後書き

『書評のおしごと―Book Reviews 1983‐2003』(海鳥社)

  • 2017/09/10
書評のおしごと―Book Reviews 1983‐2003 / 橋爪 大三郎
書評のおしごと―Book Reviews 1983‐2003
  • 著者:橋爪 大三郎
  • 出版社:海鳥社
  • 装丁:単行本(382ページ)
  • ISBN-10:4874155421
  • ISBN-13:978-4874155424
内容紹介:
1980年代、現代思想ブームの渦中に登場以来、国内外の動向・思潮を客観的に見据えた著作と発言で論壇をリードしてきた橋爪大三郎が、20年間にわたり執筆した書評を初めて集成。明快な思考で知られる著者による、書評の最良の教科書。

書評を書くということ あとがきにかえて

書評の仕事をするときには、いつも、襟を正すような気持ちになる。



書評の書き手は、たいてい、本の著者、つまり、自分も書評される側の人間だ。

本の著者たちが、そうやって順番に、読者となり評者となって、互いの本について意見をのべあい、共同で評価を確立していく。その一つひとつのやりとりが、書評なのだ。

当然、そこには、ルールというものがある。公正であること。公平であること。正確であること。率直であること。著者がどんなに著名で、権威があろうと(あるいは、なかろうと)、知り合いだろうと、誰だろうと、今度書かれた本のなかみに即して、その本から言えること(だけ)をはっきりのべる。こうした公開の応酬が、それぞれの本の価値を明らかにしていく。

骨董品のオークションや、草花の品評会を考えてみるといい。それぞれに想いのつまった、この世でただひとつのユニークな存在が、互いに横並びにされることで、値段がついたり順番がついたりしていく。思えば強引なことである。しかしそれは、誰かひとりの恣意ではなくて、大勢のかかわった共同作業の結果である。だから、客観的な事実として、誰もが認めざるをえない。

書評も、似たようなところがある。

書評は、いわば法廷での証言のようなもの。嘘いつわりがあってはならない。筆を曲げてはいけないという、緊張に導かれている。その緊張をよくたどれたときに、書評の背筋が伸びるような気がする。



では書評は、ただ正確な批評をめざせばいいのだろうか

私は、書評は、必ず褒めることにしている。さもないと、読んで楽しくないだろう。著者の言いたいことの核心を、評者が取り出して、読者のもとに送り届けるという、書評の伝達の径路も見えにくくなる。

褒めるとは、共感するということ、好きになるということだ。著者の意見に賛成であろうと、反対であろうと、ともかく著者の側に立って、この本が書かれたことを喜ぶ。そして、そのことに、嘘いつわりがあってはならない。

だから、褒めるのがむずかしい本の書評は、原則としてひき受けない。なにか理由をみつけて、断れるなら断ってしまう。

褒めることと、公正、公平、正確、率直であることとは、矛盾しそうにみえる。よく考えてみると、必ずしも矛盾するわけではないが、微妙なバランスを要する。だからここにいちはん神経を使う。うっかり褒めすぎれば、すべてがぶち壊しになり、著者にも失礼な結果になるのだ。



ところで、書評の特徴は、短いことである。

なかにはけっこう長い書評もあるけれども、本そのものよりも長いようでは、もはや書評とは呼べない。そうなれば、注釈(コメンタール)である。書評であるからには、読もうかどうしようか決めかねている(将来の)読者のために、ひと足先にその本を読んで、こんなことが書いてあるよと、手短に伝えるのでなければならない。だからむやみに長くてはいけない。

書評は、体操やシンクロナイズド・スウィミングの、規定演技のようなものだと思う。同じ本の書評が、いくつも出る。そして大勢の読者が、書評を読んだあと、その本を読むことだろう。いい加減なことが書いてあれば、一発でばれてしまう。書評は、本を評価するものではあるが、かえって書評(を書く評者)も評価されてしまうのである。

