書評
『射程』(新潮社)
老人には、すべて懐かしいものばかり、でも古典になったら、その作品はいまでも生きている、ってことでしょ。井上靖は古典かなあ。ノーベル賞候補になった頃に比べたら、流行ってないと思うから、懐かしいという部類に入れていいですかね。毎日新聞とご縁があるし。
『射程』。大学生の時に読んで、東京駅から一時間、横須賀線を鎌倉で降りるはずが、二駅先の東逗子で乗り越しに気が付いた。中身を覚えているかって、あまりよく覚えていない。とにかく憧れた女性のために射程を越えて破滅する男の話だった。若い時はこの種のロマンが大好きだった。いまならバカじゃないの、と思うだけ。
私も変わったけれど、世間が変わりましたね。ロマン的でなくなった。若い頃には周りの男どもがまさに男だったけれど、いまはちゃんとした人ばかり。男女の区別も判然としない。他の作品だけれど、夫婦喧嘩で旦那が家の柱を鋸(のこぎり)で切り出す挿話をよく覚えている。これも大好き。
家内と伊豆を旅して、木下杢太郎の記念館に行き、井上靖の育った家を探した。近所と思われる店で場所を尋ねたら、「知りませんね」とにべもなかった。研ナオコの生家なら、すぐそこだけどね、という。世間の認知度とは、まあ、そんなものでしょうね。
大学院生の頃、韓国の梨花女子大の年配の教授が来られた。しばらく東大に客員として滞在するとのことだった。むろんその年齢だと、日本語は達者である。最近の日本文学で面白い本はありませんか。そう訊かれたので、ちょうど手元にあった『風濤(ふうとう)』をお貸しした。翌日、即座に返してこられた。いかがでしたか、と尋ねると、可哀想で読めませんでした、と言われた。小説一つとっても、これですからね。国際化などと簡単に言わないでいただきたいですね。
井上靖の夫人は、京都大学の解剖学教授だった足立文太郎の娘である。『比良のシャクナゲ』はその義父のことを書いている。足立は東大の解剖学教授だった小金井良精と親しく、『群舞』という作品は同じく東大の解剖学教授だった小川鼎三をモデルにしている。小川は雪男探検隊を組織して、ヒマラヤに出かけた。いまはそんなことをする人はいないでしょう。学者も世間の役に立つことをするようになりましたからね。
学者が真面目そうな顔をして、変なことをしていた時代が妙に懐かしい。
『射程』。大学生の時に読んで、東京駅から一時間、横須賀線を鎌倉で降りるはずが、二駅先の東逗子で乗り越しに気が付いた。中身を覚えているかって、あまりよく覚えていない。とにかく憧れた女性のために射程を越えて破滅する男の話だった。若い時はこの種のロマンが大好きだった。いまならバカじゃないの、と思うだけ。
私も変わったけれど、世間が変わりましたね。ロマン的でなくなった。若い頃には周りの男どもがまさに男だったけれど、いまはちゃんとした人ばかり。男女の区別も判然としない。他の作品だけれど、夫婦喧嘩で旦那が家の柱を鋸(のこぎり)で切り出す挿話をよく覚えている。これも大好き。
家内と伊豆を旅して、木下杢太郎の記念館に行き、井上靖の育った家を探した。近所と思われる店で場所を尋ねたら、「知りませんね」とにべもなかった。研ナオコの生家なら、すぐそこだけどね、という。世間の認知度とは、まあ、そんなものでしょうね。
大学院生の頃、韓国の梨花女子大の年配の教授が来られた。しばらく東大に客員として滞在するとのことだった。むろんその年齢だと、日本語は達者である。最近の日本文学で面白い本はありませんか。そう訊かれたので、ちょうど手元にあった『風濤(ふうとう)』をお貸しした。翌日、即座に返してこられた。いかがでしたか、と尋ねると、可哀想で読めませんでした、と言われた。小説一つとっても、これですからね。国際化などと簡単に言わないでいただきたいですね。
井上靖の夫人は、京都大学の解剖学教授だった足立文太郎の娘である。『比良のシャクナゲ』はその義父のことを書いている。足立は東大の解剖学教授だった小金井良精と親しく、『群舞』という作品は同じく東大の解剖学教授だった小川鼎三をモデルにしている。小川は雪男探検隊を組織して、ヒマラヤに出かけた。いまはそんなことをする人はいないでしょう。学者も世間の役に立つことをするようになりましたからね。
学者が真面目そうな顔をして、変なことをしていた時代が妙に懐かしい。