作家論/作家紹介

【ノワール作家ガイド】「ノワール小説の系譜の中の重要人物」ウィリアム・マッギヴァーン『ビッグ・ヒート』(東京創元社)、『殺人のためのバッジ』(早川書房)、『悪徳警官』(東京創元社)

  • 2018/03/28
ウィリアム・ピータース・マッギヴァーンは一九ニ二年シカゴに生まれ、八二年に没している。バーミンガム大学在籍中第二次世界大戦に従軍し、戦後はフィラデルフィアで記者として働きながら、パルプ雑誌などに小説を書き始め、四八年に処女長篇『囁く死体』を刊行した。

マッギヴァーンの作風を社会派ハードボイルドなどと称することがあるが、それは主人公像の造型と作品に内包されるテーマに由来するものである。マッギヴァーンの場合、ステレオタイプの私立探偵キャラクターを持たず、主に警察官や新聞記者など、法の執行やその監視を職業とする人々を主人公とすることが多かった。また、特に中期の傑作である『明日に賭ける』(五七)で人種問題を取り上げたような、ジャーナリスティックな眼差しが作品を貫いていたのである。テーマ性が前面に押し出されてくるにつれてマッギヴァーン作品からは、ミステリーであることの必然性が薄れ、ついに『けものの街』(五九)では完全に普通小説の域に入ってしまう。そのためか、わが国では『けものの街』以降、マッギヴァーン人気は薄れ、系統だった作品紹介はなされないままになっている。しかし、ノワールの系譜から見れば、マッギヴァーンは重要な作家なのである。

彼が私立探偵タイプの主人公を置かなかったのは、同時代作家への批判のためだろう。ミッキー・スピレイン『裁くのは俺だ』で、私立探偵マイク・ハマーが誕生するのが四七年。マッギヴァーンの処女長篇が世に出る一年前のことだ。ハマーは、後年のマッカーシズムを予想させるようなファシストだ。白は白、黒は黒と区分けをしないと安心できない。その上黒いものを赤と言い含めるような男である。おそらくマッギヴァーンは、ハマーのような世界の単純化に耐えられなかったのだ。そういえば、『囁く死体』の主人公スティーブ・ブレイクは、紋切型のタフ・ノヴェルにうんざりしている探偵雑誌の編集者だった。

マッギヴァーンの描く主人公たちは、いずれも英雄像にはほど遠い人間たちばかりである。『囁く死体』は、いわゆる巻き込まれ型のサスペンスであったが、彼の小説においては、なぜ主人公たちが、なぜその事件に、関わらざるをえないのか、という「なぜ」が重要な要素だと言える。その「なぜ」を描くことによって、主人公の置かれた社会の背景、特に権力の構造が明らかになっていくからだ。

それが際立っているのが、第七長篇の『ビッグ・ヒート』(五三)であろう。この小説の主人公デイブ・バニオンは、フィラデルフィア市警の警部補だが、同僚の死に不審を抱いて背景を調べていくうちに、市政の腐敗につきあたってしまう。警察上層部も暗黒街に抱き込まれており、彼の捜査には圧力がかかる。それでも捜査を止めないバニオンには直接的な暴力が向けられ、ついに彼の妻が犠牲になるのである。バニオンが圧力を受けながらも捜査をやめないのは、彼に法の守護者としての誇りがあるためだ。その彼に警察上層部が圧力をかけてくるというのは、バニオンにとって身を引き裂かれるような事態だと言える。法は警察官である彼自身の規範そのものだからだ。それが分裂するという不条理、これがマッギヴァーンの小説をノワール小説にしているゆえんである。バニオンは妻の死を契機として、暗黒街への復讐を決意する。これは、分裂した自己を再び統合しようという闘争の開始とみてもいいだろう。分裂した自我の葛藤と、その統合のための闘争が、マッギヴァーンにおいては重要な要素である。本書はマッギヴァーンの代表作とされる作品であり、フリッツ・ラング監督の映画化作品『復讐は俺に任せろ』(五三〉もバニオンを包む歪んだ環境を小気味よくデフォルメした秀作であった。なお、同じようなプロットの小説には第一〇長篇の『最悪のとき』(五五)がある。

ここまでくれば、なぜマッギヴァーンが悪徳警官ものと呼ばれる一連の小説を書いたのかは明白である。デイブ・バニオンが陽画だとすれば、『殺人のためのバッジ』(五一)の主人公、バーニー・ノーラン警部補はその完全なる陰画である。彼はバニオンと同じフィラデルフィア市警の警部補だが、バニオンと違って骨の髄まで腐敗した警官である。この小説はマッギヴァーンの第四長篇だが、彼が悪徳警官を主人公にした最初の小説だ。その意図は明白である。ノーランもまた、バニオンと同じく分裂した自己を抱える男なのだ。だが彼は、法の側ではなく、悪の側につくことを選択したのだ。冒頭、ノーランはある男を殺すことを決意する。その男が二万五千ドルの現金を持っていることを知ったからだ。彼は男を殺して金を奪い、上司には威嚇射撃の弾が誤って当たってしまったと報告する――。

すでに第二長篇の『最後の審判』(四九)でマッギヴァーンは殺人犯の視点から小説を描いている(同書には『郵便配達は二度ベルを鳴らす」の影響が見られる)。だが、あえて悪徳警官を描くというタブーを犯してまで、『殺人のためのバッジ』を書く必要があったのだろう。それは社会の頂点から底辺までを貫く権力の構造の中に、腐敗が忍び込んでいるということを明らかにするためであった。現代社会に生きる不安を描くには、書くしかなかったのである。そのことによって、初めてマッギヴァーンは小説で社会を描いているという実感を得ることができたのに違いない。第九長篇の『悪徳警官』(五四)は同様に悪徳警官を主人公にしつつ、彼が弟の死を契機に再び自己を見つめなおし、警官として再生するまでを描いている。

マッギヴァーンは、社会と自己の対立というテーマを自覚的に小説の中に持ちこんだノワール作家だった。このテーマは長い時間をかけて咀嚼され、やがてジェイムズ・エルロイ『LAコンフィデンシャル』などの作品の中に再登場してくる。

【必読】ウィリアム・マッギヴァーン『ビッグ・ヒート』(東京創元社)、『殺人のためのバッジ』(早川書房)、『悪徳警官』(東京創元社)
ビッグ・ヒート / ウィリアム P.マッギヴァーン
ビッグ・ヒート
  • 著者:ウィリアム P.マッギヴァーン
  • 出版社:東京創元社
  • 装丁:文庫(295ページ)
  • ISBN:4488134041

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殺人のためのバッジ / ウイリアム・P.マッギヴァーン
殺人のためのバッジ
  • 著者:ウイリアム・P.マッギヴァーン
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(280ページ)
  • ISBN:4150716013

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悪徳警官 / W.P.マッギヴァーン
悪徳警官
  • 著者:W.P.マッギヴァーン
  • 出版社:東京創元社
  • 装丁:文庫(273ページ)
  • ISBN:4488134068

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初出メディア

ユリイカ

ユリイカ 2000年12月

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