書評

多和田葉子『地球にちりばめられて』(講談社)、ダニエル・ヘラー=ローゼン『エコラリアス』(みすず書房)

  • 2018/06/17
地球にちりばめられて / 多和田 葉子
地球にちりばめられて
  • 著者:多和田 葉子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(309ページ)
  • 発売日:2018-04-26
  • ISBN:4062210223
内容紹介:
留学中に故郷の島国が消滅してしまった彼女は、同じ母語を話す者を捜しに、大陸をわたる旅に出る。言葉のきらめきを発見する越境譚。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

エコラリアス / ダニエル・ヘラー=ローゼン
エコラリアス
  • 著者:ダニエル・ヘラー=ローゼン
  • 翻訳:関口 涼子
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(336ページ)
  • 発売日:2018-06-09
  • ISBN:462208709X
内容紹介:
子どもが言葉を覚える時に赤ちゃん語を忘れるように、忘却は創造の源である。流離こそが言語の本質だと明かす、言語哲学の最重要書。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

理論と創作の奇跡的な同時代的共振

多和田葉子の新作長編は、ヨーロッパで移動し続ける「移民」たちとその言葉をめぐる冒険の物語である。時代ははっきり示されていないが、近未来か。中心となる登場人物の一人、Hirukoはどうやら日本人らしいのだが、この物語にはそもそも「日本」という国名さえ一度も出てこない。彼女はデンマーク留学中に、自分の国がなぜか消えて帰れなくなり、アンデルセンゆかりの地、オーデンセのメルヘン・センターで紙芝居を子供たちに見せながら暮らしている。

そんな彼女と知り合ってすぐに親しい仲になるのが、言語学を研究するデンマーク人の青年クヌートである。しかし、彼は普通の性愛を超えたようなところがあって、むしろ「言語にエロスを感じる」体質らしい。Hiruko自身も言葉に並外れた関心を持って生きているので、こういう人なら「旅の道連れにしたい」と思い、そこにさらに何人かの仲間が次々に雪ダルマ式に加わり、一行は北欧からドイツのトリアーへ、さらに最後は南仏のアルルへと、移動を続けていく。

Hirukoの言語への関心は二つの方向に分かれる。ひとつは消滅した自分の国の言葉を話す人を見つけること。同国人たちは世界に離散して存在しているらしい。彼女が同国人、つまり日本語を母語として話すはずだと思われるテンゾとか、Susanooといった名前の寿司(すし)職人を追って移動するとともに、物語が展開していく。ところでヒルコといえば、イザナギとイザナミとの間に生まれた子(水蛭子(ひるこ))の名前である。国とともに言語が消滅しかかっても、日本語の意味はこうしてローマ字表記の中に痕跡のように響いているのだ。

その一方で、Hirukoはスカンディナビアならどの国でも通じる「パンスカ」と自ら呼ぶ人工語を考案し、日常会話に使っている。「昔の移民は、一つの国を目ざして来て、その国に死ぬまで留まることが多かったので、そこで話されている言葉を覚えればよかった。しかし、わたしたちはいつまでも移動し続ける。だから、通り過ぎる風景がすべて混ざり合った風のような言葉を話す」

現代世界文学の中でいわば「言語派」の最前線を行く著者ならではの快作である。言語が紛争の原因になることが多いのが現実だとすれば、この小説では人々が他者への言語への関心を通じてすぐに結ばれ、行動をともにする。小説の結末では、Hirukoが「これは旅。だから続ける」と言うと、クヌートが「それなら、みんなで行こう」と受ける。母国の消滅というゆゆしき事態を背景にしながらも、なんと力強く明るいメッセージだろうか。

多和田葉子の小説の傍らに置いて読みたいのが、最近翻訳が出たばかりの『エコラリアス』である。タイトルは「反響言語」の意味だが、ここではもっと広く、様々な言語のこだまのような呼び交わし、くらいに考えておこう。著者は、哲学・言語学・文学に通じた、驚異的に博学なプリンストン大学教授。この本も古代スラヴ語から、中世アラビア文学、そして二〇世紀のカフカ、カネッティ、ツヴェターエヴァ、ブロツキーといった文学者に至るまで、言語も文化も超えて論じたものだが、難解な学術書ではない。むしろ、普通注目されないような言語の様々な様相に着目して、縦横無尽に言葉と戯れた言語文化エッセー集といった趣である。体系的な哲学的論証が展開されているわけではないが、博引旁証(ぼうしょう)、次々に繰り出される研究書や文学作品からの引用が――言語学者ヤコブソンによる幼児言語と失語症の研究から、中世アラブの大詩人アブー・ヌワースの逸話、はたまたイタリアの鬼才ランドルフィによる、存在しない言語で書かれた詩をめぐる話に至るまで――あまりに豊かである。

博学多才な著者の本だけに話題は多岐にわたり、ここで十分に全体像を描き出すことは難しいが、取り上げられることの多くは、多和田葉子が小説で試みたことをより深く掘り下げ、拡張し、目くるめく言語の世界に読者を導くものになっている。いくつかだけでも挙げておけば、言葉が消滅する(死ぬ)とはどういうことか。変化し、層を成し、必ず痕跡をどこかに残して生き延びていく言語のありかた。言語の流離と忘却。失語症とは忘却ではなく、鋭い記憶の一形態であること。「母語」は唯一で絶対のものか。バベル的言語混乱の中に生きることの意味、等々。驚くべきことに、このすべてが多和田葉子の小説の題材に流れ込んでいく。二冊を合わせて読むと、理論と創作の稀(まれ)に見る同時代的共振が生じていることが分かる。ちなみに、『エコラリアス』の訳者関口涼子氏は、日本語とフランス語で書くバイリンガル詩人。多和田葉子氏は日独バイリンガル作家である。

地球にちりばめられて / 多和田 葉子
地球にちりばめられて
  • 著者:多和田 葉子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(309ページ)
  • 発売日:2018-04-26
  • ISBN:4062210223
内容紹介:
留学中に故郷の島国が消滅してしまった彼女は、同じ母語を話す者を捜しに、大陸をわたる旅に出る。言葉のきらめきを発見する越境譚。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

エコラリアス / ダニエル・ヘラー=ローゼン
エコラリアス
  • 著者:ダニエル・ヘラー=ローゼン
  • 翻訳:関口 涼子
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(336ページ)
  • 発売日:2018-06-09
  • ISBN:462208709X
内容紹介:
子どもが言葉を覚える時に赤ちゃん語を忘れるように、忘却は創造の源である。流離こそが言語の本質だと明かす、言語哲学の最重要書。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2018年6月10日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

関連記事
ページトップへ