安保法制、改憲議論を始める前に
昨年秋、安保関連法案を審議中の国会前に、大勢の人々が押しかけて、連日抗議の声を上げた。マイクを握った学生が「民主主義ってなんだ?」と叫ぶと、群衆から「これだ!」と声が上がった。「違憲の法案が通ってしまう」「主権者である国民の意志が反映されていない」という危機感の中、この事態を、日本の民主主義の危機だと捉える人は多かった。しかし、改めて「民主主義ってなんだ?」と自分自身に問いかけてみて、自信を持ってきちんと説明できる人がどれだけいるだろう。本書の冒頭「はしがき」は、こんなふうに始まる。
今の世の中には、民主主義ということばがはんらんしている。民主主義ということばならば、だれもが知っている。しかし、民主主義のほんとうの意味を知っている人がどれだけあるだろうか。その点になると、はなはだ心もとないといわなければならない。
一読して、はっとさせられた。2016年の日本を生きる人々に向けられた言葉ではなかろうかと。
本書はサブタイトルでわかるとおり、戦後間もないころに作られた社会科の教科書だ。「はしがき」には、こうもある。
民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。民主主義の根本は、もっと深いところにある。それは、みんなの心の中にある。すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。
文部省に依頼されてこれを編纂した中心人物は、東京大学教授で法哲学者の尾高朝雄、のちに東大総長となる経済学者の大河内一男など、錚々たる執筆者をそろえたという。
本書が繰り返し言及するのは、「民主主義の根本精神」について。この教科書を作った人々が生徒の頭に叩き込みたかったのは、民主主義を制度やルールの類と思い込んで、形式的に選挙をしたり、国会を開いたりしているのでは、まったく民主主義を理解したことにならない、という点だったようだ。個人が主体的に学び、考え、実践的に行動しない限り、民主主義は姿すら現さないのだと。
たとえば第四章は「多数決」を取り上げる。それが「最後の決定は多数の意見に従うという」「民主主義の規律」であることを示しながらも、「用い方によっては、多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある」と指摘する。民主主義を形骸化させないためには、いかに「目覚めた有権者」でなければならないか、いかに民主主義の精神を自分自身の心の中に引き受けなければならないかを、懇々と説いているのだ。
今日、選挙のたびに驚かされる低投票率や、政治への関心の低さを思うと、「日本人の間には、封建時代からのしきたりで、政治は自分たちの仕事ではないという考えがいまだに残っている」という記述が胸に突き刺さってきて、私たちはいったい民主主義をきちんと学んできたのかと悲痛な気持ちにもなる。
編者が指摘するとおり、いまとなっては古い記述なども散見されるが、「かつて民主主義に最も真剣に向き合わざるをえなかった時代」の知性が残してくれた「教科書」を、批判も含めて検証することは、今日の私たちに必要であると思われる。
安保法制も改憲論議も、国民一人一人がこの「教科書」の内容を頭に入れてからならば、意味のある議論になるに違いない。