近視眼的な発想ではないかと思う。子どもが採集するぐらいで、蟬やカブトムシは絶滅したりはしない。山を切り崩したり、ゴルフ場を造ったりするほうが、よっぽど虫たちを脅かすことになるだろう。

そんな愚行から虫たちを守ろうと、将来発想することができるのは、どんな育ちかたをした子どもだろうか。蟬もカブトムシも見たことがない、というのでは、はなはだ心もとない。

ファーブルも、さまざまな実験の途中では、多くの虫たちを死なせてしまっている。蟬をフライにして、食べちゃったりもする。が、ファーブルが心から虫を愛していた人であることは、いうまでもない。昆虫採集禁止をとなえる人は、ファーブルの行為もまた、残酷だというのだろうか。

愛情は、なにもないところからは生まれない。まず「知る」ことが、愛情のめばえのスタートだ。現代の日本では、虫たちと触れ合う機会はめっきり少なくなってしまった。私が子どもだったころは、デパートでカブトムシが売られているというようなことは、さすがになかった。

『ファーブル昆虫記』は、その意味でも、ことに今、読まれる値打ちのある本ではないかと思う。「地球に優しい」とか「エコロジー」とかいう言葉が流行の昨今ではあるけれど、なにか地に足がついていないように感じられる。いきなり「地球」という規模が出てくるものだから、ムードばかりが先行してしまって、実感が湧きにくい。これは私自身の反省も含めて言うのだけれど、身近な虫への優しい気持ちなくして、地球に優しいもなにもあったものではない。

もちろん、子どもたちには、今言ったような理屈は抜きで読んでもらっていい。これは、ほぼ二十年ぶりに読みかえしたオネエサン(オバサン?)の、やや教育的配慮のこもった思いにすぎない。子どもというものは、そんな大人のもくろみに、いつだって無頓着だ。

それでいい、と思う。

私だって子どものころは、ただただおもしろくて読んでいた。母親に、どれほど教育的配慮があったかはわからないけれど、つまらなかったら、もちろん途中でやめていただろう。

が、無意識のうちに、自分の心のなかでは大切なものが育まれていたように、今では思う。その大切なものが、現代では、ますます重みを増していることは、たしかだろう。私が少女だった二十年前のころよりも、ずっと、ずっと。

【この解説が収録されている書籍】
本をよむ日曜日 / 俵 万智
本をよむ日曜日
  • 著者:俵 万智
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(205ページ)
  • ISBN-10:4309009719
  • ISBN-13:978-4309009711
内容紹介:
きょうの予定…一日読書。切ない本、わくわくする本、やさしい気持になれる本 実は楽しい古典から、話題のベストセラーまで「ねぇ、これおもしろかったから読んでみて。」。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

昆虫記〈上〉 / H. ファーブル
昆虫記〈上〉
  • 著者:H. ファーブル
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(279ページ)
  • 発売日:1992-12-01
  • ISBN-10:4309465536
  • ISBN-13:978-4309465531
内容紹介:
自然の中の詩情豊かな「文学」。「自然のなかに隠されている、楽しくて不思議でときには厳しい物語の数々を、現在進行形でファーブルとともに発見してゆく喜び」を得られる1冊。

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