これにひきかえ、ほかの原稿は、自由演技のようなものだ。自分の考えたことを書きたいように書けばいいので、公平だとか正確だとかいったことは問題にならない。いい加減なことが書いてあっても、すぐにはばれない。ずっと気楽である。

そこで、私が想定する書評の読者は、まず、その本の著者である。書評を書くとき、著者本人に読ませるつもりで書けば、できるかぎり正確に、公正に、公平に書くことができるような気がする。

それでも、私の書評が、著者を一〇〇%満足させることなど、まずあるまい。なぜここを紹介しないのか、ここを書かないでどうするといった、不平や不満が聞こえてくる。原稿の分量が限られているので、ごめんなさい、と内心で言い訳して、許してもらっている。書評が短いというのは、だから、助かることなのだ。



というわけで、書評は、書き慣れるということがない。書評はむずかしい。

もしも書評が、別な本の昔書いた書評と似てしまったら、それはマンネリである。一回一回、本を最後まで丹念に読む。そして、耳を澄ます。聞こえてくるかすかな響きを手がかりに、最初の一行を探ろうとする。これに、書評の作業の半分くらいの時間がかかると言ってもよい。



書評だけを集めた本は、あまりみたことがない。それは、いわば規定演技のカタログ。著者(というか、評者)のまとまった考え(自由演技)がそこに書いてあるはずがないのは、明らかだ。というわけで、あまり売れそうにない。

そんな書評の本を出そうという、海鳥社の別府大悟さんは、だから、とても勇敢な編集者である。あるとき私のもとを訪れた別府さんは、あれこれ雑談のなかから、書評をいろいろ書いてきたけれども、かなりの分量になると思うな、というような私のひとことを聞きのがさず、それを企画にまとめあげた。

それからあっという問に何年かが経った。おもに私の作業の停滞のせいで、二〇〇〇年を区切りにしましょうという当初の予定からだいぶずれ込み、中途半端な二〇〇三年までの書評を集めることになった、だがこれが、書評を書き始めてから、ちょうど二十年になる年。ひと区切りにちょうどよかったのかもしれない。



書評を書いてみる機会は、ふつうの読書家には多くないかもしれない。だが、じつは絵画のデッサンのように、勉強にはとてもよい方法だ。最近は、ネット書評のような場も増えている。気軽に、一般読者の目にふれるかたちで書評を書いてみることもできる。本書が機縁になって、さまざまな書評の書き手が増えてくれれば嬉しい。



さまざまな媒体に書評を書く機会を私に与えていただいた、編集者の皆さんに感謝したい。特に、インターネットを通じて読書会形式の書評を行うという、卓抜なアイデアを実現し、私に声をかけてくれた、読売新聞社文化部の石田汗太さんには、大いに感謝したい。本書をまとめるにあたって、古い本や原稿をみつけ出したり、コピーをとったり、本のカヴァーをスキャナーでスキャンしたりと、いろいろ細かな作業を手がけてくれた、安藤永里子さん、松谷ひろみさん、山崎由香利さんに大変にお世話になった。また、海鳥社の別府大悟さんには、最初のアイデアの段階から、編集の全般にわたって、すっかりお力を借りることになった。周到でねばり強い仕事ぶりには頭が下がる。別府さんの尽力がなければ、この本はこの世に存在していない。本当に感謝しています。

二〇〇五年六月二十六日 橋爪大三郎
書評のおしごと―Book Reviews 1983‐2003 / 橋爪 大三郎
書評のおしごと―Book Reviews 1983‐2003
  • 著者:橋爪 大三郎
  • 出版社:海鳥社
  • 装丁:単行本(382ページ)
  • ISBN-10:4874155421
  • ISBN-13:978-4874155424
内容紹介:
1980年代、現代思想ブームの渦中に登場以来、国内外の動向・思潮を客観的に見据えた著作と発言で論壇をリードしてきた橋爪大三郎が、20年間にわたり執筆した書評を初めて集成。明快な思考で知られる著者による、書評の最良の教科書。

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