書評
『君主論』(中央公論新社)
歴史に対する醒めた目を持っていたマキァヴェッリだが、実際の政治的な栄光とは縁がなかった。失脚、投獄を経験したのち、マキァヴェッリはフィレンツェの君主に取り入ろうとしたが、君主ほど信用の置けない人間はいないとも書いているように、『君主論』はイタリアの未来の権力者、さらにはいつとも知れぬ時代の何処でもない国家の存立に向けて書かれたような普遍性を持っている。国家が崩壊するのを防ぐためには、最初の原則に戻るしかない、というマキァヴェッリの考え方に賛同して、スピノザは『君主論』を、古代ローマの栄光を復活させるべく共和制への復帰を説いた書物と解釈した。
マキァヴェッリは、こう考えた。人は徳を求めるより欲に走るので、社会は時とともに腐敗するし、権力は揺らぎ、紛争も避けられない。この現実認識に基づいて、民衆の自由への欲求と君主の名誉への欲求を合致させることで、都市や地方単位で割拠している権力をイタリアという統一国家権力にまとめるという壮大な夢がこの著作には込められているのである。
【この書評が収録されている書籍】
マキァヴェッリは、こう考えた。人は徳を求めるより欲に走るので、社会は時とともに腐敗するし、権力は揺らぎ、紛争も避けられない。この現実認識に基づいて、民衆の自由への欲求と君主の名誉への欲求を合致させることで、都市や地方単位で割拠している権力をイタリアという統一国家権力にまとめるという壮大な夢がこの著作には込められているのである。
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