書評
『森山大道、写真を語る』(青弓社)
表面擦過する写真⇔踏みこむ言葉
440ページを写真125点と活字がみっしり埋めつくす。そういえば、文庫版の写真集『新宿+』『大阪+』はブロックさながら、4センチに及ぶ厚さだった。一種異様な容量である。きっと違和の表明なのだ。無限のシャッター音とともに街を擦過しつづけてきた写真家が、本というかたちに振動を与える意思のなせるわざである。
これまで森山大道は半自伝的エッセイ『犬の記憶』をはじめ著しい言葉を記してきた。自己の内面に向き合う言葉の数々は、ときに叙情的でさえある。いっぽう、路上をひたすら歩いて撮影してきた膨大なストリートスナップは、表面にしかとどまらないという過激な追求の集積だ。けっして対象に踏みこまず、意味を回避し、物語やイメージのべたつきを遠ざける。
つまり、森山大道にとって「語る」と「撮る」は逆方向の位置にあり、この裏表の関係が言葉をいっそう際立たせる。
かつてカルティエ=ブレッソンは「決定的瞬間」を捉(とら)えるに至った「こころの眼(め)」について、緻密(ちみつ)に語った。森山大道が言葉を手だてに試みようとするのは、自作の解説でも方法論でもない。そこに読み探られるべきは、「途方に暮れて写真を選んだ」60年代以降、時代の様相とリアルに関(かか)わりつづけてきた生身の日本人としての記憶と心情だ。その複雑さ、率直さは日本の写真表現の成熟をも物語っている。
ただし、疾走感を共有してきた盟友・荒木経惟に向けて語る言葉はとてもやわらかい。
「撮る気はあっても、どう撮ろうなんてない。おれ、立ち止まって待つことは絶対しないんだ」「おれは世界を見るのが恥ずかしいわけ。荒木さんは世界を凝視しないと気がすまないわけ」「うさんくさいものとかいかがわしいものは魅力的で美しいっていう感覚があるよね」
言葉は、いったん語りはじめれば、あらゆる核心に肉薄せざるを得ないきびしい運命にさらされる。現在の表層の断片を擦過しながら、同時に過去の深部を撃つ、その両極を射程に入れた写真家・森山大道の欲望のふかさを思い知る一冊だ。
朝日新聞 2009年05月03日
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